元キーエンスには死ねほど会ったが元AV女優は珍しくおじさん記者がハッスルした話🍻AIと孤独じゃないグルメ
寝屋川一番街商店街のアーケードを歩く。
夕暮れが近づくと、古びたアーケード特有の湿った風に乗って、どこからともなく醤油と油脂の焦げる香ばしい匂いが流れてくる。
「立ち呑み処 つつみ」。
くたびれた暖簾をくぐると、「いらっしゃい」と女将さんの甲高い声が飛ぶ。鉄板の前では、息子さんであるマスターが、まるで体の一部のように馴染んだ2本のヘラをシャッ、シャッとリズムよく滑らせている。
カウンターに腰を下ろし、メニューを見上げるまでもない。この店に来ると、いつも頭の片隅で同じ計算機が回りはじめる。
「これ、本当に利益出てるんか?」
角ハイボール、三百円。
壁の短冊に並ぶつまみは、二百円から三百円台がずらりと並ぶ。
まずは定番の「ニラ炒め」を頼む。
マスターの動きが無駄なく加速する。豚バラ肉ともやしを鉄板に投入し、軽快にヘラで踊らせる。ここまでは普通だ。だが、ここからが「つつみ」の真骨頂である。鉄板の空いたスペースにさっと油を引き、溶き卵を薄く広げる。まだ半熟のうちにヘラで格子状に刻み、豚バラともやしの中にサッと手際よく巻き込んでいく。最後に、ジッパーからすくった冷凍ニラを豪快に振りかけ、一気に強火で煽って完成だ。
たかがニラ炒め。されどニラ炒め。

ホテルの高級鉄板焼きを思わせる「卵を刻んで絡める」という一工夫の手間。一方で、歩留まり(ロス)と仕込み時間を極限まで削る「冷凍ニラ」の割り切り。
これで二百三十円。
採算を心配するほうが野暮なのか、店主の正気を疑うべきなのか分からない。
続いてホワイトボードの本日のおすすめから「サーモンフライ」を注文する。こちらは袋から取り出した業務用の冷凍食品を、そのままフライヤーへ投入する音が聞こえてきた。
でも、それでいいのだ。
揚げたての油の弾ける音と熱気があれば、サクサクの衣とジューシーな身だけで十分にうまい。

私はハイボールのグラスを傾けながら、ふと気づく。
この店は、決して「職人のこだわり全開の完全手作り」を目指しているわけではない。
手間をかけるべき「体験の魅せ場(演出)」にはしっかり工数を割く。一方で、コストと再現性を担保すべき「食材の管理」は冷徹なまでに割り切る。その境界線の引き方がすこぶる上手いのだ。
つまり、目の前のマスターは料理を作っているのではない。
「持続可能な一人ビジネスのオペレーション」を設計しているのである。
冷えたハイボールを喉に流し込み、私は数日前に繁華街のガールズバーで出会った一人の女性のことを思い出していた。
「なあ、AI。」
スマホの画面を開き、日常の思考整理に使っている対話型AIのアプリを立ち上げる。
「今日は何のお話でしょう。」
「……元AV女優の話や。」
「……。」
画面のインジケーターが一瞬、沈黙するように止まった。
「いや、変な意味やないで。」
「そう思いました。」
「キャリアと仕事論の話や。」
「安心しました。いつもの『職業病』ですね。」
「失礼な。……まあ、否定はせんけど。」
新聞記者という仕事を二十年以上続けていると、職業柄、実にさまざまな「元○○」に出会う。
元キーエンスの営業ドリル。
元リクルートの事業開発マネージャー。
元光通信の猛烈幹部。
ビジネス誌の取材や個人的な関心を含め、そういう「洗練された組織のOS」を持つ人たちには腐るほど会ってきた。そしていつも決まった質問を投げかけてきた。
「キーエンスの数値管理の仕組みから、何を学びましたか?」
「リクルート時代の『お前はどうしたいの?』というカルチャーは、今の事業にどう生きていますか?」
彼らは異口同音に、組織で叩き込まれた「再現性のあるメソッド」を語ってくれた。
ところが先日、知人に連れられて行ったガールズバーで、初めて「元AV女優」という経歴を持つ女性とカウンター越しに向き合うことになった。人生初の遭遇である。
