父、オンライン会議という戦場へ出陣す
月曜の朝、私の部屋に突如として父がやってきた。
格好はジャージ、手にはマグカップ、顔には妙な決意。
「娘よ。Zoomの入り方を教えてくれ」
きた。
ついにこの日がきてしまった。
昭和育ちの父が、令和のオンライン会議に挑もうとしている。
数日前、父(公務員)は研修で「リモート参加可」という案内を受けたらしい。
「それで家で仕事できるならええやん」と軽く言ったら、
まさか参加する気になるとは思わなかった。
まず、父が座る。
パソコンを開く。
既にここで苦戦が始まる。
「娘よ、なぜ画面が真っ暗なのか」
「父上、まず、電源入れてください」
ボタンを押す手が震えている。
無事に起動。
次はZoomのアプリを開く。
「なぜ“ズーム”などという名前なのだ?」
「それは私も知らん」
「『遠い=ズーム』ということか?」
「……まぁ、たぶん」
会話が既に哲学。
ログイン画面で止まる。
「娘よ、メールアドレスを入力するのだな?」
「そうですね」
「では入力するぞ……」
と言ったまま、父がなぜかローマ字入力で“メーアドレス”とタイピングし始めた。
「いや父、それは“メールアドレス”そのものを打ってください」
「む……メール……」
父、ここで記憶が飛ぶ。
「なんだったかな……@マークの後が思い出せん……」
「gmailです」
「爺mail?」
やめろ、未来の名称みたいに言うな。
ようやくログイン。
「入室前の名前を入力してください」と表示された。
父が慎重にキーを叩き始める。
「おとうさん(漢字)です。」
「ちょ、ちょっと待ってください父上。“おとうさん”って名前で入室するつもりですか?」
「わかりやすくていいやろ。娘から見たら“おとうさん”やん」
いや、他の参加者もいるんですよ!?
公務員の研修で「おとうさん」って誰やねん!
「せめて本名にして!フルネームで!」
次。
音声チェック。
「娘よ、声は届いておるか?」
「まだ会議始まってないです」
「なぜワシの声を届けさせてくれぬのか……」
いちいち語りが時代劇。
ようやく接続成功。
画面に参加者の顔が次々映る。
そして父。
なぜか自分の顔が上下逆さま。
「娘よ、これは呪いか……?」
「いやカメラ逆に付けてるだけです」
研修開始。
私は隣で見守り、何も口を出さないようにしていた。
父はメモ帳とペンを用意して、姿勢を正し、
画面の中の講師に向かって、うなずき、うなずき、またうなずく。
……音、ミュートのままやけどな。
そして悲劇は起きた。
「では次に、○○市の××課、田中さん。ご発表をお願いします」
父の顔がこわばる。
「た、田中……ワシやないか」
「ミュート解除して!しゃべって!」
「どのボタンじゃあああ!!」
パニックの中、父がなぜか画面共有ボタンを押した。
瞬間、Excelの家計簿ファイルが全画面で映し出された。
「おい!これは違うぞ!なんだこのレシートの羅列は!」
「これお母さんの食費ファイル!!」
全国の参加者に、我が家のジャガイモ購入履歴が晒される。
「切れ!共有を切れ!」
「娘よ!どうやって!」
「だからその赤いボタンを押すの!」
「これか!?(退出)」
接続切れた。
完全に退出した。
沈黙。
父、ゆっくり振り向いた。
「……出陣、失敗じゃったな」
その後。
父は自らZoomアカウントを削除し、
「わしには対面が向いとる」と言い残して
次回の研修に電車で向かった。
帰宅後、私は一応聞いた。
「どうだった?」
父は、風呂上がりのビールをぐいっと飲み干し、
「……リアルは、音声ミュートにならんからな」
とか言ってた。
それを求める会議もあるけどな!
(End)
いいなと思ったら応援しよう!
楽しんでいただけることが一番の喜びです。いつもご覧いただき、ありがとうございます!これからも、皆さんと一緒に素敵な時間を共有できるように、より一層努力していきます。