水着と終わらない夏
人生で一番つらかったのは、たぶんこの夏。
といっても、戦争でも失恋でもない。水着選びで精神崩壊した話だ。
きっかけは会社の社員旅行だった。毎年恒例、誰も楽しみにしてないのに全力で盛り上げるノリだけが強制される、地獄の二泊三日。
今年の行き先は南の島。どうしても海がメインになる。そして、なぜか女性社員が妙に張り切っている。
「今年は、全員水着でビーチゲーム大会らしいよ♪」
「まさかの“水着マスト”って通知来たんだけど!?どういうパワハラ?」
「いや、むしろ新手のセクハラでは」
同期の沙知が肩を震わせていた。
「で、どうするの?」
「私は……これにする」
彼女がスマホで見せたのは、ワンピース水着。ただし、想像していたそれとは違い、背中がぱっくり、ハイレグ気味で腰に意味のわからない紐がくるくる巻かれている。
「これ、ワンピースって言えるの?」
「そう、これは“攻めのワンピース”。守ってない。むしろ前線に出てる」
「意味がわからない」
でも、その数日後。事件は起こる。
「……あれ?これ、なんか違う?」
通販で届いた沙知の水着は――学校の水泳授業に出てくる、あれだった。
真っ黒、前ジップ、太ももぶちぶち締め付けるタイプ。昭和テイスト満載。
「なんでこうなるのよおおおお!」
沙知は泣きながら返品手続きをしていたが、出発前夜、再び別の水着が届いた。今度は、サイズだけが致命的にSだった。沙知はM〜Lをさまよう民。
「……これってつまり、もう着るなってこと?」
「そうかもしれない」
そして当日、彼女は諦めたような笑みでこう言った。
「もう、これで行く」
そうして着たのが――小学女子用のピンクのワンピース水着。しかもスカート付き。
「絶対に話題になるよ」
「黙れ」
*
当日、集合場所に現れた沙知は、完全に“迷子の子供”として保護されかけた。
社員の一人が気まずそうに「その、なんか……間違えた?」と聞いたところで、彼女が堂々と答える。
「これは“逆張り”です。大人の女が、あえて子供っぽい水着を着ることで、逆にセンスを際立たせる。知性の香り」
誰も反論できなかった。
というか、誰も理解できなかった。
*
そこからさらに、夏の混乱が始まる。
なぜか他の女性社員にも妙な対抗心が芽生えたのか、二日目の水着ファッションはカオスだった。
・全身迷彩柄のワンピース水着(「隠れることが逆に目立つ」らしい)
・前面に「肉」と書かれたワンピース(焼肉屋の販促品説あり)
・完全に競泳選手用のガチ水着(「泳がないのに」)
・パレオを巻きすぎて、もはやただの浴衣にしか見えない謎衣装
「何が“ビーチゲーム大会”だよ、戦いが起きてるじゃねぇか……」
僕はひとり浮き輪の空気を入れながら震えていた。
*
ただ、この混沌の中で――一人だけ“圧倒的に似合っていた人”がいた。
それが、普段ほぼ喋らない経理の春川さん。
彼女は何の前触れもなく、真っ白なシンプルなワンピース水着で現れた。
柄もなく、装飾もなく、フリルもない。
なのに、目が離せなかった。
「あの人……もしかして……王道?」
ざわつく社員たち。
なぜかその場に静寂が走り、沙知がぽつりとつぶやいた。
「……やっぱり、正統派って強いのかもしれない……」
*
その夜、飲み会で。
「なあ、あの春川さんって、普段何してる人?」
「経理。あと、週3で水泳教室通ってるって噂」
「強すぎるだろ……」
その瞬間、誰よりも水着を着慣れたプロが、あっさり勝者になったという事実が胸を刺した。
そして僕は思う。
――ワンピース水着、恐るべし。
それは“子供の証”でも、“古風の象徴”でもない。
真の意味で似合う者が着たときだけ、“最強の装備”になるのだと。
*
旅行最終日。
沙知は、例のピンクのスカート水着を脱ぎ、普通のTシャツと短パンで現れた。
「降参?」
「違う」
彼女は言った。
「私にはまだ、“浮き輪”という選択肢が残されている」
そして彼女は、誰よりも立派なイルカ型の浮き輪を掲げながら、海に突撃していった。
その背中は、とても誇らしげだった。
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