AIが画面越しに問いかけてくる。
「驚きましたか。」
「驚いた。でも、それ以上に脳汁が出た。」
「どんな会話をされたのですか。まさか業界の裏話ですか?」
私は少し考えて答えた。
「いや。『再現性』と『持続可能性』、それと『属人性の剥離』についてや。」
AIの思考プロンプトが再び止まった。
「……。」
「……あなたはガールズバーへ行ったのですよね?」
「そうや。」
「経営コンサルティングファームの面談ではありませんね?」
「そうや。」
我ながら、つくづく夢のない男だと思う。
四十八歳にもなって、目の前の綺麗なお姉さんを前にして胸を躍らせるのではなく、「その特殊な労働環境におけるビジネスモデルと自己防衛の構造」に脳のメモリを100%持っていかれてしまうのだから完全に病気だ。
元キーエンスと聞けば営業のKPI設定が気になる。
元リクルートと聞けば人材採用のインセンティブ設計が気になる。
ならば、元AV女優と聞けば——。
「個人の身体性と感情を極限まで切り売りする過酷な業界で、彼女たちは何を獲得し、それをどのように抽象化して次のキャリアへ持ち運ぶのか」
そこにしか興味が向かない。
私はずっと疑問に思っていた。
「属人性」が極限まで高く、代替がきかないと思われている仕事は、どうやって長期的に持続させているのだろうか。
どんな職業でもそうだ。
営業マンでも。
記者でも。
板前でも。
若さと才能、そして「その場の気合」だけで毎日200メートル走を続けていれば、三十代半ばで確実に心身が摩耗し、燃え尽きる。
だから生き残るプロは、必ず自分の中に「仕事の仕組み(OS)」を構築する。
キーエンスは個人の営業力に頼らない「仕組み」を作る。
リクルートは個人のやる気を引き出す「制度」を作る。
私自身も記者として、取材の事前準備、ネタ出しのフレームワーク、原稿の型をシステム化することで、体調が最悪の日でも一定水準の記事を書けるようにしている。
では——個人のビジュアル、感情労働、そして固有のキャラクターという「超・属人的なリソース」を商品にする世界では、どこまでを仕組み化し、どこで折り合いをつけるのか。
気づけば私は、カシスオレンジを飲む彼女に対して、まるで日経ビジネスのインタビュー取材のような質問を怒涛の勢いで畳みかけていた。
AIが呆れたように言った。
「ずいぶん変わった……というか、野暮なお客さんですね。」
「自分でも猛烈に反省している。」
「相手の方は、どう反応されたのですか?」
「……そこなんよ。」
私はハイボールの氷をカランと鳴らした。
最初は戸惑っていた彼女だったが、私が本気で「仕事論」として関心を寄せていると察した瞬間、ふっと表情を変えた。グラスの結露を細い指先で撫でながら、静かに、しかし極めてロジカルにこう語ってくれたのだ。
『あの業界で生き残る子と破滅する子の違いって、才能じゃないんですよ』
『ほう、じゃあ何なん?』
『「商品としての私」と「生身の私」の間に、どれだけ明確な「OSのレイヤー」を挟めるかです。撮影現場や画面の中の私は、あくまで高度にプログラミングされたコンテンツ。そこに対する評価や批判は、生身の私の価値とは1ミリも関係がない。その「割り切りの境界線」をミリ単位で引く技術です』
さらに彼女は続けた。
『あと、完全なフリートークに見える撮影やイベントも、実は自分の中に「会話のモジュール(部品)」を何十個も持っておくんです。相手のリアクションに合わせてそのパーツを組み合わせる。毎回ゼロから感情を消費していたら、3ヶ月でメンタルが死にますから。感情労働を「感情の自動化」に落とし込む。それが私の生き残るための仕組みでした』
私は思わず膝を打った。
感情労働の極致にある仕事だからこそ、メンタルをすり減らさないための「強固な標準化とモジュール化」が必要不可欠になる。
個人の魅力に見えるものの裏側に、冷徹なまでの「自己管理のフレームワーク」が存在していたのだ。
AIが感心したように文字を打つ。
