漫画家アシスタント物語 古い話で章 〈27〉 〇沢きみお先生と同期デビュー
《 写真上: 池袋にある『芸術劇場通り』を椎名町方向から撮影。およそ芸術劇場とは無縁な通りには風俗や飲食店の入る雑居ビルが並び‥‥ 》
< この「古い話で章〈27〉」は、文庫本約8ページ分 >
「古い話で章」は、独立した「章」ですので、「諦めま章」の続きではありません。 無料で、各話、お楽しみいただけます!
ただし‥‥ 各話が連続していますので、「古い話で章〈1〉」からお読みいただく方が、よろしいかと思います。
はじめての方は、「マガジン:第1章、第2章」(無料)がお薦めです!
その50
《 漫画家アシスタントが・・・自分のデビューに驚く!? 》
「 デビュー?‥‥‥‥ そう言えば‥‥‥‥ したね 」
ゴミ屋敷のような4畳半で、ゴキブリとムカデを飼育(?)しつつ漫画家になる事を夢見るウイタさんも、秋山プロに入ってから丸5年が過ぎていました。
風呂嫌い、洗濯嫌い、長身に長髪で人を寄せ付けない暗い人柄、才能があるんだかないんだか、サッパリわからない‥‥‥‥‥‥
‥‥こんな人がホントにデビュー出来たのだろうか?
そんな疑問も残る‥‥‥‥
いや、ひょっとすると氏の話は嘘かもしれないと‥‥‥‥
でも‥‥ そんな嘘ついても余計にみじめになるだけだし‥‥‥‥
私は、すっかり白髪頭になったウイタさんの話を聞きながら( つい )失礼な事を考えてしまいました‥‥‥‥
でも‥‥ 確かにデビューしたのは本当のようです‥‥‥‥
それも、ジョージ先生の一番弟子であると同時に、一番最初にデビューしたのがこのウイタさんだったのです。
よほど人材に恵まれなかった秋山プロだったのかどうか‥‥‥‥ とにかく、1974年前後に他のスタッフ( ※参照 )よりも早くデビューするわけです。
ジョージ先生の弟子になってから約6年目( 1975年 )。ウイタさんが23歳の時です‥‥‥‥
当時先生は、盛んに若い弟子たちに作品を見せに来るようにと励ましていました。
ギャグ漫画が好きなウイタさんは、数本の作品を見てもらっています。
他のアシスタントも同じように漫画原稿やネーム( 漫画シナリオ )を持って行っていましたが‥‥‥‥ 何度もダメ出しされるうちに描かなくなってしまうのです。
しかし、ウイタさんは諦めずに先生に向って行きました。
画風は、当時有名だった〇山光輝先生( ※参照 )の画風に似たキャラクターでギャグ漫画を描き続けていました。
いつものように持って行った作品(16ページ)ですが‥‥‥‥ 意外にも先生が褒めてくれたのです‥‥‥‥‥‥
そのまま原稿を預けて数日‥‥ 何も知らされぬまま時は過ぎ‥‥‥‥
その間、先生は独断で漫画雑誌「ジャンプ」の増刊号に掲載を推薦してくれていました。
『 月刊少年ジャンプ』の別冊は集英社の雑誌で、当時「 新人特集 」をやっていました。 受賞した4人の新人の中の一人として掲載が決まったのです。
が‥‥‥‥
描いた本人は‥‥ それを、知りませんでした。
だから‥‥
「 おめぃ~の漫画、新人特集に出るから 」
‥‥と、告げられてビックリしたのはウイタさんです。
「 全15ページ、載るからな 」
「 ‥‥ええっ? 」
ウイタさんの描いたギャグ漫画がデビュー作になった瞬間です。
ちなみに、この受賞者「 4人 」のうちの一人が〇沢きみお先生( 後に『 翔んだ〇ップル』〇談社でブレイクする )
つまり、〇沢先生と同期でデビューしたわけです。
私は、それを知りませんでしたから、改めて秋山プロの先輩であるウイタさんを刮目して見つめます‥‥
「 23歳でジャンプ系の雑誌でデビューなんてスゴイじゃないですか! 」
「 そんな事ないよ。 当時の『 少年ジャンプ 』なんてマイナー雑誌で、全部新人ばっかりだったし‥‥ 」
「 それで、担当の編集員とはどんな話を? 」
「 担当? 知らない。 会ってない 」
「 編集部へ行ってないんですか? 」
「 編集? 行ってない。 全部先生がやってくれた 」
そして、この輝かしいデビュー作品が‥‥ そのまま最後の作品になってしまいます‥‥‥‥‥‥

その51
《 漫画家アシスタントが・・・デビューして終わる!? 》
「 40年前の若い頃のウイタさんって、きっと‥‥ 自信にあふれていたんじゃないですか? 」
「 いや、全然‥‥‥‥ だってね、地味な作品だしさ 」
