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第4話「天才、まさかの中学生になる」

 その日、校長室の会議テーブルには、不思議な三人が揃っていた。
 一人は、やけに疲れた顔をした理科教師・松井。
 一人は、全身に知識のオーラをまとう古代ギリシャ人・アルキメデス。
 そしてもう一人は——、公立○○中学校の校長である、眉毛の太い小柄な初老の男だった。
「……つまり、この男が“アルキメデス本人”であると?」
「はい……その可能性はゼロとは言えません。言動、知識、数式の扱い、そして異常なまでの“浮力愛”を見れば……」
「いや、そこ浮力だけで判断するのはおかしいでしょ」
 校長が頭を抱える中、アルキメデスは手元の「日本地図帳」をじっと見つめていた。
「この国は……島国なのか? 水に囲まれておるな……ならば、浮力の重要性はなおさら高い……」
「またそれ!? 今は入学の話をしてるんですよ!」
 —
 結局、住民票も戸籍も何もない“正体不明”のアルキメデスに対し、学校側は「特別生徒」としての仮入学を提案することになった。
 戸籍不明→特例措置で“古典文化交流生”扱い

 年齢不明→松井のクラスに合わせて“中学2年生”編入

 保護者不在→松井が一時的に“学習支援担当”

「異議なし。我、ここに入学を受け入れる。知の泉を求めて、我はここに来たり」
 校長は言った。
「この時代に、知の泉なんて呼ぶ人、あなたしかいませんよ……」
 —
 こうして始まった、“中学生アルキメデス”の新生活。
 真新しい制服は、丈が足りず、ズボンが七分丈になっている。
 白いシャツの第一ボタンはとめられず、学ランの袖口からは白い布(昔のローブ?)がチラチラ見えている。
「なんか……ちょっと貴族っぽくてズルいな……」と生徒に言われる始末。
 —
 初日の授業。教室のざわつきは想像以上だった。
「マジで来た……あの人」「なんで大人?」「てかその髪型、映画の魔法使いか?」「いやでも、なんか話してるとやばいんだよ、数学が」
 担任は紹介した。
「今日から、このクラスに特別転入生が来ました。“アルキメデスさん”です」
「“さん”つけるの!?」「えっ、“くん”じゃないの?」
 教室内に失笑が広がる中、アルキメデスは真面目な顔で黒板に近づいた。
「わたしはアルキメデス。古の地・シラクサより来たりし数学者である。ここにおいて、真理を共に探究する者たちに、わたしは誓おう。——たぶん、すぐに慣れる」
 なぜか拍手が起きた。
 —
 そして問題の「数学の時間」がやってきた。
 担当の先生が黒板に書いたのは「三角形の内角の和」の説明。
「三角形の内角の和は180度であることを証明しましょう。では、平行線を引いて——」
 そのとき、アルキメデスが立ち上がった。
「違う!」
「え?」
「正確には、“ユークリッド幾何においては”そうである、だ。わたしの記憶では……もっと深い定義がある」
 そう言って、チョークを握ると黒板にすらすらと別の三角形を書き出し、「球面幾何」「非ユークリッド」「内角和が180度を超える場合」などの話を始めてしまった。
「いや待って、そこまで行くと高校でもまだ教えない内容だから!」
 先生が必死に止めるも、黒板はすでに上下左右びっしり。
 生徒の一人がぽつりと呟いた。
「……ねえ、もしかしてこの人……めちゃくちゃすごいんじゃない?」

 授業終了のチャイムが鳴っても、教室には誰も立ち上がらなかった。
 黒板の前に立つアルキメデスは、まだ語っている。
「……このように、もし空間が球状であるならば、三角形の内角和は常に180度ではない。これは単なる図形の性質ではなく、宇宙の構造そのものに関わる命題なのだ。……以上である」
 黒板には、ギリシャ文字と図形が混在する謎の数式。
 生徒たちはポカンとしながらも、妙に神妙な顔つきで見つめている。
「……先生、今のって、宇宙の話だったの?」
「うん……多分、宇宙の話……あと、三角形がでかくなると角が変わるってこと……?」
「すごくない? なんか、わかんないけど、すごくない?」
 ざわざわと声が上がる中、担任は困った顔で言った。
「じゃ、じゃあここで……えっと、アルキメデスくんの話は今日はここまでにしましょうか……」
「ふむ、そうか。では、残りはまた後日にしよう」
 淡々とチョークを置いて席に戻るアルキメデス。
 その背筋はまるで、「哲学の石柱に刻まれる者の如し」だった。
 —
 昼休み。
 クラスの人気者である佐伯が、恐る恐る話しかけた。
「なあ、アルキメデス……くん?」
「うむ、なんだ?」
「さっきのさ、黒板の話……あれって、教科書には載ってなかったよな? ていうか……本当にお前ってさ、“本物”なの?」
 その問いに、アルキメデスはしばし考えた。
「わたしが“本物”かどうかは、わたしにもわからぬ。ただ……この時代に目覚め、教科書に我が名が記され、そして教室に呼ばれた。それが事実であるならば——きっと何か意味があるのだろう」
「なんか、よくわかんないけど、かっけえな……」
 佐伯は笑いながら言った。
「よし! じゃあお前、今日から“数学の番長”って呼んでやる!」
「番長……?」
「強いやつのこと! ていうか、数式の殴り合いなら誰にも負けなさそうだしな!」
 笑いながら肩を叩く佐伯。それに少し驚きながらも、アルキメデスはまんざらでもなさそうな顔で頷いた。
「ふむ……“番長”か。悪くない称号だな。ギリシャにはなかった概念だが、響きは好きだ」
 —
 その日の放課後、校舎の前で女子生徒が言った。
「なんか、アルキメデスって……めちゃくちゃ昔の人なのに、今ここで生きてるってすごいよね」
「うん。ていうか、すごい昔の人なのに、数学の話が全然古く感じないんだよなー」
 その声は、そっとアルキメデスの耳にも届いていた。
 彼は小さく微笑む。
「時を越えて、我が知が受け入れられるというのは……誠に、嬉しいものだな……」
 —
 その夜。寮の部屋で一人。
 机の上に広げた数学ドリルを前に、アルキメデスは呟いた。
「ふむ。だが、今のわしにとっては……この“連立方程式”というやつが、最も手強いかもしれぬな……」
 彼の手元には、「基礎から学べる中2数学」——
 そして、ページの隅にひらがなで書かれた「Easy!」の文字が、どこか誇らしげに見えた。
(第4話 完)


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