その伝票、なぜ“斜めに押印”されているのか
「……あの、すみません。この“斜めハンコ”って、何か意味あるんですか?」
昼下がりの事務所。新卒の私は、勇気を出して聞いてみた。
伝票の隅、四角い認印が美しく30度ほど斜めに押されている。
「うん。伝統」
「伝統!?」
人事の赤羽さんが誇らしげに言った。
その言い方、歌舞伎か何かだと思った。
「うち、伝票には“ななめ押し”がルールでね。先代の部長の時代から続いてるの」
「それ……必要な理由とかって……」
「“真っすぐの人生なんてない”っていう哲学らしいよ」
「重っっ!!」
私は疑問を抱きながら、伝票を“30度傾けて”印鑑を押した。
その横で先輩の金田さんがそっとつぶやく。
「ちなみに、角度が甘いと差し戻される」
「なんの職人技!?」
「社内用語で“スイングが浅い”って言う」
「スイング!? 野球入ってきた!!」
その日の午後。
営業の井出さんが、うっかり“まっすぐに押印された伝票”を提出してしまった。
数分後――戻ってきた伝票の横には、謎のメモが。
「このハンコ、悩みなさそう。人生、こんな一直線でいいんですか?」
「説教かよ!!!」
私は決意した。
この文化、いったん止めてみよう。
次の日。私は、全ての伝票に“まっすぐのハンコ”を押した。
静かなる反逆。だが、結果は早かった。
「佐倉さん……ななめ押し、忘れてるよね?」
「はい。ちょっと考えて、あえて真っすぐで」
「ふーん。じゃあ、佐倉さんの人生も真っすぐで、悩みゼロってことでOK?」
「それ、どんな圧!?」
さらに衝撃の事実が発覚した。
「……実はさ、斜めの角度、“部門ごとに微妙に違う”って知ってた?」
「えっ」
「うちは30度だけど、営業は28度。総務は32度」
「意味なさすぎるだろ!!!」
「社内コンパスって言われてる」
「GPS狂ってんじゃねぇか!!!」
最終的に私は、「全角度統一案」を掲げ、提案書を作成。
角度別見本、差し戻し率、押印速度の比較まで出した。
「……これを、部長に提出します」
「……おまえ、今ちょっとカッコいいわ」
しかし。部長の反応は――
「よく調べたね。じゃあ来月から“右下45度”で統一しようか」
「統一!? でもそれ、“さらに傾いた”だけじゃないですか!」
「斜めって、自由なんだよ」
「自由の定義が崩壊してる!!!」
それでも。
新しい伝票に押された右下45度ハンコを見て、私はなんだかちょっと笑ってしまった。
「真っすぐじゃないけど、まぁ、前には進んでるか……」
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