「素晴らしい考察ですね。まさにポータブルスキルです。」
「せやろ? めちゃくちゃ勉強になったわ。……ただ」
「ただ?」
「彼女の『感情労働の負荷』を、私が客としてさらに跳ね上げてしまったことだけは重々反省している。」
「それはそうですね。ガールズバーでコンサルティングの分析をさせられたわけですから。」
「……一応、ドリンクは3杯奢った。そこだけは買い叩いてないこと、証明しておきたい。」
立ち飲み屋のカウンターに戻る。
鉄板の上では、マスターが二皿目のニラ炒めを手際よく作っている。
豚バラともやしを炒め、卵を広げて刻み、最後に冷凍ニラを投入する。
その一連の流れるような動作を見つめながら、私はあの日ガールズバーで聞いた彼女の言葉を重ね合わせていた。
目の前のマスターも、あの街で出会った彼女も、まったく同じ作業をしているのだ。
全部をホテル並みの手作りにこだわれば、一皿二百三十円の立ち飲み屋は一週間で潰れる。
逆に、全部を無機質な冷凍食品だけに頼れば、常連客はこの狭い店に足を運ばなくなってしまう。
工数をかける「演出の魅せ場」。
効率化する「割り切り」。
感情を込める「接客」。
自分を守るための「心の自動化」。
その境界線を、日々思考錯誤しながら引き続けること。
これこそが、あらゆる職業における「持続可能性(サステナビリティ)」の正体なのだ。
仕事とは、若さや情熱という燃料を燃やし続けることではない。
情熱が尽きた後でも回るように、自分という人間の中に「再現性のあるOS」を少しずつ組み上げていくプロセスなのだと思う。
二十代は気合で走れる。体力の過剰投資で乗り切れる。
しかし四十代を過ぎてなお現役で走り続けるためには、根性論ではない「構造」が必要になる。
料理人も。
営業マンも。
新聞記者も。
そして、夜の街で輝く人気商売の人々も。
誰もが、自分だけの「仕事のOS」を抱えて戦っている。
私は記者という仕事を通じて、これまで無数の「元○○」という人々の人生を聞いてきた。
元キーエンス。
元リクルート。
元光通信。
そして、元AV女優。
肩書きや身を置く業界の属性は、あまりにも違う。
しかし、激しい競争や過酷な環境を生き抜いてきた人々が口にする言葉のコアは、驚くほど似通っている。
「あの場所で学んだ『仕組み化の視点』は、今の仕事でも間違いなく生きている」
環境は変わる。
会社も変わる。
時代の変化とともに、肩書きなんて簡単に剥がれ落ちる。
それでも、自分が苦血を舐めながら構築した「思考の型」や「割り切りの技術」だけは、次の場所へ持ち運ぶことができる。それこそが、肩書きではなく「ポータブルスキル」と呼ばれる真のキャリアなのだろう。
だから私は、あの夜「元AV女優」という刺激的な肩書きを聞いた瞬間も、結局はいつもと同じ質問に行き着いてしまったのだ。
「その経験から何を学び、今どうやって自分を設計していますか?」
我ながら、まったく夢がない。
キャバクラやガールズバーに行っても、色恋の駆け引きすらできず、取材ノートを開いてしまう。
長年かけて体に染みついた「職業病」というのは、どうやら死ぬまで治りそうにない。
最後のハイボールをぐっと飲み干す。
鉄板の上では、また新しい客のためにニラ炒めが焼かれている。
二百三十円という奇跡的な価格設定の中に、マスターの緻密な計算と、プライドと、生き残るための設計が詰まっている。
才能だけでは続かない。
仕組みだけでも味気ない。
その絶妙なグラデーションの狭間を行ったり来たりしながら、人間は今日も汗を流し、酒を飲み、働いている。
たぶん、あの日あの店で一番大きな学びを得て帰ったのは、ドリンク代を払った私の方だった。
次に彼女と会う機会があったなら。
今度こそ野暮な質問は封印し、たわいもない世間話で笑顔になってもらおうと思う。
……いや、無理だな。
マスター、ハイボールもう一杯。やっぱり、職業病の特効薬はどこにも売っていないらしい。
※フィクションです。

