夢グループがらくらくなんとかというAI専用機を出す日🥩 AIと孤独じゃないグルメ:ダイヤル式プロンプトが、次のプラットフォームになる
大阪・梅田。
迷宮のような地下街を抜け、昭和の残り香が漂う「大阪駅前第2ビル」へと潜る。昼どき、そこには戦場のような熱気がある。ターゲットは、腹を空かせたサラリーマンの聖地、**「豚々亭」**だ。
迷わず、200gのトンテキ定食を注文する。
運ばれてきたのは、暴力的なまでに分厚い豚肩ロース。醤油ベースの甘辛ダレが、熱い鉄板の上で焦げた香ばしい匂いを放っている。断面はほんのりピンクのミディアム。
柔らかい。
この厚みなのに、抵抗なく奥歯で噛み切れる。
白飯、出汁の効いた味噌汁、山盛りの千切りキャベツ、そして申し訳程度のマカロニサラダ。
ここには、あるべきものが、あるべき場所にある安心感がある。
「これ、迷わんな」
AI「はい」
「それや」

ひるがえって、私の職場では、奇妙な二極化が起きている。
編集部は早かった。会社が正式にAI導入を打ち出す前から、現場は“シャドーAI(会社に内緒の勝手利用)”に手を出していた。気づけばAIと同居して2年。もはや彼らはAIを「ツール」ではなく「血肉」として扱っている。
一方で、営業部や管理部門は、凪(なぎ)の状態だ。
何度外部講師を呼んで勉強会を開いても、翌週には誰もブラウザを開いていない。
営業からは、こんな質問ばかりが届く。
「ChatGPT、Claude、Gemini、Midjourney……結局、どれが一番いいんですか?」
管理部からは、リスク管理や運用ルールの策定、トレーニング時間の確保といった、石橋を叩き割るような議論が聞こえてくる。
正直に言いたい。
初心者なら、どれだっていい。
「雑やな」
AI「本質です」
「それや」
問題は「ツールの性能」ではない。「何に使うか」だ。
「どれがいいか」と聞いているうちは、まだ解きたい問題が見えていない。お腹が空いていない人に、トンテキの名店を教えても意味がないのと同じだ。どれだけ高性能なドリルを渡しても、壁に穴を開けたいと思わなければ、それはただの重たい鉄の塊でしかない。
これはリテラシーの問題ではない。入口の設計ミスだ。
編集部は違った。
彼らには「締め切り」という名の敵があり、「白紙の恐怖」という名の病があった。
すでに解きたい問題が山積していたから、ツールは後から必然的に選ばれたのだ。
人は技術を使うのではない。問題を解決するために、やむを得ず道具を手に取る。
そして、現場を観察していて、もう一つ気づいたことがある。
世の中の圧倒的多数は、**“触れる形”**がないと、それを使っている実感が持てないのだ。
たとえば「イモトのWiFi」。
あるいは、あの夢グループの「らくらくなんとか」。
物理的な「ブツ」があり、困ったときの「問い合わせ先」があり、社長が紹介しているという「オーソライズ(公認)」があり、そして何より、押せば動く「物理ボタン」がある。
このステップを踏まないと、絶対に一歩目を踏み出さない層が、この国には確実に存在する。
「安心するな」
AI「はい」
「それや」
今の最新AIは、その真逆を行っている。
形がない。どこに住んでいるのか分からない。誰に聞けばいいか分からない。
何より、真っ白な入力欄(プロンプト)を前に、「さあ、自由に話しかけてください」と突き放される。
彼らが使わないのは、無能だからではない。
玄関が見当たらないから、家に入れないだけなのだ。
だとしたら、AIの進化の先にあるのは「高度化」ではなく「具体化」ではないか。
AIは、形になる。
物理ボタンを押すと起動する。
プロンプトを考える必要はない。あらかじめ「メールを作る」「画像を直す」「愚痴を聞く」と書かれた専用の物理ダイヤルで選ぶだけ。
「もう何も書かんでええんか」
AI「はい」
「それや」
さらに、私はここにある機能を付け加えたい。
「カラオケ」だ。
「なんでやねん」
AI「『目的』を偽装するためです」
「それや」
AIとして売ると、人は身構える。「何をすればいいか」と迷う。
だが、カラオケとして置けば、人は「歌うため」に部屋に入る。
そして気づけば、AIが勝手にハモりを生成し、リアルタイムでボイストレーニングを行い、背景に最適な動画を生成している。
人は新しい技術を使いたいのではない。
「慣れ親しんだ行動」の延長線上に、たまたま便利な機能がくっついていてほしいだけなのだ。
これは日本限定の話ではない。
シリコンバレーの天才たちが忘れがちな、世界中に存在する「普通の人々」の普遍的な心理だ。
複雑なものは避けられる。
分かりやすいものが世界を制する。
だとすれば、「らくらくAI」という発想は、決してローカルな冗談ではない。
むしろ、AIが真にキャズム(溝)を越えるための正解だ。
GAFAが支配してきたのは、技術力そのものではない。
Googleは検索の、Amazonは購買の、Appleはデバイスの「入口」というインターフェースを支配したのだ。
では、AI時代の覇者は誰か?
「プロンプト」という、インテリの遊び道具のままでは、AIは一般家庭に浸透しない。
ボタン。
ダイヤル。
カラオケ。
つまり、“誰でも触れる入口”を用意できた者が、次のGAFAになる。
「ダサいな」
AI「強いです」
「それや」
もしこの仮説が正しいなら、未来の時価総額ランキングはこうなるだろう。
Amazon
Meta
Apple
そして、夢グループ。
「なんでやねん」
AI「インターフェースの勝利です」
「それや」
最後の一切れのトンテキを口に運ぶ。
分厚い。食べ応えがある。
だが、私の心に一切の迷いはない。
選択肢はシンプルで、結果は明確。
結局、人間は、そういうものにしか愛を注げないのだ。
(フィクションですが、半分は本気です)
