『7時半の男』
午前7時29分。目覚まし時計が無慈悲に鳴り響く。
「……ふぐっ、あと……あと30秒……」
男はその場でゴロゴロと転がりながら懇願するようにまぶたを閉じた。
だが、それが間違いだった。
次に目を開けたとき、時計は無情にも「7:52」を示していた。
「やばい、また7時半を通り過ぎた……!」
男――中原隆、34歳、会社員。
遅刻の常習者。だが、彼にはひとつだけ譲れないこだわりがある。
「俺は、7時半に起きたいんだ!」
別に8時でもよくない?と誰もが思うだろう。だが、彼は違う。
「7時半が、人生の最適起床時間なんだよ……っ!」
というのも、過去に「7時半ぴったり」に起きた日はすべて、
・電車で座れた
・上司が出張で不在だった
・ランチにありつけたラーメン屋が空いていた
など、「幸運の連鎖」が発生していたという。
「7時半、それは俺の運命スイッチなんだ……!」
そう信じて疑わない中原は、今日も戦っていた。
だが、寝起きの神は非情である。
目覚ましを7:30にセットすれば、なぜかトイレに起きるのは7:28。
スヌーズ機能を使えば、なぜか二度寝して7:43。
「なぜ……なぜ7時半だけ、避けてくる!?」
そしてある朝、中原はついに暴走する。
「こうなったら……寝る前に7時半に起きてるって言い聞かせるしかない」
いわゆる“自己暗示”というやつである。
「よし……俺は7時半に起きる……起きるぞ……起きるんだ……お……き……」
Zzz...
──そして翌朝。
目を開けた瞬間、枕元の時計が目に入った。
「7時、30分、00秒」
「キターーー!!」
ついに成功した。念願の7時半起床。
「やったぞ!自己暗示、最高だ!」
と、ガッツポーズをした瞬間。
「ピピピピッ!」
枕元のスマホが鳴った。メール通知だ。
【本日:台風の影響により全線運休。テレワーク推奨】
中原、崩れ落ちる。
「……7時半、無駄じゃん……」
さらに悪いことに、家のネットが不安定。会議にログインできず、
「参加してたことにしてください……!」と必死にチャット。
運命スイッチ、壊れてた。
次の日から中原は、少しだけ目覚ましを遅らせた。7:35に。
「少しずらすことで逆に運命が転がる……!」
すると今度は、寝坊が怖くて6:55に目が覚める。
「……もうどうすればいいんだ……!」
そして運命の月曜日、彼はついにある秘策を実行する。
目覚ましを7:30にセットし、6:00に起きる。
そして、時計の前でこう構える。
「見届けてやる……俺が、7時半を……!」
じっと時計を見つめる。秒針が刻む音が部屋に響く。
7:29、58秒、59秒、そして――
「7:30!」
「うおおおお!俺は今!リアルタイムで7時半を体感したぞ!!」
その直後、電気ポットのコードに足を引っかけて熱湯ぶちまけた。
「ぎゃあああ!神よ!何が試練なんだよこれは!!」
結局この日、中原は病院に行く羽目になった。
だがその待合室で、彼は出会った。
待っていたのは、保険会社勤務の女性・綾子。
「うっかり朝、味噌汁ぶちまけて火傷しちゃって……」と笑う彼女に、中原は妙な共感を抱いた。
「それ、7時半……?」
「ピッタリ。なんでわかったの?」
「同じ境遇のニオイがするから……!」
彼らはなぜかその後、喫茶店で“7時半という神秘”について語り合った。
「やっぱり7時半って、いろいろ起きる時間なんです」
「むしろ、起きることが起きる時間なのかも」
「ちょっと何言ってるかわからないけど、そういうの好きです」
7時半に目覚めたことで、人生が少しずれた。
でも、ズレたその先に、面白い何かが待っていた。
それから中原は、起床時間を7時32分にした。
「7時半を見送ることで、余裕を持って生きよう」
そう言いながら、今日も秒針を見つめている。
「あと1分で、神が通る時間だ」
そんな中原の朝には、今日も特別な空気が流れていた。
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