見出し画像

三重県伊勢国田丸城跡訪問(玉城町)(2022年6月28日(火))

滋賀咲くブログ」から引っ越してきました。

個人旅行で、田丸城を訪問しました。田丸城は平山城の初期のものの一つであり、昭和28年(1953)三重県指定文化財・史跡に指定され、続日本100名城「田丸城跡」がNo.154玉城町のシンボルとなっています。

田丸(玉丸)城は、南北朝動乱期の延元元年(1336)、後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が、挙兵するために愛洲氏度会氏などの援助を得て、玉丸山に城を築いて南朝方の拠点としたことが始まりとされます。
南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮の外港大湊に通じる道は、軍事・経済の面からも吉野朝廷にとっては最重要路線であり、玉丸城は北朝・南朝の攻防の舞台となりましたが、合一の後は北畠氏一族がここに居城し、玉丸御所となりました。

北畠親房                    

室町時代には、伊勢国司となり一志郡美杉村の多気に館を構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配の拠点となっていました。天正3年(1575)に、織田信長の伊勢侵攻に伴い、織田信長の次男で北畠氏を継いだ織田信雄(のぶかつ)が、玉丸城に大改造を加え、本丸・二之丸・北之丸を設け、本丸には三層の天守を築き、現在の規模の田丸城の誕生となりました。しかし、天正8年(1580)、金奉行 玄智が金銀を盗み証拠を隠すために焔硝蔵に放火したことから、この天守は炎上し、信雄は松ヶ島城を築き、移っていきました。

織田信雄

天正12年(1584)、小牧・長久手の戦の後、南伊勢は蒲生氏郷領となりました。氏郷の妹婿 田丸直息(のちの直昌)が田丸城主となるものの、天正18年(1590)、氏郷が会津へ移ると直息も田丸を離れることとなりました。
江戸時代には紀州藩主徳川頼宜の家老久野宗成が田丸城主となり、久野家は代々城代を勤めました。
城は、明治2年(1869)に廃城となり、同4年(1871)には城内の建物は取り払われました。三之丸から二之丸富士見台に向かう長屋門形式の富士見門が玉城中学校北に、三之丸奥書院が役場の北に移築され現存しています。
昭和3年(1928)、国有林となっていたこの城地の払下げに際し、村山龍平氏(旧田丸領士族・朝日新聞創始者) の寄付により旧田丸町所有地となり、その後残りの城地も町有化し、城山公園として町民に開放されました。

田丸城宝暦年間之図: 城は南北に延びた丘陵上に、北(図の下)から北之丸、本丸、二之丸を連続配置し、東方(図の左)に三之丸、大手と続きます。
本丸同様、二之丸も石垣で固められています。本丸と二之丸の間は空堀となり、土橋で往来します。二之丸南端(図の上)には虎口(搦手口)が開き、城外へ至ります。
三之丸は、江戸時代に御殿を置いた曲輪ですが、現在は玉城中学校地となっています。

田丸城宝暦年間之図

内堀と大賀ハス: 田丸城の堀は、大手付近に外堀、内堀とも水堀として良好に残っています。また、内堀には有名な大賀ハスが植えられています。
さらに、外堀については湿地状、あるいは空堀となってしまっているところもありますが、おおよそ城の周囲をめぐっています。

内堀と大賀ハス

二の門跡付近「田丸城址」石碑: 内堀を渡ると、すぐに「田丸城址」であることを示す石碑が建てられています。

二の門跡付近「田丸城址」石碑

二の門跡: 通路が直角に折れ曲がり、内枡形に近い形となっています。

二の門跡

本丸虎口跡: 虎口は東側の本丸大手と二之丸南側の搦手に開いており、ともに折れを入れる構造です。

写真の東側大手虎口跡は、田丸城の本丸への入口のひとつで道を折り曲げ敵の侵入を阻むはたらきをし、城にとって重要な施設です。ここから続く通路は平成14年度(2002)田丸城跡遊歩道整備工事に伴う発掘調査で確認されたものです。石垣、門や建物の礎石、石組の側溝と石列があり、出土した瓦や土師器片などから江戸時代の虎口跡であると考えられます。
これらのうち、礎石建物や石垣は、上の宝暦年間(1751~1764)の田丸城宝暦年間之図とも一致しています。

東側大手虎口跡

本丸虎口跡とそこから続く通路: 上掲写真の虎口跡から、折れ曲がって進むと、さらに虎口が続いています。写真の通路後方の最上段の石垣は本丸石垣です。
この後、中央の石垣の向こう側で右に曲がった後、折れ曲がって今度は左に登っていきます。

本丸虎口跡

本丸と北之丸間: 本丸は石垣で固められ、写真は本丸の石垣北面です。写真左方向に進むと本丸跡への東側虎口跡があります。
写真右手前方向には北之丸があり、石碑の立つ所から始まる本丸下段をめぐる帯曲輪につながっています。
北之丸の特徴は、東面(写真手前側)にのみ石垣を築き、他は土のままであること、周囲に土塁を伴うこと、そして、北に大規模な堀を設けていることです。土塁は高さ1m程度で、それほど大きなものではありませんが、堀は外土塁からの深さが4~5mになります。北之丸だけ見れば、 中世城郭そのものです。

本丸と天守台: 本丸北端に天守台をおいています。天守台前面に付櫓が付随していますが、左に見える階段は後世のものです。

本丸と天守台

天守台: 天守台は17×18mの規模で、高さは4mになります。 内部は8×10mの穴蔵となっています。

天守台と付櫓台

天守台穴蔵と天守台からの眺望

天守台穴蔵と天守台からの眺望

田丸城跡の訪問は、二之丸跡や北之丸跡を訪問できていませんが、ここで終了しました。                             以上

いいなと思ったら応援しよう!