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第38章 東大阪市:ヒガシオオサカノカミの願い

 朝、金属を削る音が町中に響き渡る。東大阪の町は、工場と工具と職人魂の塊でできている。目を閉じれば、スパナやネジ、旋盤のリズムまで聞こえてくるような街で、子どもが最初に覚える言葉が「ねじ」だったとしても誰も驚かない。

 その町の片隅に、ぽつんとある自販機横の空き地に、申し訳程度の祠がある。苔むしたその祠には、神様の名前も刻まれていない。ただ、よく見ると張り紙が貼られている。

《ご用の方は、缶コーヒーを一本供えるべし》

 そう、この町の神様は、ヒガシオオサカノカミ。工業の守り神にして、勤勉だがすぐ疲れる“働きすぎ神”である。

 この日、缶コーヒーが供えられたのは、朝の5時43分。まだ日が昇りきらぬうちから、すでに工場は稼働していた。

「ふぇぇ……今日もがんばるか……」

 そう呟いたのは、楓花。中小企業の町工場で働く溶接工である。女性で溶接をやっているというだけでも珍しいが、彼女は誰にも頼らず、一人でバチバチ火花を散らす強者だった。

「もうちょっと、働きやすくなったらいいのに……」

 その願いを聞いたヒガシオオサカノカミは、祠の奥から半分寝ぼけた顔でぬっと出てきた。

「よっ……あぁ、しんど。ほんま、働き方改革って、神にも必要やな……でも、しゃあないな……ちょっとだけ、叶えたるわ」

 神様は頭のネジをゆるめながら、指をぱちんと鳴らした。

 その瞬間、工場の空気がふわりと変わる。

 まず、空調が神がかり的に最適化され、溶接の煙が一切目にしみなくなった。ネジ箱の中のネジが勝手にサイズごとに並び替わり、工具が使ったあと自動で元の位置に戻るという「匠のアシスタントモード」が発動。

 「うわ、なにこれ……神の手!?いや、神の気まぐれか……?」

 楓花が驚いている間に、現場の作業効率は爆上がり。だが、それと同時にある弊害も起き始めていた。

 職人たちが“楽になりすぎて”仕事中にウトウトしはじめたのだ。

 中でも一番まずかったのは、紗也。彼女は成果を出すためには、無理をしてでもやりきるタイプ。けれど、急に環境が楽になったせいで「まだ全然頑張れてない」と焦りはじめ、逆に空回り。

「なんか……身体は楽なのに、心がついてこない……私、怠けてるのかも……」

 そこへ現れたのが、ヤスハ。現場のムードメーカーであり、相手の目線で話すのが得意な存在だ。

 「大丈夫。頑張ることって、なにかを我慢することじゃないよ。ちょっと楽してみることも、ちゃんと“仕事”だよ」

 その言葉に、紗也の目にじんわりと涙が滲んだ。

 「……ありがと、ちょっとだけ泣いてもいいかな」

 ヤスハは笑って頷いた。

 その一方、楓花は神様の姿をぼんやり見上げながら問いかけた。

 「こんな働きやすくなったのに、なんでみんな戸惑ってるんだろうね」

 ヒガシオオサカノカミは、自販機の陰でポカリを飲みながらぼそっと答えた。

 「急に変わると、筋肉痛みたいに心がびっくりするんや。急に楽にしても、魂の方が“まだ鍛えなアカンのちゃうか”って言うてくるんやな」

 その言葉に、楓花はしばらく考え込んだ。

 「……そっか。がんばらないと、って思いすぎてたのかも」

 ヒガシオオサカノカミは、空を見上げながらひとつあくびをした。

 「せやけど、あんたら、ようがんばっとる。ちょっとくらい、力抜いてええやろ」

 夕方、工場ではひとつの試みが始まった。

 “帰りにちょっとだけ何か美味いもん食って帰ろう会”――通称「ちょい働き打ち上げ」

 コンビニの焼き鳥、駅前のたこ焼き、あとは缶ビールを片手に語り合う。「今日はここがうまくいった」とか「ネジ一本、ぴたりとはまった快感」とか、それぞれが“ちょっとだけ働いた実感”を口にする。

 ヒガシオオサカノカミは、それを遠くから見守りながら、久しぶりに「今日もいい仕事したなぁ」と満足そうに笑った。

 「仕事は全力でなくてもええ。ちょっとだけ、ちゃんとやって、ちょっとだけ、ちゃんと笑える。それが東大阪の働き方なんやろな」


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