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【妊娠日記】検索しないでとっとと寝ろ

[🔍️胎児 脳室拡大 治った]

これは、第一子である長男妊娠中に、私が毎日検索していたワードだ。

LINEに『楽しかった』と入れようと思い「た」を入力すると、予測変換で『胎児』が出てきて『脳室拡大』『治った』が続けて出てくる。すると、私の『楽しかった』は消え、また思い出して検索する。そんな妊娠後期を過ごしていた。

あれから早6年、2児の母となった私が、ある仮説を立ててみた。

『はじめてのおつかい』と『運動会』
全親を泣かすために存在している説

水曜日のダウンタウン風


親とは、無駄に子を心配する生き物なのでは?

だとしたら、妊娠中に検索しまくっていた私は、もうとっくにあの日から母になっていたんだと思う。




安心したかった私

6年前、順調に妊娠後期を迎えた妊婦検診で異様に長いエコー検査を受け、大学病院の胎児外来(お腹の赤ちゃんを診る専門の外来)を紹介された日から、私は検索魔になった。

取り憑かれたように〚胎児 脳室拡大 何ミリ〛〚胎児 脳室拡大 治った〛〚胎児水頭症〛等と検索して、大学病院のホームページやらブログやらを調べて見まくっていた。

まとめ記事には『成長過程で自然に治る場合もあります』とあった。が、検索してヒットするのは、同じ状況下で悩む親達がネットで相談している後日談のない知恵袋か、実際に診断されて闘病している方のブログばかりだった。

当時の私は、検索して治った人を探して、ただただ安心したかった。

【胎児水頭症】
胎児期水頭症という言葉は、胎児頭部にエコーフリースペース(超音波で黒くうつる部分で水を表します)が描出されるときに使われていますが、実際には脳室や頭蓋内腔に水がたくさんたまってしまう状態を「水頭症」と呼び、それ自体特定の病気を表すものではありません。大切なことは「水頭症」という状態になる原因が何かということです。

クリフム臨床胎児医学研究所マタニティクリニック
 夫律子氏


語らない優しさ

今ふと冷静になって〚胎児 脳室拡大 治った〛の経験者わたしが、検索しても探せなかった理由を悟る。

どれだけ妊娠中に、お腹にいる我が子を心配し疲弊したとて、無事健康で生まれたという事は、そうではなかった子や親にとっては『何もなかった事』と同じなのだ。

6年前、毎日必死に検索しても〚胎児 脳室拡大 治った〛を詳細に書いた体験談は見つけられなかった。

それは何もなかった親達の配慮であり、優しさだったのだと思う。


阪神淡路大震災

2025.1.17
車内でラジオを聴いていたら、阪神淡路大震災についてラジオDJ が語っていた。

僕も当時関西に住んでいて、家も相当揺れたんです。でも家族は無事で自分の周りの大切な人達も無事で…だから被災したって言いづらいんですよね。家族を失ったり友達や恋人を失ったり、そういう自分よりももっと辛い経験をしている人がいるのに、自分なんかが被災したって言っていいのかなって。でも僕は言っていこうって思って。それでも自分の経験としてあるものだから。誰かの役にたてるかもしれない経験だから。

どこかの局のどこかのラジオDJさん

車を運転しながら聴いていたので、一語一句はきっと合っていない。こんなニュアンスの内容だったと思う…たぶん。

そして私はこのラジオを聴いて、胎児外来に通った経験を、noteに書こうと勝手に決めた。


エゴと恐怖

私がnoteを始めて、もうすぐ1年が経とうとしている。始めた頃から、漠然とこの経験をいつか書きたいと、ずっと思っていた。今年の初めにハッキリ書こうと決めて、実際に少しずつ書き足し下書き保存した状態ではあったが、なかなか投稿できなかった。

『6年前の私が検索して辿り着きたかった経験談を、今の私がネットに残したい』

これは、私のただのエゴだ。

かつての自分と同じように、悩み、苦しみ、毎日検索している人に〚胎児 脳室拡大 治った〛経験者わたしの存在を確認して安心して欲しい。

でも、もしその人が私と同じ結果ではなかったら?


