『ゲーテはすべてを言った』|第172回芥川賞受賞作品
一日一善ならぬ、一日一図書を目指しています。昨日は、こちらを読了しました。
直木賞より、芥川賞の方が好きなんですよね。大衆小説もいいですけれど、純文学の極みのような中に漂いたいときは、芥川賞作品をおすすめします。
ちなみに上の記事で、乗代さんや安堂さんのことを触れているのに、鈴木さんのことを触れていないのはお許しください。
そう、正直に言います。
『デートピア』や『二十四五』を読みたいと言いながら、実はいまだに読んでいません。私の場合、併読や乱読していると、読んでいる途中の本を「積読の山」の中(最近はデジタル積読ですが)に放置してしまうことがあります。
語弊がないように付け足すと、それらの本も必ず後から読んでいます。本に罪はありませんからね。
おそらく、「してやられているのです。」Amazonのアルゴリズムの罠にはまっているとも言えるでしょう。ネットの波の中から、新しい本を見つけて、それはもう「海底二万里」の主人公並み(おやじギャグではない)に冒険に繰り出す勢いでもあります。
閑話休題、本題とその結論に戻りましょう。
私はこの本を読んで、衝撃を受けたのです。
<<読書メーターの自分の感想より>>
途中から、これは「言葉の木」のお話なのだと感じた。聖書や哲学、そしてゲーテ、自分の教養を試されるような気分にもなった。事実、私はゲーテのことをよく知っているとは言えない。しかしながら、この作品で作者が伝えたいことは往々にして、「言葉」ということなのだと思う。言葉という木、根っこ、葉っぱ、そして枝、それになる実。あるいはその実に集まる鳥たち、すべては1つで共有されるもので、とこの1冊から感じた。いずれにせよ、これを23,4歳の方が書いたとは信じられないほどの知識量であった。ある意味、教養本でもある。
言葉の木
三分の一ほど読み進めたところで、これは書くことを通しての「言葉の木」であると気がついた、否、気が付かされたのです。
物語は、主人公の娘婿と主人公「ゲーテ学者、博把統一」との回想から始まります。そこから、すべての言葉がつながっていく豊かさと、面白さ、軌跡のようなものを全体として感じました。
読書って「これなんだよ。」というものを生み出させるというか、そんな魅力がこの本にはありました。
言葉は、すべてを越えることはないかもしれないが、ゲーテがすべてを言ったという言葉がこの小説のベースなのです。
ゲーテを通して「言葉」を見つめつづけた主人公が、作者の投影であるような雰囲気も、読み終わると納得がいくのです。
弱冠23歳が書いたとは
到底思えない、知識量と巧みな言葉遣いでした。そして、今だから理解できたとも言えます。私が彼の同級生で、この本をプレゼントされたとしても当時の私には、無理だと思います。
それくらい、読む人を圧倒させる技量と知識を兼ね備えているということです。
私が考える「ゲーテはすべてを言った」
このお話は、ティーパックに書かれていた1つの言葉
「Love does not confuse everything, but mixes. Goethe」をめぐって、ゲーテが本当に言ったのかどうかを、読者に考えさせるところが見せ所でもある。
ドイツにも、ドイツ文学にも疎い私が考える「ゲーテはすべてを言った」は、
ゲーテはすべてを言ってはいないけれど、すべてを包括して言おうとしたこと自体に意味があるのだと思います。お話の中で出てくる、綴喜が言うことに近いのかもしれないと思います。
愛はすべてを混淆させるものなのか、混然とするものなのか。
この英語を、読み初めは私はこのように訳した
「愛は、すべてを混乱させず、1つに合わせる。」
このように書くとすごく口語的で、自分の中で納得のいく言葉でもないのですが、
読み終わって最終的に考えた時に、やはり後半の「1つに合わせる」というのは、なくしたくないと思った言葉でした。
教養を試される1冊
この本は、純文学らしさを傾倒しつつ「言葉」というものを読み手に深く考えさせる素晴らしい本でした。そして、一種の教養本でもあります。哲学的な背景や、宗教的理解などがなければ、読むのは難しいと思ったからです。
久しぶりに、「読書」という「読書」が出来てとても満足でした。非常に好みは分かれると思いますが、世界を広げるという意味でも読んでほしいですね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。3月も後半に入りましたが、日々の読書を続けていきたいと思っています。みなさんのスキが励みになっています。ありがとうございます。
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