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プラセボの決断(4)

「犬飼社長、ちょっと買いたいものがあるんだけど・・。」
「何?どしたの?舞が俺のこと犬飼社長って言うの久々に聞いたけど。」

舞とは結婚して6年になる。出会った当初、俺は会社勤めのサラリーマンだったのに、起業してエゾシカジャーキーを売るなんて、その上、自分が会計担当兼社長夫人になるなんて、思ってもなかっただろう。俺だって自分が社長になるなんて、想像していなかった。

舞はいつも20万円以上の買い物をするとき、わざと俺のことを「犬飼社長」と呼ぶのだが、今回は洗濯機と炊飯器の調子が一緒に悪くなり、犬飼社長案件になったようだ。家電はなぜだがタイミングを合わせたかのように、まとめて壊れることがある。

「そういえば、結婚するちょっと前、舞のマンションにあったドライヤーとコーヒーメーカーが同じ日に壊れたことあったよな。」 
「あー、あれね。いきなり2台一緒に壊れて、朝からもうバタバタで。お給料もまだ少なかったから、買い直すの大変だったのよ。それでもね、新品が2台揃ったときの達成感、あれはなかなか良かったわ。」

確かその日の事件は、ベッドの脇にあった目覚まし時計が午前2時50分を指したまま、止まったところから始まったはずだ。念のためにセットしていたスマホの目覚ましで飛び起きたまでは良かったのだが、コーヒーメーカーにスイッチを入れても電源ランプは付かず、ドライヤーのスイッチを入れても温風の代わりに煙が出てきて、朝から訳が分からなかったと、物凄い勢いで舞が電話で話してくれたのを憶えている。
そして、もう忘れてしまったかもしれないが、「俺がドライヤーを買おうか?」と申し出たら、「アルバイト生活のあなたに買ってもらうことはできないわ。」と、きっぱり断られたのもよく憶えている。

「ま、ドライヤーもコーヒーメーカーもそのまま嫁入り道具になるなんて、もちろんその時、思ってなかったけどね。」
と言いながら舞は早速、スマホで価格比較サイトを見て、洗濯機と炊飯器の値段を調べ始めた。きっと、今回も大切に使い続けるのだろう。
お金を払えば物は買えるが、物を手入れるまでの過程の方が心に残り、その人を形成する一部分として生き続けることがある。

いずれにしても、予定のなかった買い物に気持ちは盛り上がっている様子で、すぐにでも必要なので、その日の午前中に家電量販店YDへ買いに行くことにした。

自宅から歩くと片道30分程度という、丁度いい運動になる位置に家電量販店YDがある。そして、YDまで徒歩で行く場合は、地上のルートと地下街のルートの二つがあり、万が一、舞が地下街のルートを選択すると、101の店舗前の通過が避けられない事態となる。
購入を反対された101の話を蒸し返したくないので、舞に車で行こうと提案したところ、特に怪しまれることはなかった。

平日午前中の家電量販店YDは、比較的空いていた。店員さんのおすすめと舞の事前リサーチのお陰で、たいして時間をかけることなく買い物を済ませることができ、結局、洗濯機は3日後に配達と設置、炊飯器はそのまま持ち帰りとなった。車で白物家電の購入をしに行っただけなのに、なんだか一仕事した気分になった。

午後からは、肘掛けの付いた会社の事務椅子に座り、ニュースをスマホでチェックしていた。上から順番に見出しを眺めていると、いつもの黒猫の広告を押しのけて「有名トリマーが盲導犬協会・犬猫保護団体へジャーキーを寄附」との文字が目に入った。
有名トリマーとジャーキーだなんて、うちの会社と同じじゃないかと興味深々でニュースを見てみると、なんと「もみじ」の袋を両手に持って、にっこりと笑う大迫さんを、ラブラドールレトリバーの子犬3匹が取り囲むようにお座りをしている写真があった。

