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日曜”迷”画座:映画の文脈をブン投げろ!視覚美と変態性で脳を殴る「美学過剰」な映画監督たち

映画は「観る」ものじゃない、「喰らう」ものだ。脳髄を焼き尽くす圧倒的映像世界




「物語の筋道?起承転結?そんなもん、整合性と一緒にゴミ箱へ捨ててしまえ」と言わんばかりの映画がある。


デヴィッド・リンチの悪夢のような不可解さや、黒澤明が魅せる完璧に計算し尽くされた構図と狂気。そして我らが鈴木清順である。正直、観ていて「は?今何が起きた?意味わかんねぇよ!」と脳内がバグる瞬間なんて一度や二度じゃない。ストーリーを追いかけようと真面目に頭を使えば使うほど、清順の仕掛けた色彩の迷宮に迷い込み、足元をすくわれる。


だが、それでいいのだ。映画の本質は「説明」ではなく「体験」なのだから。


清順の映画を観ていると、画面の端々から「ストーリーの整合性なんて知ったことか!俺はただ、この『最高の1コマ』が撮りたかったんだよ!」という、血の通ったエゴと常軌を逸した執念がドロドロと溢れ出している。理屈をこねくり回す批評家を嘲笑うかのような圧倒的な「映像のチ力」。そして、何と言っても時折ふっと匂い立つ、生々しく、それでいて極限まで美しく昇華された「極上のエロティシズム」。あの濡れた色彩と空間の切り取り方は、理屈ではなく人間の本能に直接噛みついてくる。


では、この清順やリンチのように、観客の理解を置き去りにしてでも「己の撮りたい映像」だけで世界を殴りつけてくる過剰な映画監督は、他に一体誰がいるのか?


まずはアレハンドロ・ホドロフスキー。映画『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を見れば一目瞭然だが、この男の脳内は宗教的カルトと過剰な色彩の暴力で満たされている。ストーリーを理解しようとすること自体が愚かだ。ただスクリーンの前にひれ伏し、彼の脳内麻薬を直接注射される感覚を味わえばいい。


そしてフェデリコ・フェリーニ。『8 1/2』に代表される彼の作品は、自伝的妄想とサーカス的な狂騒が入り乱れる大狂乱の映像美だ。物語の筋などあってないようなもの。画面を埋め尽くす怪しげで魅力的な人物たちと、夢と現実の境目が溶け落ちた映像は、一度ハマると抜け出せない中毒性がある。


忘れちゃいけないのがダリオ・アルジェントだ。『サスペリア』で見せたあの鮮烈すぎる赤と青のライティング。殺人ミステリーとしての論理など完全に破綻しているのに、恐怖と美しさが奇跡的なバランスで同居したあの映像だけで、観客の脳は完全に支配されてしまう。


彼らに共通しているのは、「説明」を放棄し、「感情と視覚の過剰摂取」で観客を殴り倒しに来る姿勢だ。理屈っぽい映画に飽き飽きしているなら、思考を停止して彼らの「撮りたかった1コマ」の暴力に身を委ねてみろ。脳が千切れるほどの快感がそこにある。


〈了〉


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