誰かを傷つけるかもしれない
という恐怖が、書けば書くほど襲いかかる。

*

note は、ドメインパワー(note.com)が強く、広告がほぼ入らず読みやすい等の理由から、SEOに強いプラットホームとされているらしい。

2023年に上場し、今年に入ってgoogleと業務提携を発表したnote株価は、一気に急騰した。一株500円台の時に買っておけば良かった。後悔しかない。ちくしょう。

…つまり何が言いたいかというと、

やるなら今しかねぇ。(©長渕剛)

ただの無職ド素人が書く文章でも、検索ワードさえマッチしていれば、読みたい人に読んでもらえる可能性がある。

自分の妊娠記録をネットに晒そう

毎晩検索魔になって眠れずにいた過去の自分を、救いたかった。そして、あわよくば、今かつての自分と同じように大きなお腹で我が子を心配いるあなたに、これを読んで少しでも検索から解放されて欲しいと、勝手に願っている。


妊娠記録①

久しぶりに母子手帳の妊婦記録ページを開く。出産後も予防接種や健康検診など病院に行く際は、保険証と共に常に持ち歩いている母子手帳。

しかし、このページは意図的に開かないようにしていたと思う。久々にページを開いて読む。6年前の事とは思えないくらいすぐに当時を思い出す。

ギュッと胸が締めつけられる。

2019.12.18
検診にて脳の水分量が多いとの事。エコーで黒い影あり。大学病院を紹介してもらい、詳しく調べてもらう事に。
2019.12.20
夫と一緒に大学病院へ。エコーでしっかり診てもらう。片側13.4mmの影があるが今のところは正常異形との事。このまま無事に異常なく健康で生まれてきて欲しい。とりあえず、30週頃をめどに経過をみていく。

母子手帳《妊娠24〜27週》より 


いつも通っていたクリニックで、いつも通り妊婦検診を受けていた。胎動も感じるようになり、エコーで推定体重を見てもらう。

いつもより何度もお腹に機械が往復し、入念に見ているのが分かる。

(今日は何だかエコーが長いなぁ…)

もうこの時点で嫌な予感はしていたと思う。医師と看護師が、コソコソ話している。

「院長呼んできて」

なぜかそこだけハッキリ聞こえた。

そのあと院長が来て、またエコーを見てもらった。エコー画面が赤ちゃんの頭部が拡大されて、カチカチ何かを測っている。

「これ見えますか?」

院長より、お腹の子の脳の水分量が多いという事、大学病院を紹介するからすぐに受診した方がいいという事のみ淡々と伝えられた。

診察室を出て、待合室で夫に連絡を入れながら泣いた。

帰宅して、早速私は検索魔になった。

説明された内容をネットで調べると、すぐに『脳室拡大』や『水頭症』という言葉に辿り着いた。

2日後、夫と一緒に紹介された大学病院へ向かった。大学病院だけあって様々な科があり、ものすごい人だった。紹介状を提出し、初診受付するだけでかなり待ったと思う。ベンチに座って案内されるのを待った。私がガチガチに緊張していたので、夫婦で会話はなかったが、ずっと夫が手を握っていてくれていたのは覚えている。

夫は平熱35℃代の低体温男だが、私は全身の血の気が引いてとにかく寒かったので、この日握った夫の手はいつもより温かく感じた。胎児外来では、通常の妊婦検診では見きれない時間と技術を使ってエコーで赤ちゃんの頭部を診てもらう事に事になった。

前回の妊婦検診で異常に長く感じたエコーだったが、さらに時間をかけて色々な角度から写真を撮ってもらった。

(あぁ…ダメだ…泣きそう…)

ずっと夫が隣で見守っていてくれたのが、唯一の救いだった。

しばらく待って、別室の小さな部屋で検査結果を夫婦で聞いた。片側13.4mmの影(脳室拡大)があると言われ、さらに血の気が引く。事前にネットで検索していて、影が10〜12mmは軽度、13〜15mm中等度の脳室拡大と判断されると知っていたから。

検索し過ぎも良くないが、事前にある程度調べたおかげで気になる点は質問できた。異常が分かってから2日後の大学病院受診だったのも良かった。1週間後ならきっと情報過多になって冷静に質問できなかっただろう。

具体的には以下の質問を先生にした。

質問①
13.4mmは中等度だがこれ以上大きくなる可能性(重度)もあるのか?
➤当日の頭の位置や角度だったりで多少の誤差はある。今のところ経過を見てみないと何とも答えられない。30週頃を目安にまた受診して欲しい。