記事によると、プードル専門のカリスマトリマー大迫さんが、全国の盲導犬協会や犬猫保護団体へジャーキーを毎月寄附していると書かれていた。
想像もしなかった事実に驚き、もう一度記事を読み直していると、こちらの行動を読んでいるかのように、大迫さんから電話が入った。
「メールで「もみじ」500袋注文って送信したのですが、1000に訂正できますか。犬飼さん、もう発送しちゃいました?」
「大迫さん、それよりもネットニュースさっき見ました。あれ、うちの「もみじ」じゃないですか!しかも、寄附しているだなんて。お店で販売するんじゃなかったんですか?」
「あ、今日配信されていたんですか、あの記事。私、忙しくて全然見てなくて。「もみじ」はうちのお店でも販売していますし、記事に書いてある通り、いろんなところに寄附もしています。だってね、犬飼さん、トリミングに来る子たちは飼い主に可愛がってもらって幸せな子ばかりですけど、そうでない子たちは、こちらから近づいて行ってあげないと会えないんですよ。それに、ほら、私、忙しくてお金を使う暇がなくて、放っておくと貯まる一方だから。」
大迫さんはわざと大げさに、冗談交じりに言った。
「大迫さん、寄附って言っても、数がすごすぎます。」
「そんな、私にとっては大した数ではないんです。トリミングの仕事に出会えた、せめてものお礼のしるしだから。それに「もみじ」は、どの犬種の子にも好評なんですよ。」
電話では姿は見えないけれど、大迫さんが水面に落とした小さなしずくが水紋になり、大きく広がっているように見えた。

大迫さんの創り出した水紋の一部に、自分も入っていることに気が付いたのは、電話を切った後だった。そして、超大型犬から小型犬まで、色々な種類の犬たちが「もみじ」を中心として輪を作り、よだれが出るのを我慢しながらお座りをしているところを妄想していると、外回りに出ていた島本が慌ただしく入口から入ってきた。
「島本、おつかれさん。」
島本は真っすぐ俺の方へ歩み寄り、スマホを差し出しながら大迫さんの記事を大きく広げて見せた。
「社長、この記事読みましたか。」
「おお、すごいよな。びっくりした。」
「先日の話、憶えていますか?みんかわさんとタッグを組んで、みんかわ専用特別ジビエジャーキーを作る話。大迫さんへの交渉、俺にやらせてください。俺にいい考えがあります。ジビエジャーキー1袋につき10円を犬猫保護団体に寄附する商品として販売するんです。一度、事業計画をたてて予算組みしてもいいですか?というか、うちの会社にその予算はありますか?」
「そうか、面白そうだな。島本、うちの会社をあまり舐めるなよ。余剰金は多少あるし、なんなら銀行から融資をうけることもできる。事業計画を立てて、俺にプレゼンしてみろ。プレゼンは来週の木曜日。工場長にも同席してもらうぞ。」
「ありがとうございます。俺、頑張ります。」
新たな水紋を創るしずくが、嬉しいことに身近にいた。

舞、大迫さん、島本。一つ一つ決断しながら前に進んでいく3人の姿は、今の俺から見ると眩しすぎる。島本に今の俺の気持ちを悟られないよう「もみじ」の納品済み書を眺めながら、仕事のふりをしていると、大迫さんと電話したあと、ぎゅっと手に持ったままになっていたスマホが手を放せと言わんばかりに、ぶるっと振動した。101からのLINEだった。お友達登録をしたので、時々キャンペーンのお知らせが入るようになっていた。俺も何か動き出さないと・・。動機の辻褄が合っていないのは自分の中でも十分わかっていたが、背中を押してくれる誰かの存在を一方的であれ感じた今のタイミングは、逃す訳にはいかなかった。そうだ、今しかない。

LINEを開き、震える指で101に予約を入れると、自動的に返信が来た。「ご予約ありがとうございます。9月2日午後3時にお待ちしております。」

#創作大賞2024 #お仕事小説部門


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