戦時中の能 そして映画「南の島に雪が降る」
今年は昭和100年、戦後80年という節目の年である。数字の巡り合わせに過ぎないのかもしれないが、不思議と人の心はこうした区切りに敏感になる。暦や記念日が、過去を振り返るきっかけを与えてくれる。
「能は戦時中も上演されていた」と昨日書いた。
観たい人がいて、演じたい人がいた――そう単純に片付けてしまったが、それはあまりに無知な物言いだったと反省している。戦時下にあって、舞台はどのように必要とされたのか。終戦記念日の折にもう一度考えてみたい。
昨夜「暗黒名画座」で取り上げられていたのは、映画『南の島に雪が降る』。俳優・加東大介の戦争体験に基づく物語である。
ニューギニアで主力部隊から見放された兵士たち。上官の命令で演芸部隊が立ち上げられる。三味線弾き、脚本家、舞踊家、友禅職人……それぞれの技能を持った人々が舞台を作り上げた。
飢えに苦しむ中でも、舞台は連日大盛況だったという。がある日、客席は水を打ったように静まり返った。泣いているのだ。なぜなら、紙吹雪の雪が舞ったからだ。彼らは皆、東北出身者だった。南国で雪を目にし、遠い故郷を思い出したのである。
人は米だけでは生きられない。笑い、涙し、美味しいものを食べ、心を潤す何かがどうしても必要だ。わずかなひとときの慰めが、次の日を生き抜く力となる。
『火垂るの墓』に出てくるように、空になったドロップの缶に湯を注ぎ、ほの甘い香りを味わうだけでも、人は少し救われる。
そう考えると、戦時中にも能が演じられ続けた理由が見えてくる。観客にとっては日常の辛さを忘れる一刻であり、演じる側にとっては自分にできることを尽くす自然な営みだった。大それた英雄的行為ではなく、人が人であるための最低限の営みだったのだと思う。
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私は、入り組んだ家族関係の上に、不自然なかたちで守られていたため(わかりにくいかな…、まあ複雑な家族関係と言うこと)、身近に戦争を語る人はほとんどいなかった。叔母が子どもを負ぶって、火の粉を避けるため用水路に飛び込んだと言う話を繰り返し聞いたくらい。それ以外は記憶に残っていない。
父15歳、母11歳で終戦を迎えた。祖父も出征していない。
家業は戦後の高度経済成長と共に大きく発展し、家族は前だけを見て生きていた。過去は振り返らない。だからか、私も戦争を骨身に染みるほど考える機会を持たないまま大人になってしまった。
もちろん本や映画で戦争に触れることはある。広島の原爆資料館を訪れたときは、しばらく立ち直れなかった。事実を知ることは大切だが、あれらを受け入れるには、ほんとうに時間がかかった。あれらは美しく語ることではないが故に、受け入れるのに時間がかかった。
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能は悲劇を具体的かつ普遍的に描く。見る者に「耐え得るかたち」にして差し出してくれる。
今月初めに「能・オッペンハイマー」が上演された。核をめぐる人類の苦悩を能の形式で描く試みである。私は残念ながら観ることができなかったが、能の方向性に思いを馳せた。
本説を大事にした世阿弥が現代に生きていたら、太平洋戦争を題材にした能を必ず書いたであろう。
能は過去の芸能であると同時に、今も戦争や平和、死と生といった人間の根源的な問いを私たちに投げかけるのだ。
終戦80年。能はその年月をも軽々と越えて、私たちに「人間とは何か」を問いかけてくる。
安田登師から「能は困難な時代にこそ力を発揮する」と言った趣旨のことを伺ったことがある。
絶滅危惧種と呼ばれながらも、変わらずに受け継がれてきた能。今まさに困難な時代。その底力が、これからもっと発揮されることを願っている。
『暗黒名画座』
