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漫画家アシスタント物語 古い話で章〈2〉 高校生は漫画道を歩き出した!

  
《 画像上:夜の目白通り、中落合辺り。 写真左のマンションの角を左折すると、44年前に秋山プロがあった小さなマンションがあります。 この写真の奥を5分ほど歩いて行くと有名な『トキワ荘』がありました。2013年10月 》
          < この「古い話で章〈2〉」は、文庫本約8ページ分 >
 
 
 
「古い話で章」は、独立した「章」ですので、「諦めま章」の続きではありません。 無料で、各話、お楽しみいただけます!
 
ただし‥‥ 各話が連続していますので、
「古い話で章〈1〉」から読みいただく方がよろしいかと思います。
 
はじめての方は、
「マガジン:第1章、第2章」(無料)がお薦めです!

 
 
 
 
               その3

 《 漫画家アシスタントが・・・弟子入りに成功した日・・・!? 》


17歳だったから出来た無茶な話‥‥‥‥ 突然、広島から東京のジョージ先生の所へ来てしまう‥‥‥‥

目白通りから少し入った中落合にあるマンションの前にテラさんが乗ったタクシーが止まります‥‥‥‥

タクシーから布団を下ろし、駐車場スペースに置いてからマクラだけを抱えて先生の部屋へ向かいます。

そこは、2DKの先生の仕事場( ※参照 )‥‥ 4畳半ほどの部屋には先生のデスクがあり、6畳の部屋は応接間になっていています。アシスタントが仕事をする場所は、別の場所( 要町のアパート )になっていました。

テラさんが、マクラを抱いてドアのブザーを押した時には、まだ、仕事中のジョージ先生は何も知りません。

ブザーの音を聞いて、ドアを開けてくれたのは担当の編集員でした‥‥

30歳位の小柄な編集員が嫌そ~な顔をしてテラさんをにらみます‥‥

『 忙しいのに‥‥ またわけの分からんガキが‥‥‥‥ 』
‥‥‥‥ってな事でも考えていたのかも知れません。

編集員は仕方なく、来客者がある事を先生に伝えます‥‥

「 先生、中学生が来てますよ~! 」

仕事を中断してジョージ先生が顔を出すと‥‥‥‥ 見覚えのない学生が一人、玄関でマクラを抱いて立っている。

『 サインでももらいに来たのかな‥‥? 』
‥‥‥‥ってな事でも考えたかもしれませんが‥‥‥‥ テラさんにしてみれば、初めて会うジョージ先生に緊張して声も出ません‥‥‥‥

ジョージ先生はサングラスをかけ、恐ろしいほどの威厳がありました。

二人を交互に見ながら編集員が‥‥‥‥
「 先生、忙しいんですから‥‥ 頼みますよ! 」

これは‥‥ 「 さっさと対応して仕事に戻れ 」という意味です。

緊張して足が震える‥‥ 高校3年生のテラさんは、年金がもらえる様になった現在の姿からは想像も出来ないほど可愛いかった‥‥!( 中学生に見えるほどカワイイ! )

「 あの‥‥ ボク~ 広島からハガキを送っていた者ですが‥‥ 」

「 う‥‥ おめぃ~か!? 」

「 ボク~ 広島から出て来ました! 」

「 えええ~っ‥‥ おめぃ~ 本当に出てきちゃったのかよ~っ!? 」

そこで、驚いた先生は、とりあえず仕事を中断‥‥‥‥
 
「 ちょっと‥‥ 出るか‥‥‥‥ 」

話をするために近くにある喫茶店「 EDEN 」へ向かおうとしますが‥‥

「 待って下さいよ! 」

編集員は、ジョージ先生に立ちふさがる様にして‥‥‥‥
 
「 先生! この忙しい時に‥‥ 勘弁して下さいよ~~っ! 」

ジョージ先生は、それを適当にあしらいながらズンズン外へ出てしまう‥‥‥‥

玄関から出ていく二人の後姿を青くなって見送る編集員‥‥‥‥
「 先生!  少しにして下さいよ~っ! 」

さらにマンションの外に出てからも、ベランダから叫ぶ編集員の声が‥‥‥‥
 
「 少しにして下さいよ~~っ!  少しに~~~っ! 」

ちなみに、この「 EDEN 」という喫茶店は、山手通りと目白通りの交差点にあって、結構おしゃれで、目立つ建物でした。( 1980年前後まであったと思います )

また、近くには有名な「 トキワ荘 」もあって、多くの漫画家( と卵たち )の創作活動、そして、編集員との打ち合わせに利用された音楽喫茶です。
 

 
 
 


目白通りと山の手通りの交差点を撮影した写真です。 画面左の赤信号の近く辺りに50年位前に営業していた音楽喫茶「EDEN」があり、 夜には赤っぽいアングラな看板が目立っていました。