質問②
今のところ“正常異形”とはどういう状態か?
➤脳室拡大が片側のみ出ている事もあり、一時的なものである可能性もある。

質問③
地元に帰って33週から里帰り予定だが可能か?
➤今後の経過で異常(一時的でなく継続的な脳室拡大)が見られた場合は、里帰り不可能。このまま大学病院へ転院し出産→そのまま大学病院の小児科で検査し、赤ちゃんに異常があれば対応してもらうという流れになる。

結局、胎児外来で異常が分ったとて、出産しなければ、お腹の子供にしてあげられる事は何もない。

スッキリしないもどかしい気持ちのまま、次の受診予約をして帰宅した。

ここから次の受診まで、私は更に検索魔になった。不安な母の気持ちを鼓舞するかのように、お腹の中でピクンッと我が子が動いていた。


妊娠記録②

2020.1.8
体重1kgを超える。脳室も前回より小さく12mm程度になっていた。このまま無事に元気に育って欲しい。
2020.1.23
今日で里帰り前最後の検診。脳室の影も11.2mmに小さくなっていた。少し安心。

母子手帳《妊娠28〜31週》より

脳室の影は経過毎に小さくなっていた為、『正常異形(一時的な脳室拡大)である可能性が高い』と、診断された。

胎児外来の診察を終え、里帰り出産に向けて地元の産院へ転院する為、産院宛に診断報告書を書いてもらった。

分娩を断られる可能性もある為、事前に胎児外来に通っていた経緯を説明しておいた方がいい」と、それまで通っていた病院の先生に言われ、緊張しながら産院へ電話をする。

出産予定である私の地元の産院は、幸いにも市民病院との提携病院だった。「何かあれば市民病院と連携します」との事で、ガチガチに緊張していたこちらが拍子抜けするほど、すんなり受け入れてもらえる事になった。

産院の分娩予約は激戦だ。人気の産院は妊娠が分かってすぐに予約をしなければ、あっという間に枠が埋まってしまう。私が出産を予定していた産院も、病院食が豪華で美味しいで有名な人気の産院だった。

予定通りあの産院で、病院食豪華な食事が取れて良かった。

私は心から安心した。


緊急事態宣言からの陣痛発生

33週に入り、里帰り出産予定の産院へ正式に転院した。コロナ感染を恐れ、実家へは4時間ほどかけて夫が車で連れて行ってくれた。

実家に帰ると、父も母もわたしの身の回りのことをほぼやってくれた。

コロナ禍真っ只中で気軽に出掛ける事もできず、私は近所の公園を散歩するくらいしか動かなくなった。

悪阻により4kgの減量に成功した私だったが、臨月に入ると恐ろしいスピードで体重は増えていった。

この頃の妊婦の体重増加は、よく『息を吸うだけで太る』という表現が使われる。私は妊娠するまで、ずっとこれは比喩だと思っていたが、ただの事実だった。

空気って太るんだなぁ…

#この経験に学べ


2020.4.7 緊急事態宣言発令
夫は仕事を調整し、出産に立ち会う予定だったが、予定は白紙になった。

翌日、実家のリビングで大笑いしながら『有吉の壁スペシャル』を観る。大笑いは中笑いになり徐々に苦笑いになっていく…。

(痛い…お腹が痛い…これは、もしや陣痛?)

痛いっちゃあ痛いけど、我慢できるっちゃあできる。テレビドラマの影響で、『陣痛』=腹を抑えてしゃがみ込み「イタタタタタッ」だと思っていた私。

初めての経験なので、この痛みが本物の陣痛なのか前駆陣痛なのか強めのお腹の張りなのか…全く区別がつかない。

「何かお腹痛いけど、これ陣痛かなぁ?」
「え?!?!」
「でも想像より痛くないんだよなぁ…」
「うちは痛みに強い家系なのかも…」

母が、そういえばと思い出した顔で話す。

「お母さんもね、陣痛かなぁ?と思って病院行ったら、着いた頃にはもう出そうだったの。自分で車運転して病院行ったから、めちゃくちゃ先生に怒られちゃった。」

母の陣痛エピソードのパンチが強過ぎて、痛みに強い家系情報が目の前で霞む。

とりあえず、痛みの間隔をスマホに入れていた陣痛カウンターアプリで測ってみる。

病院からは「陣痛間隔が10分くらいになったら来てください」と言われていたが、間隔はとっくに10分を切っていた。

産院に電話すると、「今すぐ来てください」と言われた。父がただただ慌てふためく横で、母はさっさとパジャマから洋服へ着替え、わたしは『今から入院だったら朝まで病院食なにも出ないな?』と思い、せっせと入院カバンに追加のお菓子やら飲み物やらを詰めていた。

