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いずれは全て失うのに、どうして大切なものばかり増えていくの

こんばんは、うたです。
皆さん、今日も一日お疲れ様でした🍀

今日は、いずれは全て失うのにどうして大切なものばかり増えていくの、の題で書いていきます。

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これはSEKAI NO OWARIのMagicという曲の一部分である。

かつ、この文字こそ自分がこの世を生きる上で、常に考えさせられる言葉である。

人間は誰しも"死"というものに向かって生きている。それは、自分から、ではなく、自然と。それを回避することも出来なければ、いつ"その時"が来るかどうかも分からない。

その"死"の過程を踏む中に"生"がある。

そして、"生"を経験していく中で、沢山の"宝物"ができる。その宝物は、金銀財宝!ではなく、想い出や体験という形として出ないものや、仲間や家族という具現化されているものまで、この世界には、たくさんの"宝物"がある。

自分はそんな"宝物"が出来ることが、怖い。

この世はとても皮肉である。大切なものが増えれば増えるほど、恐怖が強まり、少なければ少ないほど、終わりに対して楽観的だろう。ただ、それはゴールにおいての感想であり、生きている間の感想ではない。その場面に変わると、前者が最高の人生、後者が物足りない人生とも捉えられる。

けど、自分は物足りなかったとしても、怖さに鈍感でいたい。

それなら、いっそのこと、宝物は要らない。

必要最低限で暮らしていたい。

失いたくない。"誰"も、"何"も。


ただでさえ、死が怖いのに、更に全てを失うなんて恐怖を背負い切れるほど、人は、自分は強くない。

大切なまま、生きたままこの世を全うできないのならば、この出来損なった我儘を肯定せざるを得ない。そう思っていた。が、

あの出来事でその絶対的であった価値観が揺らいだ。

笑舞(妹 享年5歳)の"死"である。

自分が死んでもないのに、大切なものを失った。全て失う時が来る前に、存在が消えた。家族であり、これからの光・希望が無くなった。

自分が死んでから天国へ行くのか地獄へ行くのか、どうでも良くなるほどの呆然。

その時から時間が経ち、今、宝物を増やそうと思って生きてはいない。そこの価値観は不変だが、

死に対する恐怖感は無くなった。

生前の笑舞を見返した。それは無意識的に、生に対して貪欲に生きていた。それは、生きたい!って強い気持ちではなく、明日も過ごせるだろう、という希望を持って。本心は分からないが、その姿は、全く死を怖がっていない、当たり前に生きれる、という大きなものに見えた。

怖いもんなんてない

そう言われている気がした。その時、今まで怖がってきた漠然とした恐怖が解き放たれた

こんなに小さな身体で、自分よりも強い。自分には、この世界で、まだまだやらないといけないことがある。そう思った。

今1度言う。自分は、今宝物を増やそうと思って生きてはいない。ただ、

笑舞の分の宝物を、自分が作り出したい。

そう思った。そして、作って、と言われてる気がした。

勿論その宝物を笑舞が触れるわけでもなければ、生を踏んでいるうちに伝えられるわけもないと思う。

ただ、笑舞という子が生きた証拠は残っている。実質、笑舞はまだ皆さんの中で生きている。

それを発信していくことで、自分が努力することで、笑舞の生きた分から生じた"宝物"が生まれる。その"宝物"は笑舞でも触れられる気がする。

5年の生涯を終えた妹。しかし、皆さんの心の中では、7歳としてまだ生きている。まだまだあの子は、この世を生きている。

いずれは全て失うのに、どうして大切なものばかり増えていくの

全て失う、確かにその通り。
けど、笑舞は、まだ生きている、失っていない。

生かされた者、我々が努力すればこの言葉を否定することができる。

自分が努力をすればするほど、その考えを受けた人が自分の考えを継いでいき、それもまた自分は死んでいない。

そんな循環が出来れば、全てを失わない。そして、

そんな人生が素晴らしい。

人生のゴールが人生のゴールにならないように、

"今を生きる"

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