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第50巻 尼崎市:アマガサキノカミの願い

 阪神尼崎駅の高架下にある、くたびれた商店街のベンチに、今日もあの神様は座っていた。赤いジャンパー、黄色いタスキ、「特価御免」と書かれた紙袋を片手に持ち、左手には焼きそばパン。神様にしてはずいぶん庶民的すぎるが、これが尼崎を守る神様――アマガサキノカミである。

「いやあ、あんたやっぱ見る目あるわ、ホンマ。昨日くれた特価情報、まさかほんまに翌日、冷蔵庫半額になるとはなぁ!」

 通りすがりの主婦が、神様に頭を下げていく。

「ふふん。商いは情報が命やさかいな。安うてええもんに導くんが、わいの“ちょっとだけ働く”流儀や」

 アマガサキノカミは鼻を鳴らして満足そうに言った。自分の働きを「願いを叶える」などと仰々しくは言わない。尼の神は、値引きとタイミングの神なのである。

 そんなある日、フリーターの大河が困った顔で現れた。

「神さん、ちょっとだけ助けて。バイト先の居酒屋、客が全然入らんくて潰れそうなんや」

 アマガサキノカミは、焼きそばパンの端っこを嚙みちぎりながら、のそりと立ち上がった。

「よっしゃ、ええ取引しようか。わいが集客手伝ったる。代わりに“何かおもろいこと”やってくれや」

「おもろいこと? 芸人ちゃうで、俺」

「大丈夫や、あんたの顔見てるだけで、なんかオチそうな感じするわ」

「失礼やな!」

 こうして始まった、「居酒屋てんぐ 尼ブラキャンペーン」。

 神様が考案したのは、**“1ドリンク注文で、おっちゃんの昔話1話付き”**という、非常に意味不明な企画だった。

 開店初日、店の奥に設置された神棚の下で、アマガサキノカミがマイクを握った。

「ほな、第一話『阪神優勝セールでカーチャンがテレビ買いすぎた話』いきまっせー!」

 ……想像以上に、盛り上がった。

「めっちゃ笑った! サザエさんかと思たわ!」「ほんでホンマにおかん三台も買うたん?!」

 酒が入るほどに、神様の軽快な喋りとおっちゃん客たちのノリが絶妙に絡み合い、居酒屋てんぐは連日大盛況となった。

 だが、問題が起きた。

 アマガサキノカミ、気をよくしすぎて喋りすぎたのだ。

「ほんでな、次の週には、そのテレビ全部返品しようとしたんやけど、配達のお兄ちゃんが……」

「神さん、もうええ加減、黙ってくれ!」

 居酒屋の店主が泣きながら叫んだ。

「客、笑いすぎて飲み食いせぇへんねん! 全然売り上げ出ぇへんのや!」

「なんやと!? みんな楽しんどるやろ!」

「せやけど“願い”は店が潰れへんようにすることや! おもろさと商売は両立せな意味ないわ!」

「……なるほど、一本取られたな」

 アマガサキノカミは、顎に手を当てて、神妙な顔をした。

 そして次の週、再び現れた神様は、何故かギターを持っていた。

「なにそれ?」

「“語りは減らす、でも魅せる”が今回の取引や。“替え歌による尼崎の叙事詩”、いくで」

「また変なこと始めとるー!!」

 ♪ 尼ブラ道中、鯛焼き片手に~ ポッケに100円、気ぃつけや小銭入れ~♪

 客は、涙を流して笑った。

 だが、その日の売り上げは、なぜか過去最高を記録した。

「なんでやろな」

「多分やけど、みんなノリで“なんか注文せな失礼”って思たんちゃうか……?」

 その日、大河は店の片隅で、しみじみと神様を見た。

「ほんま、不思議な神さんやで……おもろいけど、ちゃんとこっち得してんねんな……」

「当たり前や。取引ゆうのは、どっちも得せな意味ない。それが“商いの道”や」

 そう言って神様は、こっそり商店街の福引券を差し出した。

「これ、おまけや。特等狙え。何が当たるかって? そら、商店街の人の気分次第や。交渉は、あんた次第やな」

「……そっちに任せる気ゼロやな?」

「そらそうや、わいは“ちょっとだけ”しか働かへん。せやけどな、ちゃんと応援はしてるで」

 翌朝、ベンチで焼きそばパンを頬張りながら、アマガサキノカミはつぶやいた。

「うん、今日も尼はええ風や。せやせや、商いは風まかせ、でも気持ちはごっつぅ真面目。……なんか、ええこと言うた気がするな」

 通りすがりの小学生がつぶやいた。

「なんか今日も、パン食ってるだけの変なおっちゃんおるな」

「しーっ! 神様やで、あれ」

 ――こうして今日も、尼崎の街には、おもろくて、ちょっとだけ働く神様が、こっそり商いを見守っている。


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