第31章:鳥取県「鳥取砂丘の風紋と因幡の白兎」
和歌山から長距離バスを乗り継ぎ、鳥取駅に降り立ったアオイは、空の広さに驚いた。
視界を遮るものが何もない。
風が強く、湿気が少なく、どこか潔い。
駅前からタクシーに乗り、運転手に「鳥取砂丘まで」と告げると、笑み混じりに返された。
「今朝も風が吹いとります。ええ風紋が見られるかもしれませんで」
しばらく走ると、街の建物はまばらになり、やがて窓の向こうに、まるで海のように広がる砂の丘が現れた。
「ここが……砂丘……」
車を降りた瞬間、アオイは思わず息を呑んだ。
砂丘の上に広がる風紋が、まるで波紋のように繊細に、しかし力強く広がっていた。
その美しさは、どんな名画よりも雄弁で、そして一瞬だった。
ひとたび風が吹けば、すべてが塗り替えられてしまう。
*
アオイは、手帳を開いた。
——「白兎が身を清めし泉を探せ。白い砂は、正直と慈悲を語る」
「古の欠片」は「白い砂の小瓶」。
それは、鳥取砂丘の白砂が詰められた小さな瓶であり、因幡の白兎が残した“優しさ”と“浄化”の記憶を宿しているという。
*
砂丘のふもとに建つ小さな資料館で、アオイは「白兎伝説研究ボランティア」を名乗る青年・タカシに出会った。
丸メガネに真っ白なTシャツ、鞄には鳥取のパンフレットがぎっしり詰まっている。
「因幡の白兎、ってあれ、単なる“可愛い昔話”じゃないんですよ」
タカシは語る。
「嘘をついて他人を出し抜こうとした白兎が、皮を剥がれる。でも、正直になったことで、優しい人に助けられ、癒される。——これ、“正直さと慈悲が巡り合って、救いを生む”って話なんです」
「なるほど……」
「それに、鳥取砂丘の風も、じつは似てて。“浄化”なんですよ。風が吹くたびに、足跡や傷跡が全部、まっさらにされる」
「……じゃあ、この風が“心の風”だったら、どれだけの人が救われるだろう」
「そう。だから、砂丘って……“もう一度やり直せる場所”なんです」
*
タカシの案内で、アオイは砂丘の奥へと進んだ。
丘を越えるたびに風が強まり、耳元で何かを囁くような気がした。
「この先に、白兎が身を清めたという泉があるんです。今ではもう水は枯れてるけど、“記憶”は残ってる」
その場所は、砂と草が入り混じる窪地の中にぽっかりとあった。
乾いた石の窪み。
だが、確かにそこだけ、空気が澄んでいる。
アオイがその中央にしゃがみ込むと、ポケットの虹色の欠片が淡く光を放ち始めた。
そして、砂の中から、小さな瓶が姿を現した。
——白い砂が詰められた、ガラス瓶。
アオイがそれに触れた瞬間、風が吹き上がり、彼の視界は過去の“真実”へと包まれていった。
アオイの目の前に現れたのは、遠い昔の海辺の情景だった。
白い砂浜を、傷だらけの白兎が横たわっている。
その傍らには、大国主命——おおくにぬしのみこと——と名乗る若き神が、屈み込んでいた。
「もう、大丈夫。もう、嘘をつかなくていいんだ」
大国主命の声は穏やかで、白兎の傷を、海藻で丁寧に覆っていた。
白兎は、弱々しくも首を動かして、目を細めた。
その姿に、アオイは思わず胸を押さえた。
——嘘をついても、誰も得をしない。
——正直であれば、誰かが助けてくれる。
そのやり取りは、単なる昔話の一場面ではなかった。
それは、時代を超えて人の心に宿る“教訓”であり、“願い”だった。
*
視界が戻ると、アオイの手の中には、白い砂が詰まった瓶があった。
ガラス越しに見える砂粒は、まるで光を吸い込んだようにきらめいている。
タカシが言った。
「それが、“古の欠片”……なんですね」
「はい。嘘を悔い、正直になり、そして慈悲に触れた——その記憶が、瓶に宿ってます」
風がまた吹いた。
その風は、アオイの髪をなびかせるだけでなく、心の奥にあった小さなざわめきをも洗い流すようだった。
*
砂丘の高台に登ると、海が一望できた。
果てのない水平線と、太陽に照らされる白砂の曲線。
「足跡って、残しても、風ですぐに消えるんですね」
アオイが呟くと、タカシは笑って答えた。
「でも、それでいいんですよ。人間、何度だってやり直せますから」
*
アオイは手帳に記した。
——「鳥取:鳥取砂丘の風紋と因幡の白兎」
白い砂の小瓶は、正直であることの痛みと、救われる喜びを宿していた。
そして、砂丘の風は、それらを受け入れ、まっさらに戻してくれる。
——慈悲とは、過ちを許す心であり。
——正直さとは、弱さを認める勇気。
アオイは、優しい風に背を押されながら、次の地を目指して歩き出す。
(第31章:鳥取県「鳥取砂丘の風紋と因幡の白兎」完)
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