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「また戦争の話か」と思っていた

父方のじいちゃんは、茶碗にご飯粒を一粒残しただけで怒る人だった。

白のランニングシャツにトランクス姿で家の中をのそのそ歩き、食後には自分の入れ歯をお茶で消毒し、しょうもないギャグを飛ばしまくるひょうきんなじいちゃん。けれど、食べ物を残したときだけは別だった。

ある日、茶碗についていたご飯粒を指摘されて面倒くさくなったわたしは、「うるさいなぁ」とご飯粒を一粒、じいちゃんに向かってピーンと弾き飛ばしてしまった。その瞬間、じいちゃんの顔が般若へと変身。白シャツトランクスの般若に家中追いかけ回され、特大の雷を落とされた。

そんなじいちゃんは、いつも食事の最後になると茶碗にお茶を注ぎ、残ったご飯粒まできれいに啜っていた。食べ物を残すことに厳しかったが、自分の茶碗にも一粒たりとも残さなかった。

戦前生まれのじいちゃんは、戦争中に中学生だった。早くに父親を亡くしたため、中学生にして一家の大黒柱として働き、貧しい中で幼い弟たち三人を養ってきたそうだ。戦後には自ら会社を立ち上げて家族を支え抜き、そのおかげで初孫だったわたしはたっぷり可愛がられ、不自由なく育つことができた。

食卓でご飯を食べながら、じいちゃんは口をくちゃくちゃさせて、よく戦争の話をしていた。

戦況が悪化するとさらに貧しくなり、お腹を満たすために水ばかり飲んでいたこと。さつまいもが嫌いなのは戦時中にそればかり食べさせられたからだということ。空襲のとき防空壕に飛び込んだ話。いつも同じような話を聞かされ、子どものころのわたしは「げっ、また始まった」とうんざりし、適当に聞き流していた。

​そんな無関心さのまま迎えた小学生の夏休み、親に連れられて広島の原爆ドームを訪れた。原爆ドームを指差して話す親の声に耳を傾けるふりをしながら、「へぇ~」とかそれらしい相づちを適当に打つ。せっかくの夏休みなのに楽しいところへ連れていってくれない不満から、ふてくされていたのだと思う。平和記念資料館の展示物は怖くてほとんど直視できず、ずっと床を見ながら歩いていた。

最後に「原爆の子の像」の前で折り鶴を捧げた。そして、原爆の子の像を題材にした「つるにのって」という本を買い与えられ、夏休みの読書感想文を書くよう言われた。自分の好きな本で書けないことが不満だったものの、小説好きの母によるスパルタ指導もあり、その年も賞をもらうことができた。いつもわたしを褒めてくれていたじいちゃんは、このときは表彰状を入れる立派な額縁を買い、応接室に飾ってくれた。けれど当時のわたしは、それでも戦争に関心を持てずにいた。

大人になるにつれ、目をそらしたままではいられなくなっていった。
鹿児島の知覧特攻平和会館で、若者が家族に宛てた遺書をたくさん読んだ。遺影もあった。そこには確かに生きていた人がいて、あっけなく命を落としていったのだ。人間を爆弾にする人間の怖さで、ずっと吐きそうだった。
その後も、広島や長崎、舞鶴などへ何度か足を運んだ。

最近、戦争のニュースを見るたびに、じいちゃんが生きていたら何て言うのだろうと考える。

防空壕の中はどんな様子だった?どれだけ怖かった?さつまいもばかり食べる生活はどれほど大変だった?いつもお腹を空かせていたの?戦争が終わった日、どんな気持ちだった?
聞きたいことばかり思い浮かぶ。あんなに何度も語りかけてくれていたのに、わたしは耳を傾けることができなかった。

今、一番話を聞いてみたい人は、もういない。あの年、じいちゃんがとりわけ喜んでくれた読書感想文のことを、今になってよく思い出す。

じいちゃんが亡くなってから、ご飯粒のことでわたしを叱る人は誰もいなくなった。それでも茶碗に残った一粒を見つけると、箸で拾って口に運ぶ。それだけは、わたしの中に染みついている。




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