『茶色の丸、それは未知との遭遇』
「会議室に謎の物体があります」
その朝、経理部の佐伯が開口一番、血相を変えて言った。
「なんか……真ん中に茶色の丸が、どーんと置いてあるんです」
「は?ドーナツか?」
「違います。もっと……存在感があるんです。何かこう、神聖な……でも微妙に湿ってる感じの……」
課長の丸山が腰を浮かしかけて止まった。
「湿ってる?」
「はい。乾燥はしてない。でもヌメヌメでもない。ちょうど、干し椎茸の戻し中って感じの湿度」
「なんだその質感表現……」
とりあえず現場へ向かうことになった。
──総務課会議室。朝8時42分。
部屋の中央、白い会議テーブルの上に確かに何かがあった。
それは直径30cmほどの、完璧な円形をした茶色の物体だった。
平べったくもなく、盛り上がりすぎてもいない。色はカフェオレ寄りの茶色で、光沢がほんのりある。
「……何これ?」
「ドーナツではないな」
「せんべいにしては肉厚すぎる」
「……きなこ餅でもないし」
みんなの脳が、おのおの茶色系の食品図鑑を引っ張り出す。
そこへ、掃除のおばちゃん・島袋が通りかかる。
「あら、何かの儀式かね?」
「いや、誰も置いた覚えないんです。防犯カメラにも何も映ってなくて……朝来たら、突然“茶色の丸”が鎮座してたんです」
島袋は目を細めて言った。
「……これは、天からの啓示かもねえ」
「そんな大げさな」
「うちの田舎じゃ、こういうの“モノ言わぬ神”って言って、祭るんだよ」
その言葉を皮切りに、なぜか事態が妙な方向へ進み始める。
まず営業部の藤井がやってきて、「御利益があるかもしれない」と、近くに千円札をそっと置いた。
次に広報の北原が「SNSに載せたらバズるかも」と写真を撮る。
ついには社長秘書が「社内の象徴として、会議室の名称を“丸の間”に変えるべきです」と言い出した。
その頃にはもう、謎の物体は「茶円大明神(ちゃえんだいみょうじん)」という名称で呼ばれていた。
さらにその翌日。
「これ、きっと“丸く収める力”があるんですよ!この物体を見ながら話すと、なぜか喧嘩にならない!」
会議室での使用が始まると、たしかに議論が穏やかになる現象が起きた。
「まあまあ、茶円大明神の前だし、争いはやめようや」
「うん、丸く収めよう、まるくだけに」
ダジャレも止まらない。
とうとう広報が社外向けパンフレットに掲載し、茶円大明神は“丸山商事の和の象徴”となった。
茶色の丸は、完全に社内文化の中心となっていた。
──だが。
3週間後の金曜、事態は急変する。
出社してきた社員が絶叫する。
「茶円大明神が……干からびてる!」
そう、それは突如、ゴワゴワに乾燥し、表面がバリバリにひび割れていたのだ。
「……やっぱり有機物だったのか」
「何日も空調の真下だったしな……」
「……これ、もしや“味噌煮込みハンバーグ”だった説ない?」
「誰がそんなもの会議室に放置する!?」
すぐさま検査を依頼。
結果──ただの「干からびたサンプル品(木製のコースター群を接着したもの)」と判明。
それを最初に製品開発部が倉庫にしまい忘れたまま、業者が間違って会議室に運び込んだのだった。
社長が言った。
「……まあいいじゃない。うちの人間が、みんなで一つの丸を囲んで仲良くなったんだ。それで十分だよ」
静まり返る会議室。
その中心に、今やバリバリに乾いた“元・茶色の丸”が、静かに鎮座していた。
社員たちは思わず手を合わせた。
「ありがとう……茶円大明神……また丸く収めてくれ……」
その日から社内にはひとつの教訓が残った。
【理由がわからなくても、茶色くて丸いものには敬意を払え】
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