片山さつき大臣への期待――「内部を知る人」が緊縮の壁を越える可能性

日本は長いあいだ、緊縮財政と東京一極集中のなかで、地方の財源が削られ続け、疲弊してきた。私は、地方の復活は「地方への緊縮」が改まらない限り実現しないと思っている。国の財政運営が緊縮を前提に組み立てられるかぎり、地方が必要とする投資も、持続可能な行政サービスも、じりじりと後退してしまうからだ。

この流れを支えてきたのが、財務省が担ってきた「緊縮を軸に政策を積み上げる」役割だ。もちろん、財政規律そのものを否定したいわけではない。問題は、緊縮が“前提”として固定化し、それに異論を挟みにくい政治構造が強まってきたことにある。

戦後の税財政制度は、継ぎ接ぎの積み重ねで複雑になった。全体像の把握には専門知識が必要で、制度の細部まで踏み込んだ反論や対案を示すのは簡単ではない。結果として、多くの政治家は財務省の説明や、財務省に近い論理を背負った人々の言葉に対し、正面から議論を挑みにくくなる。緊縮が既定路線になりやすい土壌は、こうして作られてきたのだと思う。

だから私は、「このままでは日本は緊縮と一極集中のなかで、地方が沈み続けるだけではないか」と感じていた。さらに、財務省の論理に精通した政治家が増え、その影響力が強まっていけば、「もう誰にもこの国は変えられないのではないか」とさえ思う瞬間があった。

そんな空気が変わり始めた象徴の一つが、財務省解体デモだったのかもしれない。国民の側が、「何かがおかしい」と言葉にし始めた。政策の是非は議論が必要としても、“違和感”が可視化され、共有されるようになったこと自体が、政治に対する圧力にも、支えにもなる。

そして今、高市政権のもとで、財務省出身でありながら積極財政を掲げる片山さつき大臣が誕生した。ここに、これまでにない可能性があると私は感じている。内部を知る人間だからこそ、内部の論理がどこで硬直し、どこが説明のテクニックになり、どこが“変えられない前提”として扱われてきたのかを理解できる。そのうえで、あえてその枠を越えようとするなら――外から批判するだけでは届かなかった場所に、手が届くかもしれない。

私が片山大臣に期待するのは、単なる「積極財政」というスローガンではない。地方が生き残るために必要な財政の考え方を、国の意思として言語化し、制度と運用に落とし込んでいくことだ。緊縮を自明の前提にせず、地方の現実から逆算して、投資と再分配の設計を組み替える。その議論を、専門家だけのものにせず、政治の言葉として国民に見える形へ引き戻す。

ようやくこの国と地方に、小さくても確かな“明かり”が見え始めたのかもしれない。私はそう思いたいし、その可能性が現実になるかどうかを、これからの政策の具体で見届けたい。

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