漫画家アシスタント物語 古い話で章〈24〉 先生は、汚れた原稿を示した!
《写真上:ジョージ先生の最初の弟子になったウイタさんが現在利用している西武池袋線の某駅、駅前ロータリーです。冷たい雨が降っています。 》
< この「古い話で章〈24〉」は、文庫本約9ページ分 >
「古い話で章」は、独立した「章」ですので、「諦めま章」の続きではありません。 無料で、各話、お楽しみいただけます!
ただし‥‥ 各話が連続していますので、「古い話で章〈1〉」からお読みいただく方が、よろしいかと思います。
はじめての方は、「マガジン:第1章、第2章」(無料)がお薦めです!
その44
《 漫画家アシスタントが・・・同じ事の繰り返しに飽きる・・・!? 》
若い頃( 1970年前後 )によく家出したウイタさんは、その放浪癖がおさまらないままジョージ先生の所に弟子入りします。
この当時も何度目かの家出をしていますが、数日で実家に戻るのでジョージ先生の仕事を週に一日しかしなくても、生活に困るような事はありませんでした。
こう書くと、なんだか相当に「 イイ加減な男 」「 C調な奴 」( 昭和のギャグ、『軽薄』の意 )に思われるかも知れませんが、まったくその通りなのです。
ただ、その事にまだ気付かないでいたのがジョージ先生だったわけです。
『 片腕が不自由なのに本気で漫画家になろうと頑張っている可愛い奴 』
‥‥‥‥そんな誤解をしていたように思われます。
ですから、面接の日にも堂々と「 週に一日だけしか仕事をしません 」( 単なるわがまま )と宣言した事を‥‥‥‥
ウイタさんの強い意志と感じたのか、やさしく受け入れてくれました。
今、普通の人( 健常者 )がこんな事言ったら‥‥‥‥
「やさしく受け入れてくれ」るかどうかは、はなはだ疑問です。
さて、ジョージ先生の最初のアシスタントとなったウイタさんの給料は‥‥‥‥ 5千円ほど。
( 1970年当時のサラリーマンの初任月給は4~5万円位 )
週に一回だけの仕事ですから、少なくても仕方がないのですが‥‥‥‥ それよりも、週に一回だけの仕事では、とてもノルマをこなせないわけで‥‥‥‥ それは大変だったと思います。
このままでは仕事が間に合わないと判断してジョージ先生は、すぐにアシスタントを追加しなくてはならなくなります。
そこでやって来たのが19歳の加川さんと16歳のKさんでした‥‥‥‥ この二人に関しては拙ブログの『 古い話で章 その12 』あたりに書いてあります。
ちなみに、ウイタさんは仕事が嫌いで週に1日しか来なかったわけではありません。( 極々軽い気持ちだったのは確かなのですが )
あくまでも漫画家になるために仕事をしているので、週に一回でも先生の後姿を見ながら仕事が出来れば十分だったわけです。
毎日、毎日、同じような仕事を繰り返す日々には耐えられなかったのです。
『 背景だけ描くために生きるなんて冗談じゃない! 』
注意していただきたいのは、ウイタさんは『 漫画家になりたい 』のではなく、『 漫画家になる 』つもりでいた事です‥‥‥‥‥‥
今でもそうなのですが‥‥ 『 漫画家になりたい 』人は、沢山いても『 漫画家になる 』つもりの人は少ないものです‥‥‥‥
さて、ジョージ先生は、始めにウイタさんには簡単な射線の練習しかさせませんでしたが、徐々に背景画や仕上げをまかせてくれるようになりました。
この頃になって、他にアシスタントが二人加わり、秋山プロも漫画家の仕事場らしい雰囲気が出てきます‥‥‥‥
ジョージ先生が描くキャラクターは、顔が真っ黒( ベタ )の場合が多く、背景よりもこの顔や体に塗るベタの方が主な仕事だったりします。( なぜか登場人物の顔が黑かった )
当然、アシスタントたちは‥‥
「 またかぁ‥‥ ベタが多いなぁ 」
‥‥‥‥などとボヤくわけです。
アシスタント同士は、仕事中に会話をする事があるのですが‥‥‥‥ ジョージ先生は、まったく喋りません。
フスマ1枚、隔てているのですが‥‥‥‥‥‥ 一言も話さないこのスタイルは、45年経った今でも同じです。
アシスタントの仕事にもすっかり慣れてき頃、仕事場に一人の少年( 中学生 )が訪ねて来るようになりました。
ジョージ先生のファンであり、漫画家志望であるために、自分の描いた原稿を持って秋山プロにやって来るわけです。
まったくの素人‥‥ 普通の中学生ですから、その画力は稚拙なものでしたが‥‥‥‥ 熱心に先生のアドバイスを聞いていました。
仕事場に勤めるようになって、半年ほどしたウイタさんに先生は言いました‥‥‥‥