 
               その4

    《 漫画家アシスタントが・・・点々に集中する!? 》


「 EDEN 」という喫茶店は、目白通りと山の手通りの交差点にありました。

ジョージ先生が仕事場にしていた中落合のマンションから歩いて2,3分‥‥

強気のテラさんは、突然東京に出て来てしまった事を後悔したり不安になったりする事はなかったのですが‥‥

さすがに、ジョージ先生から弟子入りの許可をもらうまではハラハラしていたと思います‥‥

熱心にファンレターや4コマ漫画を広島から送っていたテラさんから、その家庭事情などを真剣な顔で聞き入ります‥‥‥‥

早く両親を亡くし、親戚の家で世話になりながら漫画家を目指して独立したい‥‥‥‥

そう‥‥ 切々と訴えるテラさんにジョージ先生はハッキリと‥‥‥‥
 
「 弟子入りを許す! 」
 
‥‥と、言ったそうです‥‥‥‥ 布団とマクラを抱えて上京した甲斐があったというものです。

テラさん自身の画力は、まだ素人同然‥‥‥‥ ペンを使って4コマ漫画を描けるとはいっても、プロの背景画がすぐ描けるほどの実力はありませんでした。

それでも、最初は使い走りのような仕事からではありますが‥‥‥‥ しっかり仕事のポジションを与えてもらったわけです。

初任給2万円( 1969年当時のサラリーマンの平均初任給は3~4万円 )。朝10時から夜11時頃までの勤務。

先生の仕事場は中落合にあるマンションの一室ですが、アシスタントが仕事をするのは、豊島区千早町にある木造モルタルアパートの一室でした。

そのアパートがアシスタント共同の住居になっていたので、テラさんは、さっそくそのアパートへ向かいます。

たまたま、先生の仕事場へ原稿を取りに来ていたスタッフの一人に布団を運ぶのを手伝ってもらい、テクテク歩いて千早町のアパートまで20分‥‥‥‥

アパートは2DK、2階にあって、アシスタントの仕事場と住居が兼用になっている一室でした。

初めての仕事と新しい環境‥‥‥‥ まだ17歳のテラさんにとっては、さぞや緊張したり怖かったりしたのではないかと思うのですが‥‥‥‥

意外とリラックスしていたようです。 ただ、さすがに先生との面会では疲れていました。 それでも、弟子入りの許しを得た事の喜びと、安堵感でいっぱいでした。

1969年から70年にかけてのジョージ先生の仕事は、週刊連載漫画が5~6本という事ですから、結構忙しく、連日、締切りギリギリの状況が続いています。

ただ‥‥‥‥ それでも、徹夜はありませんでした。

売れっ子漫画家の多くが徹夜など、睡眠時間を削って仕事をする事が常態化しているのですが、ジョージ先生は、プロになってから一貫して徹夜をしませんでした。
 
「 おめぃ~たち( 弟子たち )の時間が無くなっちゃうからよ 」

‥‥と言っていました‥‥‥‥ 結構、アシスタント思いな所があります。( もう少し、給料が高いと満点先生なのですが )

さて、新入りのテラさんの仕事ですが‥‥

最初の一ヶ月は、絵はほとんど描かないで、原稿の運搬作業‥‥‥‥ ジョージ先生から原稿を受け取り、それを自分たちの仕事場であるアパートへ持って帰って仕上げる‥‥‥‥

朝10時に先生の仕事場へ行き、先生が3~4枚の原稿にキャラクターを入れるのを待つ。 それが出来上がると、原稿を持ってアパートへ向かう‥‥( 徒歩20分 )

アパートで待機するスタッフにその原稿を手渡して、また先生の仕事場へ向かう‥‥。

そして、先生からキャラクターの入った原稿を3~4枚受け取って、またアパートへ向かう。 そして、仕上がっている原稿を受け取って、先生の所へ‥‥‥‥

これを一日に3~4回繰り返す‥‥‥‥ こうして一ヶ月ほどした頃、初めてテラさんは、漫画の背景に挑戦します‥‥‥‥

「 テラさんが、初めて描いた背景って何だったか覚えていますか? 」

私が、すっかりいいオヤジさんになっているテラさんに質問すると‥‥ 44年前の事を思い出すというよりも、昨日の事を話す様に‥‥‥‥

「 覚えてるよぉ!」

「 なんですか?」

「 模様だよ 」

「 も‥‥ もよう? 」

「 点々だよ‥‥ ズボンとかの 」

「 服の模様の‥‥‥‥あの、点々ですか!? 」

「 そう、点々! 」
 

 
 

     「 漫画家アシスタント物語 古い話で章〈3〉」へつづく・・・・

                  「古い話で章〈1〉」へもどる‥‥

                        「もくじ」 へ‥‥

 
 
 
  
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