琥珀のしたたり(6)
クフ王のピラミッド
紺碧の空に向かって建っている巨大な四角錐。
人類史上まれにみる建造物であるピラミッドです。
その多くの謎。
いったいピラミッドとは何なのか・・・。
誰が、何のために、どうやって造ったのか・・・・・。
クフ王のピラミッドは、底辺が約二百三十m、高さが約百四十六mあります。
そこまで石材を積み上げたのです。
それがエジプト王の葬送儀礼の執り行われた墓であることは、多くの専門家の間で意見が一致しているところであります。
ピラミッドの建造が、王の生きている間に成されなければならなかったプロジェクトであったならば、クフ王の場合、その在位期間は最短で二十三年だと考えられているので、どれほどの人出が必要だったのでしょうか。
アメリカの考古学者、マーク・レーナーの行った”ピラミッド建造実験”の結果を紐解いてみましょう。
一日の労働時間を十時間と想定したならば、石を切り出す、石を運ぶ、石を削って据え付ける、との三工程に分けることができるので、一日におよそ三百二十二個の石材のブロックを切り出す必要があり、三十二人で一日八個半だとすると、千二百十二人の採石工がいればよいことになります。
採石場からピラミッドまでが約三百mあるとすれば、一個平均二トン半の石材をソリに載せて引いてゆくのに、実験によると二十人なら良いということになるので、採石場とピラミッドの往復に二時間かかるとしたら、一組二十人のチームで、一日五個の石材を供給できたことになります。
したがって、二十人のチームが六十八組、計千三百六十人の引き手がいたと推測されます。
また、実験の結果、テコを使って石材を持ち上げるのに四人、石材を押して位置を調節するのに二人、石材を削って仕上げをするのに二人、これに予備の二人を加えると、ブロック一個に必要な人員は十人になります。
採石場からは一時間当たり三十四個の石材が届けられるので、それを十人が一時間で一つ据え付けるとすると、三百四十人がこの仕事に従事していたことになります。
しかし、このペースを維持し続けるのは少々きついので、仮に人員を倍の四十人にしたとすれば、約六百八十人の労働者が必要だったことになります。
石材を切り出すのに千二百十二人、運ぶのに千三百六十人、削って据え付けるのに六百八十人、合計すると三千二百五十二人。
これ以外でも、石材をピラミッドの上部へ運ぶための傾斜路の建設に多くの人員が必要だったと考えられています。
道具とソリを作る大工や、切断工具を作ったり研いたりする金属細工師、水を運ぶ労働者、労働者の食事を準備する職人もいたことを考えると、クフ王のピラミッド建造に関わった人々は、二万~二万五千人にのぼった可能性が指摘されています。
ピラミッドの建造実験を行ったマーク・レーナーはクフ王の大ピラミッドがそびえるギザ台地の南東にピラミッド建造に従事した人々の街を発見しました。
ここにはパンの焼き場があったことが分かっています。
ゴミ捨て場の調査からは、労働者たちが、当時とても貴重だった牛肉を食べていたことも判明しました。
さらに、この街の近くでは労働者の墓も見つかっています。
古代エジプト人にとっては、墓を持つというのは、一つの特権でした。
これらのことから、ピラミッドの建造に携わった者は、エジプトの一般市民、ことによると、ある種の特権階級、エリートとさえ言える人々だったと推測されるのです。
遺骨調査の結果から、そこには女性も含まれていたと考えられているのです。
ピラミッド労働者たちは仕事を終えて街に戻り、焼き立てのパンと貴重なタンパク源である肉を食べて、ビールを飲んで一日の疲れを癒していたのです。
古代エジプト人たちは死後の世界、すなわち来世を信じていました。
死者が来世で有力者になるためには、葬送儀礼や死後の供物といった、生者の世話が必要だとされていました。
そのため、死者は生者に世話を求め、逆に、生者は死者が来世で力を持つことによって、家を守り、維持してゆくことを求めたのです。
古代エジプト人にとって王とは神であり、全エジプトの家長であったのですから、ピラミッドを造ることは、国の事業に従事するという栄誉に浴するだけでなく、自らが属する共同体全体を、王の死したのちの新たな世界へと運ぶ準備に関わることだったのです。
ここまでが、クフ王のピラミッドに関して、あきら君が調べたものです。
ピラミッドの建造に携わったのは、決して奴隷だったのではないという、最近の研究成果がうかがえます。
「以上が、このたび僕の調べた限りのところとなります。」
みんなは、よく調べたねとねぎらいの言葉を投げかけるのでした。
あきら君の感想です。
「古代から人間には、芸術に携わる能力が備わっていたのですね。
最初に芸術なさった方は、本当に素晴らしいと思いますが、それを多くの人々に教え、広めて行くことが、また、大切なのだと思います。
学ぶ側も、継承するとともに、それを更に発展させて行くことが大切なのでしょう。
日の丸岩の銅板によって託されたのは、そういうことだったのではないでしょうか。
僕と共に研究、調査に携わって下さった多くの皆様方に感謝いたします。
ありがとうございました。
託された課題の、ほんの一部にしか携われていませんが、今後の研究、調査を宿題とさせて頂きたいと思います。
それでは御機嫌よう。
失礼いたします。」
あきら君たちの此の度の冒険は、ひとまず終わりを迎えました。
いいなと思ったら応援しよう!
スキやフォローやシェアなどをして頂けますと本当に励みになります。
喜んでいただけるのが何よりの幸せです。