すべり止めに滑り倒した話
【滑り止め受験】
第一志望の大学に合格できない場合に備えて、確実に合格できる大学を受験することです。併願校とも呼ばれます。
根拠のない自信ほど怖いものはない。
私は信じていた。“私が確実に合格できる大学がある”と。
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高校3年生の春。
進級してもなお私は行きたい学科が絞りきれず、悩んでいた。
当時私は、化学担当で授業でもお世話になっていた学年主任のS先生に進路相談に乗ってもらっていた。
「漠然とモノづくりに興味はあるけど、それが建築なのかインテリアなのか商業なのか、絞りきれないので、まず学科が選べません。」
私はそのままS先生に伝えた。
先生は真剣に私の話を聞いてくれた。
後日S先生に呼ばれて進路指導室に向かうと、“まず1年間デザインを広く学び、残りの3年間で専攻分野を自分で選び学ぶ”という、優柔不断な私にピッタリの学科がある〇〇大学を紹介してもらった。
その後、私は〇〇大学の赤本を買い、夏にはオープンキャンパスにも参加した。
もう気持ちは〇〇大学の学生だった。
しかし、私の成績は“中の下”
皆さんのクラスにもいなかっただろうか?
あの子真面目に授業受けてる風なのに、補習にいつもいるな、、、アレ、私です。
〚このままでは〇〇大学生にはなれない〛
私は〇〇大学の赤本や過去問を解きまくった。受験生のわりに直前まで“のほほん”としていたので、このままでは時間が足りないと確信した私は“得意科目の数学と物理に比重をおき、あとの科目はほぼ捨てる”という人生初にして最大のギャンブルに出た。
職員室に通い、物理担当で野球部顧問でもあったH先生に何度も質問しに行った。
ちなみに、H先生は学校内でも怖いとされていた人で、以前私も友人と自転車を二人乗りして部活の休日練習に向かう途中に見つかり、
「コラぁぁ、何年何組の誰だぁぁあ」
と怒鳴られた事がある。
当時H先生も車で野球部の休日練習に向かっている途中で、後部座席には私の担任であり野球部副顧問でもあったI先生(当時まだ20代)が、気まずそうにしていた。
H先生とI先生は真逆の性格で年齢差もあったため、生徒の目から見ても2人の関係が上手くいっていない事は明らかだった。
後日I先生に「何かごめんね〜、先生」と私がヘラヘラしながら謝ると、「気まずかったぞ!!!」とわりと本気で怒られた。
受験が終わり、あとは合否結果を待つだけとなった。
ギャンブル受験を選択した私は、滑り止めとして受けた大学の過去問は解かず、傾向と対策ゼロで挑んだ。
これが大きな間違いだった。
私は滑り止めとして2校受験したが、結果は見事にどちらも不合格。
“すべり止め=確実に合格できる大学”という方程式が崩れ、すべり止めに滑るという奇跡体験をした。アンビリバボーである。
両親は「浪人してもいいよ」と言ってくれた。
私には3つ年下の妹がいて、当時中学3年生。まだ1人受験を控えた子供がいる中での両親の勇気ある提案に、私は「浪人はしない。1年無所属で頑張れない。」と即答した。
“無理して頑張らない”
これは私の長所でもあり最大の短所でもある。
ちなみに3年後、気合いと根性“無理して頑張る”妹は、「浪人する!」と高らかに両親に宣言。1年の浪人生活を経て、東京の大学へと無事に羽ばたいていった。
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すべり止め大学に滑り倒した私。
もはや絶望的と思われた受験だが、第一志望の合否発表のみ残っていた。
もはやドキドキもない諦めに近い気持ちで、携帯に受験番号を打ち込み、一応合否を確認した。
なんと結果は合格。
*2025/3/10追記*