動揺する父を実家に残して、母に車で送ってもらい病院へと向かう。到着すると、すぐに痛みの数値が分かる機械をお腹に当てて計測する。助産師さんに「よくここまで痛みを我慢できてたねぇ」と感心された。

やはり我が家は痛みに強い家系だという事が、数値を持って証明された。

当然のように、私はそのまま入院となった。

夜中に入院し、「早ければ昼前には生まれるかも?」と言われた出産だったが、初産という事もあり、なかなか生まれる気配がないまま時間が過ぎていった。

その間、待ちに待った病院食豪華な食事が陣痛中にやってくる。朝食は、なんとか陣痛間隔の波を感じて痛みの弱い瞬間を狙い、小間切れで食べられる事ができた。が、昼食の時間になると、いよいよ痛みの間隔が短くなり、大波に飲まれ、無念の全残しとなった。


いきみに特化した出産

『頑張らないために頑張る』
これは、私の人生における永遠のテーマである。そして、出産においても私は、このテーマを掲げて挑んだ。

どんなに痛くとも、叫ばず、無駄な体力を使わず、最後の出す作業いきみに全力を注ぐ事を心に決める。

正産期に入ると、助産師YouTubeを視聴したり、検診で助産師さんに『いきみ』のコツを聞き込みしたりと、『いきみと徹底的に向き合った。

最後の最後に出産が長引いて、頑張る時間がこれ以上増えないため…そう、全ては頑張らないために。

そして、いよいよ出産も佳境に入る。

我が子に会いたい!しんどんい!早く出したい!

事前の予習もあって私の渾身の『いきみ』は、それはそれは上手くいった。痛みと呼吸のタイミングを意識して、思い切りいきむ。助産師さん達から「いいよぉ〜、上手!」と言われるたび、私は調子に乗りに乗った。

助産師「あと何回かで赤ちゃん出そう!」

もう何回も頑張れない。

(...…絶対にあと1発で出す!!!!!)

アドレナリン全開の私は、世界新記録を出すくらいの意気込みで、最後のいきみに挑んだ。

真面目に汚い話をすると、
『いきみ』≒『硬めのウンコを出す』である。

出産前の助産師外来で、助産師さんにこの話を初めて聞いた時は、半信半疑だった。が、渾身のいきみで2児を出した今なら全信で言える。

『いきみ』≒『硬めのウンコを出す』である。
 (2回目)

陣痛の痛みと呼吸(特に吐く息を意識)に集中し、後は全力でいきむ硬めのウンコを出すのみ。

「う"ぅぅぅぅぅぅ…ん"〜!!!」
「おぉぉぉ!?すごいすごいすごい!」

長男「ウォォオンギャァァァアアア」

出てきた我が子は、それはそれは大きな声で元気に泣いていた。

(赤ちゃんって本当にオギャアって言うんだ…)

助産師さんをはじめとした医療スタッフの方々は、コロナだろうが何だろうが、ただいつも通り精一杯命を迎えてくれた。

妊娠も出産も奇跡だ。

そこに行き着くまでに何かあっても、何もなくても、命が生まれる事は当たり前ではない。どの命も、全て。

*

入院中、小児科の先生に長男を診てもらう。

先生に「異常ありません。健康です。」と言われ、やっとホッとしたのを覚えている。

身長151cmのわたしから、3490g 54cmで生まれた長男ビッグベイビー。病院からの厳しい妊婦体重管理指導も『小さく産んで大きく育てる』等という言葉も親子でガン無視した結果、新生児室でも一際大きい赤子が爆誕した。

順調に、すくすくと育っていく長男ビッグベイビー
乳を力強く吸い、時に母の乳首を噛みちぎりながら、グビグビ飲み倒し、身長体重共に成長曲線グラフの平均を大きく上回っていった。

乳児健診の度に「丈夫な体!健康!この子は大丈夫!」と、太鼓判を押してもらい、私も特に心配な事も聞きたい事もなく、健診は毎回すぐに終わった。


妊娠中、長い長いエコーを受け、ずっと心配され続けていた胎児は、健康優良児となった。


#あの日母になった私へ
デカフェ飲んで、とっとと寝ろ♡

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