山をなめるな、でもなめてみた
高橋豪(38歳)は、都会の片隅で働く中間管理職だ。
日々、部下の「いやそれ、やる意味あります?」に心を折られ、
上司の「おまえ、まだいたの?」で気力を奪われていた。
そんなある日――
「俺、山登るわ」
突然、そう決意した。理由は特にない。強いて言えば、「登ったら何か変わるかもしれない」という希望的錯覚。
向かった先は、標高1,200mの「ゆるゆる岳」。
名前のわりに、登山客は少ない。なんでも「途中に伝説の“心が折れる坂”がある」とか。
準備したのは、近所のスポーツ用品店で買った初心者セット。
・ザック(タグつけっぱなし)
・登山靴(サイズミスで右がやや浮く)
・カロリーメイト(塩味しか買えなかった)
・勇気(曖昧)
そしていざ登山口。
「なんか……想像より草木が多いな」
※山です
最初の30分。快調だった。
「これ、都内の通勤より楽じゃん!」と笑っていた。
しかし、45分後――
「ヒザが……ヒザが裏切ってる……!」
すでに足がガクガク。息は「ぜーはー」の中間、つまり「ぜーは」だ。
それでも彼は進んだ。
なぜかって?
看板に「ここで戻るとダサいゾ」と書いてあったから。
登り始めて2時間。
ついに現れた「心が折れる坂」
傾斜37度、足場グズグズ。何より、坂の上から老婆が一人下りてきている。
「もう少しだよ……ふふ……私は12回目……」
言い残して下っていった。
その後ろ姿に、高橋はなぜか「山のラスボス」を見た。
登頂直前、高橋は道に迷った。
地図を見ようとしたが、スマホの電波が「圏」しか表示されていない。
「ここが……文明の終端か……」
そして発見した分かれ道。
一方は「こっちが山頂」、もう一方は「温泉 → 徒歩15分」
迷った末に、彼は叫ぶ。
「俺の山頂は温泉にあったんだああああ!」
登頂を放棄し、温泉へダッシュ。
足湯でぷくぷくしていると、隣にさっきの老婆がいた。
「やっぱり来たね」
「えっ」
「みんなあの坂で自分を試して、温泉で自分を許すのよ」
なんだその格言。染みる。
帰り道、下山ではなく下宿に向かう高橋。
実はこの山、ふもとに激ウマ蕎麦屋があるらしい。
「なんかもう、これでいい気がする」
登山で得た教訓は――
「山に登るのも下りるのも自由。温泉は裏切らない」
その後、高橋は会社でこう言った。
「山、登ったんで、有休取ります」
誰も反論しなかった。上司すら「おまえ……山に行ったのか……」と一目置く。
登山とは、社会的説得力を得る手段である。
たとえ温泉で終わっても。
いいなと思ったら応援しよう!
楽しんでいただけることが一番の喜びです。いつもご覧いただき、ありがとうございます!これからも、皆さんと一緒に素敵な時間を共有できるように、より一層努力していきます。