第109章 調布市:チョウフノカミの願い
京王線・調布駅の改札を抜けてすぐ、謎の貼り紙があった。
《映画の神様、ただいまロケハン中。願いは、ドラマチックに叶えます》
「……誰だよこれ貼ったの」
会社帰りの壱琉は、コーヒー片手にそれを眺めながらため息をついた。映像制作会社でAD(アシスタントディレクター)をしている彼は、今日も朝からロケバスを追いかけ、監督のコーヒー(砂糖7:ミルク2)を間違えて投げられたばかりだ。
「願いが叶うなら、俺の人生ごと編集してくれよ。エンドロールからでいいから」
そうぼやいた瞬間、彼のスマホに通知が来た。
《🎬「トチョウ・オブ・ザ・デッド」第2話、監督から再撮指示来ました》
「うわ、ゾンビ再撮かよ……また血のり100リットルの地獄絵図……」
その夜、調布飛行場の脇にある“何かを祀ってそうなベンチ”に座っていた壱琉の前に、ひとりの神様が現れた。
「願い、叶えに来た。クランクイン☆」
「は?」
「私はチョウフノカミ。映画と飛行場をこよなく愛す者」
「なぜ飛行場……」
「……画になるから」
よく見ると、神様は映画監督そのものだった。黒いタートルネックに黒メガネ、手にはメガホン。腰には小型のカチンコ。
「君の願いは、“人生を編集してエンドロールから始めたい”。その演出、私が引き受けよう」
「いや、あれは比喩で――」
「さあ!人生の再撮だッ!」
カチンコが鳴った瞬間、壱琉の視界はホワイトアウト。
気がつくと、彼はなぜか白黒の画面にいた。
モノクロームの街、スローモーションの通行人、鳩がやたらと飛ぶ。
「え、なにこれ――」
《BGM:ピアノの旋律(切なめ)》
《字幕:壱琉、静かなる運命に抗う》
「いや、急にサイレント映画っぽくなるなよ!」
場面はコロコロ変わった。
・昼休みにカレーうどんを食べようとするも、シャツにこぼして絶望するカット(ズーム多用)
・駅の階段で転び、手帳と夢を一緒に落とすカット(スローモーション)
・帰宅途中、柴犬に慰められるシーン(BGM:オーケストラ感涙系)
壱琉は叫ぶ。
「もっと……もっと普通に撮ってくれ!!」
だが神様はうっとりとつぶやく。
「何を言う、君の人生、名作じゃないか……!」
その後も、壱琉は勝手に“日常映画”の主役として演出され続けた。
会社で電話応対するとき、BGMが突然「サスペンス風」。
ロケバスに乗り遅れそうになれば、唐突にCGで爆破が起こる。
クライマックスでは、ロケ現場の倉庫にゾンビのエキストラが30人突入し、「感情の解放」として謎のダンスが始まる。
――そして壱琉はついにブチ切れた。
「こんなの、ドキュメンタリーじゃなくてフィクションじゃねぇか!!」
……静寂。
チョウフノカミはメガホンをそっと下ろし、言った。
「では、聞こう。君にとって、良い“映画的な人生”とは?」
壱琉は息を整え、答えた。
「うまくいかなくていい。けど、俺が“撮ってる側”でいたいんだよ。裏方でも、誰かの物語を支えてるって感じが、俺は……好きなんだよ」
神様はゆっくりとうなずいた。
「……名シーン、いただきました」
次の朝。
壱琉はまた現場へと走っていた。
ゾンビの血のりは手につき、監督の注文は相変わらず難解。
だけど、ふと見上げた空に、飛行機が一機、優雅に舞っていた。
その瞬間、彼の耳にだけ、誰かのナレーションが届いた気がした。
《この男、裏方。でも、ドラマの影には、いつも彼がいる――》
「……いいから編集してる暇あったら、俺の靴、乾かしてくれ」
──完──
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