わたしは50円玉を拾わない
出勤途中。
道路に落ちていた
50円玉を見つけた。
身体が反応する。
腰を屈めた。
止まった。
拾うのをやめた。
以前のわたしなら、
迷わず財布に入れていた。
「今日はついてる。」
そんなふうに
思っていた。
理由はわからない。
ただ、
手が止まった。
5年前のことを
思い出した。
わたしは財布を拾った。
中には、
現金8万円と
身分証が入っていた。
当時のわたしは、
喉から手が出るほど
お金が欲しかった。
交番へは向かわず、
トイレで財布を開いた。
現金を見た。
就労証明書を見た。
また現金を見た。
また就労証明書を見た。
それを、
15分ほど
繰り返した。
「これは、
神様がくれた
助けじゃないか。」
本気で
そう思った。
就労証明書には、
落とし主の名前があった。
どこかで働き、
暮らしている。
その人の生活を
想像した。
急に怖くなった。
交番へ向かった。
ちょうど、
落とし主も来ていた。
アルさん。
28歳。
ベトナムから
働きに来ていた人だった。
財布が見つかったことを、
心から喜んでいた。
何度も
頭を下げられた。
何度も、
お礼がしたいと言った。
心のどこかで、
謝礼を待っていた。
もらえないのなら、
早く帰りたい。
そんな自分がいた。
わたしは、
人生経験だと
割り切った。
最寄りの
焼き鳥屋を指さした。
仕事のこと。
故郷のこと。
家族のこと。
二年働いたら、
国へ帰ること。
たどたどしい日本語で、
一生懸命
話してくれた。
ビールは冷たかった。
でも、
美味しい一口とは
ほど遠かった。
目の前の人は、
何度も感謝している。
その横で、
わたしはまだ
謝礼を期待していた。
そのことが、
苦かった。
電話番号を交換した。
結局、
一度も連絡は
取っていない。
あれから数年。
会社では、
ベトナム人の雇用が
進んでいる。
もし今、
財布を拾ったら。
中身を確認することなく、
交番へ向かえるだろうか。
わたしは、
少しは
変われてきている。
そう感じた朝だった。
