第19章:山梨県「富士の霊気と昇仙峡の仙人」
甲府盆地を抜けて昇仙峡へと至る道は、春の霞に包まれていた。
山肌を縫うように走るバスの車窓から、アオイはまだ雪をかぶった富士の姿を見上げた。
その姿はあまりに荘厳で、どこか神々しく、まるでこの国の背骨をなしているかのようだった。
祖父の手帳には、こう記されていた。
——「富士の霊気に触れよ。仙人が遺した“導き”は、水晶の奥に眠る」
そして「古の欠片」は「水晶の欠片」。清らかさと人の願いを宿すものだという。
*
アオイは河口湖畔で、ひとりの若い女性に声をかけられた。
パワーストーンの露店を出していたその女性の名は、ミオ。
「ねえ、あなた、“何か”探してるでしょ? ただの観光客の目じゃない」
アオイは思わず驚き、苦笑した。
「まあ、旅してるんです。祖父の足跡をたどって……あなた、何か知ってますか?」
ミオは頷いた。
「数年前、あなたの祖父さんがこの辺りに来たの。『富士はただの山じゃない。人の願いが集まって、天に届く塔だ』って言ってた」
そして彼女は、アオイを昇仙峡の奥、仙人の伝説が残るという古い洞窟へ案内すると申し出た。
*
昇仙峡の渓谷は、春の新緑に包まれていた。
奇岩怪石の間を流れる清流は、ひときわ冷たく澄んでおり、その水音がまるで「語りかけてくる」かのようだった。
「ここ。仙人が修行したって言われてる洞窟。今は誰も入らないけど、うちの家系は代々、ここの“気”を感じてきたの」
ミオが指差す岩陰の洞窟は、苔むし、わずかに口を開けていた。
アオイは手帳を開き、欠片を取り出す。
——カラン。
水晶のような音がして、足元の岩の間に、透明な破片が光っていた。
「これが……“水晶の欠片”?」
拾い上げたその瞬間、虹色の欠片が淡く震え、洞窟の奥から冷たい風が吹いた。
——ゴォォ……
それは風ではなかった。霊気——大地の奥から立ち上がる“声なき導き”だった。
ミオが言う。
「……富士の霊気は、人の心に反応するの。願いが濁れば、曇るし、清ければ、澄み渡る」
アオイは、ふと胸の中が揺さぶられるのを感じた。
祖父が、どれだけの祈りとともにこの欠片を探し続けていたのか。
——今、知りたい。
洞窟の奥は、意外にも広く、まるで祠のように整えられていた。
岩肌には、古い筆跡で何かが彫られている。
——「心、静めよ。霊は語らず、響きにて導く」
ミオがぽつりとつぶやいた。
「ここ、昔は修験者が瞑想してた場所なの。富士の霊気を“心”で受け取るために」
アオイは、水晶の欠片と虹色の欠片を重ねて両手で包み込むように持った。
すると、身体の芯に透明な光が流れ込む感覚が走った。
*
霧の中、アオイは白い峰に立っていた。
視界を覆うのは、一面の雲と、足元から吹き上げる清らかな風。
そこに、白い衣を纏った仙人が現れた。
年齢も性別も分からない。だが、その存在には、どこか懐かしさと安心があった。
「——汝、自らを探し続けるか?」
声は音ではなく、心に直接届くものだった。
「……はい。祖父の残した道を、辿っています」
「されば問う。“願い”とは何か?」
アオイは答えを探した。けれど口をついて出たのは、自分でも意外な言葉だった。
「……誰かのために、何かを残すこと。……それが“願い”じゃないかと思います」
仙人は、ゆっくりと頷いた。
「よい。ならば、おまえは“導く者”となれ。“欠片”は、ただの力ではない。人の心が積み重ねた“祈り”の集まり。それを正しく束ねる者が、最後に“扉”を開く」
*
視界が戻ったとき、ミオがそっと水を差し出してくれた。
「……見たのね?」
アオイは深く頷き、欠片を手帳の間にそっと挟んだ。
「霊気って、ただの自然現象じゃない。人の想いに、ちゃんと応えるものなんだ」
ミオはふっと笑った。
「私ね、ずっと不安だった。パワーストーンなんて、気休めかって。でも、やっとわかった気がする。誰かがそれを“願い”として大切にしてくれるなら、意味はあるって」
アオイは、手帳の一頁を開き、こう記した。
——「山梨:富士の霊気と昇仙峡の仙人」
*
山を下りる途中、ミオが最後にこう言った。
「あなたが旅を終える頃、世界は少しだけ“静か”になってるかもしれないね。……心の奥が、ね」
アオイは、そっと彼女の言葉を胸にしまった。
そして、次なる地へと歩みを進める。
——「穂高の神々と蕎麦の里の知恵」
長野、北アルプスが待っている。
(第19章:山梨県「富士の霊気と昇仙峡の仙人」完)
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