「 おめぃ~は、ちっとも成長しねぃ~な! 」
確かに、背景画の技術が低レベルなまま変わらないのですから、ウイタさんは言い訳も出来ぬまま沈黙します‥‥
「 よく仕事場に原稿持って来るあの中学生だってよぉ~、少しづつ上達してるのによぉ~ 」
「 ‥‥‥‥‥‥ 」( 沈黙というより沈没 )
「 おめぃ~はよぉ‥‥ 全然、成長してねぃ~んだよっ! 」

その45
《 漫画家アシスタントが・・・先生が評価した原稿は!? 》
絵の技術とは難しいもので、呑気に同じようなレベルの絵を描いていても上手にはなりにくく‥‥‥‥ 難しい絵に挑戦して挫折や習得を繰り返してやっと少しだけ成長するものなのです。
アシスタントもはじめの3ヶ月ほどは、怒られながら辛抱して成長するものですが‥‥ 半年もすると少し慣れてきて、ダレてしまう事も多いわけです。
1年もすると先輩風を吹かしたりして偉そうな態度を見せますが‥‥‥‥ 技術的には成長が止まってしまっている事に本人が気付いていなかったりします。
ジョージ先生は、そんな状態のウイタさんに忠告をしたのだと思いますが‥‥‥‥
『 成長してねぃ~んだよ! 』
‥‥‥‥という一言はきつかったと思います。
その言葉に傷付いてから40年以上になるのに、まだハッキリとその時の事を思い出せるのですから。
特に物書きにとって、比較されるのは辛いものです‥‥‥‥ そんな事は、誰だって一度や二度、経験するとは思いますが‥‥‥‥。
18歳になっていたウイタさんにとって、中学生と比較された事は相当屈辱的だったのではないかと思われます‥‥‥‥
私は、以前、描いた原稿をS学館の「 〇ックコミック 」の編集員に見てもらった時に、師匠であるジョージ先生と比較されて‥‥‥‥
「 ジョージ先生は素晴らしいのになぁ~ 」
‥‥‥‥なんて言われてうんざりさせられた記憶があります。
1970年からは、ウイタさんと他に二人のスタッフ( ※参照 )の合計3人のアシスタントで忙しく仕事をしていました。
仕事中は、先生はまったく喋りませんし、また仕事以外のプライベートな時間でもアシスタントたちと仲良くお茶を飲むといった事もなかったのです。
黙っていれば、勉強もしない、漫画も描かない‥‥‥‥ そんな弟子たちに、たまにはハッパをかける事もありましたが、厳しい批評ばかりしていたわけではありません。
ある日、ウイタさんがいない時に先生はスタッフ全員の絵( 仕事で描いた背景画 )をデスクに並べたそうです‥‥‥‥
デスクの前に立つスタッフ最年長の20歳の加川さんと、17歳で最年少のKさん。
二人は、先生が原稿を並べて一枚一枚を比べながら語りだすその言葉に緊張します‥‥‥‥
「 この絵が一番良く描けている 」
ジョージ先生がそう言って取り上げた一枚の原稿用紙を、二人は( 加川さんとKさんは )‥‥
「 俺の絵か!? 」と思って覗き込みますが‥‥‥‥
その原稿は、加川さんのでもKさんの絵でもなく、一番汚れたウイタさんの原稿でした。
最年少とはいえ技術的には最も高いレベルだったKさんは、まったく意外( 心外 )だといった表情で先生を見つめます。
二人とも、どうして上手でもなく、手垢だらけのウイタさんの汚い原稿を「 一番よく描けている 」なんて言ったのだろうと不思議でならないわけです‥‥‥‥
加川さんもKさんも、ただ‥‥‥‥
「 はぁ‥‥‥‥ 」
‥‥とか
「 えぇ‥‥ まぁ 」
とか、不服そうな生返事を返します‥‥‥‥
『 なんで、この汚ね~絵が、一番良い絵なわけ? 』
先生は、不服そうな二人にいちいち説明はしませんでした。
ただ黙っていました。
実は‥‥‥‥
ウイタさんは、一生懸命描いたのですが‥‥‥‥ 片手で描くためにどうしても原稿が汚れてしまっていたのです。
「 漫画家アシスタント物語 古い話で章〈25〉」へつづく・・・・
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~~~ 参照 古い話で章〈24〉~~~( 読んでも、読まなくても!)
【その45】
・二人のスタッフ : 一人は19歳で秋山プロへ入った加川さん、後に独立して連載を持つが短期間で連載が打ち切られてから、随分と苦労した後にカムバックする。もう一人は、16歳で入った最年少のKさん、後に秋山プロ背景画の大黒柱になる。有名漫画家からもヘッドハンティングされそうになったほどの背景画実力者。
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