糸に導かれる企業
会社の糸が切れた。
──というと哲学的に聞こえるが、文字通り、総務部の引き出しの中で長年使われていた「業務用麻糸」がぷつんと真っ二つに切れたのだ。
「…誰か、糸、知りません?」
いつも唐突な課長・松田が、湯呑み片手に社員食堂で口にしたこの言葉が、事の発端だった。
「どの糸ですか? 思い出の糸? 人と人との縁の糸?」
「違う。“ガチの”業務用麻糸。FAX機の隣の引き出しのやつ。今朝、切れてた」
FAXの隣の引き出しの糸が切れると何が起きるのか。知らないが、なぜか社内はざわついた。
「そりゃ大変だ!」
「……なんで?」
「だってあの糸、創業時から社内を支えてきた“象徴”じゃないですか」
「知らなかった……」
私も知らなかったが、聞けば伝統行事「棚卸の儀」や「安全ピン結束式」など、社内のあらゆる場面でその糸は使われてきたという。
「で、課長。予備は?」
「ない。一本限りだった」
「そんなサブカル同人誌みたいな存在感出すのやめてください」
だが課長は真顔だった。
「うちは“糸に導かれる企業”なんだよ」
その日から、「新しい糸」を探す旅が始まった。
まず営業部の田中が百円ショップに走った。
「買ってきました! “ナチュラル麻調ラッピング用ディスプレイ糸”です!」
「……いや、それ何用よ?」
「多分……ポプリとか束ねるやつです」
次に経理の鈴木がネット通販で「業務用麻糸3km巻き・アイルランド産」と書かれたものをポチったが、届いたのは「アイルランド風」という謎の誤訳のあるパッケージで、実際は愛媛産だった。
「麻の香りが“みかんっぽい”のよ。どういうこと?」
情報システム部の小林は、完全に逆方向に進んだ。
「これです! もう糸なんてアナログ、やめましょう!」
「何それ?」
「“デジタル糸”です! 二次元バーコードをスキャンすると、糸の画像が見られるアプリ!」
「糸じゃない!!」
いよいよ手詰まりかと思ったその時。社長が、ものすごい勢いで会議室に現れた。
「糸を……見つけた……!!」
その手に握られていたのは、細長く、光沢のある糸──ではなく、釣り用のテグスだった。
「社長、それは……」
「我々の企業理念は“つながり”だ。だったら、強く、しなやかで、透明なつながりこそ、現代の糸ではないのか!?」
「……あの、FAXに使えますか?」
「無理だった」
翌週、ついに新入社員・佐伯がやってのけた。
「見つけました。近所の手芸屋の奥で、埃をかぶってた麻糸。試しに結んでみたら、FAX機が……動きました」
「それだああああ!!」
社員が総出でその麻糸を祀り上げ、勝手に“神糸祭(しんしさい)”が制定された。以降、年に一度、糸に感謝するという謎の文化が定着。参加者には全員「イット社員証」が配られ、なぜか糸電話で乾杯する風習もできた。
なお、総務部の松田課長は現在、趣味で「業務用糸博物館」を開設。来館者には「これが切れた糸です」と真っ二つの麻糸を見せてドヤ顔を決めている。
繋がってるのか、切れてるのか。
今日もこの会社は、絶妙なバランスで成り立っている。
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