「 地味‥‥‥‥? 」
「 そう、新聞記者の話‥‥‥‥ 」
ウイタさんは、デビュー作品について話し始めてくれました。 もっとも、今では原稿も雑誌も散逸してしまっています。
昔の漫画ですので、ウイタさんの記憶も、若干あいまいです‥‥‥‥( この取材のすぐ後で当時の資料が見つかります )
「 キャラもイマイチだし、話もたいした事なかったよ 」
「 新聞記者の話って‥‥‥‥ そのタイトルはどんな? 」
「 ‥‥‥‥え、タイトル?‥‥‥‥‥‥ハッスル記者 」
「 アハハハハ‥‥‥‥ 」
「 何が可笑しいの? 」
「 なんだか、素朴な感じが! 」
「 汚い家に住む科学者に取材に行くんだけど‥‥ 廊下の穴に落ちたりとかするの‥‥ 」
「 く‥‥ くだら‥‥‥‥ 」
( 二人爆笑 )
「 だから連載は無理 」
「 でも、くだらない‥‥‥‥ いや、くだらな過ぎて面白い! 」
このデビュー作品「 ハッスル記者 」( 15p )の原稿料は、編集員ではなくジョージ先生から出版後に受け取ります。
「 この間の‥‥ あれぃ 」
そう言って渡された茶封筒の中には、稿料の約3万円ほどが入っていました。
ウイタさんは、帰宅する時に最新式の湯沸かしポットをお母さんに買って行ったそうです。 昔は、フタを取ってそそぐだけの魔法瓶しかない時代でしたから。
先生は、デビュー作が集英社の「 別冊少年ジャンプ 」に掲載された頃、ウイタさんがデビュー後に沈滞するのを予想していたかのように‥‥
「 これが一生の記念になるな‥‥ 」
‥‥‥‥などと言っていたそうです。
デビュー出来るようになる前には、何本ものネーム( 漫画の設計図・シナリオ )を先生に見せていたわけですが‥‥‥‥ 全て、先生からダメ出しされていました。
ただ、「 ハッスル記者 」という作品だけは認められたわけです。
各ページに盛り込まれたギャグのネタや、その密度やテンポの良さなどが雑誌掲載へ先生が推薦する要因になったようです。
ウイタさん自身は、あまり気にはしていないようですが、多くのギャグのネタが一生懸命に描き込まれていて好感が持てます。( 実は、つい先日私は残された古いネームを見せてもらいました。その後散逸、申し訳ないことをしました )
「 どうすれば面白いギャグ漫画が描けるのですか? 」
‥‥私の質問に少し考え込みながら‥‥‥‥
「 どうすれば面白くなるか‥‥ 」
‥‥‥‥私の質問を、小さく繰り返した後で‥‥‥‥‥‥
「 アイデアが沢山リズミカルに繋がっている事じゃないかな 」
「 ギャグ漫画ってあまり詳しくないので、よくわからないのですが‥‥ リズムって‥‥ どんな? 」
「 小さなギャグから大きなギャグへ、また小さなギャグ‥‥ テンポ良く、ポン、ポン、ポ~~ン、とね! 」
「 ギャグのアイデアって、どうやって考えるんですか? 」
「 え‥‥ と‥‥ 人のやらないような事をさせるって事かな 」
「 それは‥‥ つまり、想像もしないような変な事を、キャラクターがするって事ですか? 」
「 普通の人が恥ずかしくて出来ない事をやらせる‥‥ みたいな。 ただ真っすぐ道を歩くんじゃなくて、谷底を歩いたり、空を飛んだり‥‥ 大げさに見せるの! 」
試行錯誤の末にウイタさんは、自分の漫画道を必死で進んでいたのだと思います。
「 一本で終わっちゃったって事は、評判が良くなかったんだよね 」
1969年、17歳で秋山プロに入り、21歳でデビューしたウイタさんは‥‥ デビュー後の低迷の中‥‥‥‥
‥‥2年ほどして秋山プロを去って行く事になります‥‥‥‥
「 漫画家アシスタント物語 古い話で章〈28〉」へつづく・・・・
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~~~ 参照 古い話で章〈27〉~~~( 読んでも、読まなくても!)
【その50】
・他のスタッフ : 1975年当時、22歳~25歳ほどの若者が2,3人、秋山プロで働いていました。
・〇山光輝先生 : 1960年代に手塚先生と漫画界の人気を二分した大御所漫画家。ロボット漫画の「〇人28号」や忍者漫画の「〇賀の影丸」は少年ファンに絶大な人気があった。
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