第118章 佐賀市:サガシノカミの願い
佐賀市の中心部、静かに広がる有田焼の工房街。その一角に、築百年の瓦屋根がどっしり座っている。のれんには「窯神」と達筆で書かれ、軒先に干された湯呑みが、風に揺れてカランカランと涼やかな音を奏でていた。
この工房には、サガシノカミという神様が住んでいる。神様といっても、袴姿の老紳士ではない。見た目は二十代半ばの、眼鏡をかけた美青年。ただし、性格は百歳を越えて渋く、几帳面で、やたらとお茶にこだわる。
「茶は、六十五度に冷ましてから注がんと、香りが死ぬ」
そんなセリフを、週に三回は言う。
今日もサガシノカミは、土間に正座していた。目の前に並ぶのは、願い事を書いた湯呑みたち。佐賀ではお願いごとは短冊ではなく、湯呑みに書いて届ける文化がある(神様の趣味である)。
「ふむ、『恋がしたい』か。湯呑みにしては…ずいぶん煩悩まみれだな。抹茶で清めるか」
神様はきっちりとした所作で湯を沸かし、抹茶を点てて、湯呑みに注ぎ込んだ。シュワっと一瞬で願いが蒸発したかと思えば――背後のふすまが勢いよく開いた。
「うわっ!? ちょっと、なにしてくれてんですか!」
現れたのは、願いの主、地元高校に通う男子・拓未。どうやら工房にこっそり忍び込んで様子を見ていたらしい。
「おお、お前が『恋がしたい』の子か。では清めを終えたぞ。これでお前の心は、澄み切った抹茶のように――」
「いやいや、清められたら困るんですよ! 恋したいんですよ、むしろ!」
「ふむ…恋、というのは繊細でな。あまりに雑に願われても、有田焼と同じで、歪むのだ。わしは“きれいな願い”しか焼かん。魂が釉薬みたいに滑らかでないと、火入れできぬ」
「例えが高度すぎるんですよ! 恋したいんです、彼女いない歴=年齢なんですってば!」
拓未は神棚の前で正座し、鼻息を荒くしながら願った。
「お願いです。学校の気になるあの子と、せめて会話がしたいです!」
サガシノカミは、お茶をすすりながら、静かにうなずいた。
「わかった。会話、か……それなら、こうしよう」
神様は、ろくろをクルクルと回し始めた。土をこね、丁寧に、ひとつの湯呑みを成形していく。やがて焼き上がったそれには、こう書かれていた。
『気まずい沈黙を強制終了できる器』
「えっ、それくれるんですか?」
「うむ。これにお茶を注ぎ、気まずくなったら飲むのだ。すると、自動的に話題が一つ、口から出る」
「めちゃくちゃ便利じゃないですか!」
「ただし、出てくるのは“器の気分”による」
「気分!?」
翌日。拓未はお目当ての女子・里紗に話しかけるチャンスを得た。机を向かい合わせて、お茶を淹れ、例の湯呑みを差し出す。
「これ、飲んでみてくれない?」
「え、あ、うん…変な味しない?」
「ちょっと渋いけど、まあまあ…ん?」
拓未の口が、勝手に開いた。
「……きのうの晩ご飯、ブリの照り焼きでした?」
「……え?」
無言。
沈黙。
「え、うち、ハンバーグだったけど?」
「ですよねー! ハハ、わかるわかる!」
(わかるわけがない!)
その後も、湯呑みは炸裂する。
「今日の雲、まるで豆腐っすね!」
「……それ、どういう意味?」
また別の日。
「カレーにマヨネーズって、アリっすよね!」
「……なしでしょ」
器の暴走により、恋は一向に進展しない。
しびれを切らした拓未は、再びサガシノカミのもとへ。
「なんかこれ、恋から遠ざかってる気がするんですけど!」
神様は、急須を振りながら言った。
「恋というのは、焼き物と同じでな。早く焼けば割れるし、丁寧すぎても味がない。お前は“自分をよく見せたい”という焦りで、器の声も聞けておらぬのだ」
「いやいや、器に耳傾けるって、どういう修行なんすかそれ…」
神様は、ふと笑った。
「だがな、器は空っぽになるほど、相手の言葉を受け止められる。次に話すときは、自分が何を言うかではなく、相手が何を言ってくれるかを楽しめ」
その言葉に、拓未は少しだけ頷いた。
そして数日後。
「ねえ、あの湯呑み、今日もある?」
と、向こうから里紗が話しかけてきた。
「えっ、あ、うん!」
「昨日の“味噌汁の味って迷子になるよね”ってやつ、ちょっと笑っちゃった。あれ、また聞きたい」
「えっ、ほんと? いや〜器のセンス、やっぱあるな!」
そう言って笑い合うふたりの間に、ほんのり湯気が漂う。
その湯気の奥で、湯呑みはじわっと光った。
今日もまた一つ、小さな恋が、美しく焼きあがろうとしていた。
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