転校して初めて知った、春のにおい
季節には、においがある。
私が初めてそのことに気づいたのは、小学校2年生の春だった。
草のにおいなのか、花のにおいなのか、はたまた土のにおいなのか。
もんわりと温かい、太陽のにおいなのか。
私はそれを感じるたびに、きゅんと切ない気持ちになる。
そしてそのとき目に浮かぶのは、通っていた小学校の渡り廊下だ。
3階建ての大きな校舎が3つ並んだいちばん奥に、渡り廊下でつながった1階しかない校舎があった。
第二次ベビーブームか何かで、児童が激増した時に建て増しされたのだと聞いた。
そんなブームがとっくに過ぎ去った私の小学生時代も、その校舎は不自然に1階建ての校舎として残り続けた。
突貫工事感の漂うその校舎こそが私が初めてその小学校に転校生としてやってきた、2年生が使用する校舎だった。
大きな校舎と小さな校舎の間にはたくさんの春の草花が芽吹いていた。
転校してからずっと、私はそれを、渡り廊下から見ていた。
1年生の秋。
家の中がにわかにばたばたと騒がしくなった。
ある日突然両親に車に乗せられて、何軒もの家を見て回る週末が続いた。
人の住んでいる家もあれば、誰も住んでいない空っぽの家もある。
いずれにしても、当時私たちが住んでいた家よりずっと小さく古めかしい家ばかり。
どうやら、私たちは、引っ越しをしなければならないらしい。
詳しい事情は割愛するが、年子の弟が1年生になる翌春までに、今住んでいる家を出ていかなければならない約束なのだという。
やがて当時住んでいたまちから、車で30分ほど離れたところに、住む家が決まった。
引っ越しには転校が伴うと知ったのもその時だ。
当時の私は、淡々とその事実を受け入れ、特に激しく寂しさや悲しさを感じていたわけではなかったが、非日常の緊張感は漂っていた。
その時通っていた小学校には指定の布カバンがあったが、それももう使えないからと、私は2年生にして真新しいランドセルを買うことにもなった。
まだ使えるのに、もったいないと、なんだか残念な気持ちでいっぱいだった。
そうして1年生を終え、新たなまち、新たな学校での、新たな暮らしが幕を開けた。
転入するその日―――滑り出しは不調だった。
新たなスタートを切る重要な日であるにも関わらず、38度近い熱が出たのだ。
知恵熱だったのだろうか。
正直、学校に行きたくないと思った。
しかし時は30年以上前。
母親は比較的穏やかでゆるい人間だったので、休ませてもらえるのではと期待したが、かなわなかった。
「微熱だし、初日だし、すぐ終わるから頑張って行っておいで」
そう言われ、ふらふらになりながら登校することになった。
緊張感の中、新たなクラスメートの前に立たされ、ドラマでよくあるシーンと同様に、今日から新しく来た転入生だと紹介された。
熱でしんどい。
顔面蒼白で、立っているのがやっとの状態で、なんとか自己紹介を済ませた瞬間、一人の男子が大声で叫んだ。
「転校生、めっちゃ、ぶすやん!!」
衝撃だった。
初日から知らない人にそんなことを言われるなんて思ってもみなかった。
先生がその男子に何と言ったのかも覚えていない。
ただただ早く家に帰りたいと願ったこと以外、何も覚えていない。
しばらくは学校に行きたくないと親に泣きついた記憶もあるが、それによって休んだ記憶もないので、きっとなだめすかされ登校していたのだと思う。
新一年生としてキリよく、フラットな人間関係がスタートした弟に比べ、私はその学校になかなかなじめずにいた。
2年生の最初の春の遠足では、クラスメートが楽しそうに長縄跳びをしているのに、入れて欲しいと言えずに、泣きそうになるのをこらえながら、木陰からみんなを見ていた。
掃除の時間に、誰とも話せなくて、ただまじめに掃除に勤しんでいたので、掃除のときに流れていた謎のBGMはメロディも歌詞も、未だにそらんじることができるほど頭に刻み込まれている。
そんな休み時間に、私は渡り廊下から、校舎に挟まれた庭に目をやっていた。
緑の草花。
温かい日差し。
春のにおい。
私はその時、春のにおいを初めて知った。
ひとりの休み時間は、ただ目の前の光景を、見ているしかなかった。
だからだろうか。
そのとき目に映ったもの、におい、音や声は、鮮明に脳裏に焼き付いている。
当時、ひとりじゃなかったら、私はそのにおいにまだ気付かなかったかもしれない。
その後私は、どんなきっかけだったかも思い出せないまま、そのクラスにも友達ができた。
中には今もつながる友人もいる。
馴染むのに時間はかかったけれど、子どもなりに自然と、周囲に適応していったのだろう。
私は、毎日のように誰かと遊んで、けんかしたり、仲良くなったり、孤独を感じたり、つながりを感じたりしながらも、それなりに楽しく小学校生活を送ることになった。
高学年になってもまた仲間外れにされて、一人ぼっちになった時期もあったけど、そのとき助けてくれた別の友人のありがたさは、身に染みた。
誰かといる時間は、楽しくてあっという間だ。
相手をとおして知る新たな自分もあるだろう。
ひとりでは味わうことのできないさまざまな感情を味わうこともできる。
孤独やひとりの時間は、寂しいものではあるけれど、自然の小さな美しさや移ろいに目を向けることができる時間なのかもしれない。
また、自分にこれでもかというほど向き合える時間であり、人の温かさに気づける時間であるともいえる。
どちらも大切な時間だ。
今一人で、孤独を感じている人も、きっと今しか知ることのできない思いや、ささやかな発見があると思う。
ひとりだったからこそ、春のにおいと生命の息吹に気づき、ひとりだったからこそ、友のありがたさや人の温かさに気づいた。
春のにおいは、私にそんなことを思い起こさせてくれる、やさしく切ないにおいだ。
