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森羅万象の理 常が流動。

      【低次元と高次元】

         【水】

水は当たり前にそこらにある。

というのは、傲慢さである証でしょう
と、ナミブ砂漠のキリアツメゴミムシダマシが、そう小さな成体を微動だにせず、
灼熱の砂の上で、一足、砂ニ粒解けるを
足場にして、一生懸命に伝え諭している気が
してならないのです。

砂上生物にとって欲しい最大のモノは、この上なく水であることは間違いないでしょう。

ただ、潤いがなく乾き切った極限地帯での
給水となると、甚だ困難を伴います。

周知のとおり、ゴミムシダマシの給水方法は、高温になる日中とマイナスにもなる夜、早朝の寒暖差を利用して、霧に含まれる微水を身体中に纏わせそれを、前方へ屈み口へと触覚を通して運ぶのです。

口周辺には、たんまりと身体中からかき集められた微水が一滴となって成しているのです。

一滴の丸みが、ゆっくり、ゆっくり萎む様を
目にすると、まるでエネルギーが水であるかのように思う次第で、生命の根源の極みを
植え付けてられている様な気がして愛おしく感じてしまうのです。

我々が常飲している水が、潤いや艶を帯びた
まるで、日本蜂蜜の様にキラキラとした芳醇讃える産物に置き換わっているようで、なんとも美味しさの感覚を変えてしまうのです。

一滴の水風船が徐々に萎むのを想像するだけで、飲水の概念が変わるのであります。

いや、水自体の概念が変わるのであります。

水とは一体何なのでしょうか。

という疑問を抱いた理由は以下を
想像したのがきっかけでもあります。

水は生命の根源。

人間にとってみれば、その
構成の7割は水。

食べ物も水がないと産まれない。

花を含め植物、生物、は水無しには
出現しない。


科学的には、水は循環過程の産物の一つに
過ぎません。海水から塩分を捨て去る蒸発という現象なくしては、水=真水うまれません。

蒸発状態の水は微水と形を変え、雲を形成し
集合体である微水が、一滴の水となり雨という現象で大地に水を落とします。
落ちた水は、土壌に吸収されるか人工物の
上に水滴が結合し水溜まりとなります。

ある一定に大地を潤した後は、沢、谷、川
へと下り故郷の大海原へ帰還いたします。

そこには、循環という重要な要素を表現しているものでもあります。

また、よくよく水の性質に目を凝らすと、
外気温の変化に呼応する様に液体、個体、気体へ流動性を保ちつつ変幻自在に形を変え、その移ろいゆく過程には、生の本質そのものを我々に表現してくれています。

気付くか、気づき損ねるか、気づかないかは、我々側が人工物で蓋をしようとしていないか、しようとしているか、したか、否かであります。

かつての方丈記作者の鴨長明も
無常という概念は、流れいく水の流体から
読み解き、その性質を哲学性を帯びた言葉に言い換えてその本質を伝えています。

また、水の結晶を見ると、綺麗に形が整えられているものから、そうでないものもまで
多種多様な形質を確認することができます。どうも、そこにはエネルギーが関係しているみたいです。

実験で綺麗な言葉と真逆の汚い言葉を、
水に浴びせて冷凍すると、綺麗な言葉の場合は、均一で綺麗に整った造形美が生まれますが、そうでない場合は、その言葉に呼応するかのごとく美から一線遠のく形状となります。

これも、無常であるとの教えの本質を
理解出来る形で我々に伝えているようでも
あります。

例えば、水が液体であれ個体であれ気体であれ表面上の形質は変われども、水は実在しているという本質変わらないということを示しています。

これは、何を意味しているのかなんてものは
分かり兼ねますが、しいていうならば、
人間にたとえてお伝えすると、
外観も内観も流動性を帯びた存在であり、
常ではないということです。
ただ、人間はそこに実在しているという
ことに尽きます。

水も人間も、地球も海水も
相関関係にあるといえます。

それは、その範囲にとどまらず、
人間が可視化出来る全ての実在が
何かしら繋がりの性質を有している
ことを示しているとも捉えることが
できます。

なぜなら、科学は完璧ではないからです。

宇宙の果て、ブラックホールも未解明だからです。

もしかすると、人間に見えない モノが
他の意思疎通出来ない生物では、可視化
出来たりするかもしれないからです。
一概に否定はできません。

近年になって、雑木林の木々同士が
地下茎や、根や、その周囲の生物に
よって、意思伝達をしている
ことが生物学的調査で証明されており、
今般のNHKでもその詳細が放送されて
おります。

不思議永遠であり、研究も永遠に続くでしょう。

話はもどりますが、

先述のとおり、人間も7割は水で
構成されておりますから、
汚い言葉を受けた場合、水は整えない
ことから、人間の心身は整わないということになります。

科学的にはストレスを受けると、ココロが乱れるのと同様に示しがつきます。
綺麗な言葉を受けると、快楽ホルモンの
オキシトシンやドーパミン等が脳から放出されココロが整うのです。

また、身体も不定愁訴を惹起します。

この無常からの学びは、良いことも、悪いことも常ではない。この示しが本質を内包
しているといってもよいでしょう。

人間の心身も、常に流動しており、そこには、外的な要因次第で、様々な影響結果を引き起こすということです。

常に絶え間なく変化し続けていることが
自然も含めて、森羅万象の本質ということです。

芽吹、根が張り、茎葉が生え、花が咲き、実がなり、種が落ち、枯れ、朽ち、また、
その繰り返し。

そこには、害虫や、暴風、様々な生を脅かす現象が起きる。それもすべて含めて自然という言葉に内包されているのです。

そう考えると、人間も自然の切れっぱしに過ぎないと思う次第です。

地球も人間も同じで摂理ではないかと
思う次第なのです。

海人間にとってみれば、その
構成の7割は💦。

7、陸3 同じ比率。

地球を人間の宿主と仮定すると、容易に理解できます。人間が地球にパラサイトしている。アニサキス的人間もいれば、無害のサナダムシ的人間もいる。アニサキスが増えれば人間のホメオスタシスと同じく、地球でも均衡反応が起こるのです。災害、戦争、天災、飢饉。バランス的要素を根底に成すからには、それらを攻撃手段としパラサイトを標的にしなければ健全を取り戻すことは出来ないからです。

そこには善悪は関係しないのです。

攻撃対象を、地球に寄生している
全てのパラサイトに設定しているのです。

地球も宇宙の一部であり、無常という本質を有しているならば、生まれ、実り、種を蒔き、枯れ、朽ち果てる。

さて今は、時期なのでしょうか。

人間も、様々なウイルス、細菌類等が常時体内に存在します。悪さをする奴もいれば、優等生もいます。それらからすると人間も宿主
なのです。

宿主が死んだら、奴らも死ぬ。

しかし、奴らは死んでも宿主は死なないが
弱体化します。

摂理は全てバランスなのです。

パラサイトの悪影響と良影響の均衡が
とれていれば、宿主のエネルギーは高まり
パラサイト側に生存という恩恵をもたらすかもしれません。

逆に、均衡が崩れれば宿主パラサイトの
生存を許しません。

再度お伝えしますが、これも全て含めて森羅万象の本質である無常なのです。

地球や宇宙に神という、尊い存在が
いるとすれば、神の意思は、
破壊と想像で、全ては常ではなく、
唯一は、森羅万象との調和、共生、共鳴
というバランスにもう一つの本質を
置いているように感じてなりません。

それを我々に伝える方法として
身近に有る水を使ったかもしれません。

三種の神器の一つの八咫鏡は、もしかすると水鏡でその本質を映すものだったのかもしれませんね🌟






















































































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