君ならできると言われたときは
大学の方向とは逆向きの電車に乗って、大学に行くのと同じだけ揺られ、某駅の裏のサイゼリヤに来た。
課題をするためだ。正確に言えば少し違うのだけれど、それについてはあとで話そうと思う。
日曜の夜のサイゼリヤは割合と空いていて、パソコンカタカタどころか編み物なんかをしているひともいたりして、眉間にしわを寄せながら左手で辛味チキンを口に運びつつ右手で付箋まみれの構成メモに加筆するなどというクロスドミナンスの無駄遣いをしたところで、さして目立たない。
気の利いた枕をもう少し転がそうとも思ったが、思いつかないのでちょうど、チキンのサラダの二皿目を平らげたことをご報告しておく。
部屋で作業をすると俺がこの2年丹念に拾い集めた誘惑にすぐ転がされてしまううえ、俺はあまり集中力が狙って発揮できないタイプのため、あまりにも進まない課題の原稿に転地療法を試みたわけだ。
成果は出ていると言えるのやら、言えないのやら。まあ筆は乗ってきた。
大学は人生の夏休みなどとのたまう大人もいるが、大学が本気を出すのは春休みに対してだ。入試の日程が長いため、2月から4月の始業まで、ずーっと春休み。大した課題もない。夏休みよりよほどいい。
今格闘している原稿は十分「大した」課題ではあるのだが。
詳しいことは避けるが、俺の通う大学で最大のコンペティションに参加して、学長以下長年その種の作品作りに関わってきた人間に直接原稿をめくらせることのできる貴重な機会が年度初めにある。ぜひにもお前はその場に立てと背中を押され、引っ込みがどうもつかなくなったのだ。
引っ込みがつかなくなったというのはこれもまた正確な表現ではない。
学内という範囲の指定があると言えども俺の作品が衆目に晒され、そこから得られる機会の広がりだとか、様々な視点から俺の成長するために必要なものが指摘されることだとか、そういったメリットはいまひとつ像を結ばない。一方で、逃げ出したところで成績が下がることもなく、見事に果たしたとて単位が余計にもらえるわけでもなく、しかし「お前の書いたものは評価に耐えるものだ」という評価、言い換えればある種の信頼なのかもしれない。俺はそういったものを受けると、どうしてもそれを損なうわけにはいかないという考えが働いてしまう。
その考えのせいでひどい目にも遭ったし、遭わせたこともある。
蒸し鶏の香味ソースが運ばれてきた。ちなみに今日はまだ一皿目だ。
俺は一族に愛されて育った人間なので、全体的に自分のことが気に入っている。
天才のように振る舞うこともままあるし、実際才能がまったくない部類には属さないだろうという自信がある。日頃からある。
俺の才能を見込んで「君ならできる!」と背中を押されたとき、「そんなわけがない」と思うことはほぼない。「いいよ、なんとかしてやるよ」と思う。
俺の人生、大体なんとかなってきた。なんとかなったというのは、べそをかきながら夜中まで計算ドリルをやって1年分の提出課題を2週間で出すとか、心底申し訳なさそうに先生に頼み込んで提出期限を3日か5日ぐらい待ってもらうとか、麦茶を飲んでいるうちに祖父が秘密基地の屋根を葺いておいてくれたとか、そういうことだ。
高校入試を公立一本にして、その地域でいちばんの秀才たちと受験に臨み、何の不思議もなく落ちて途方に暮れたが、なんとその年から公立2次試験の制度が拡充されていて、俺は無事に四月から高校生になったりもした。
まあ、順当にどうにもならず、不貞寝を強いられたこともあるし、頭をさげさせたこともあれば頭をさげたこともある。
とはいえども、殿中でござる沙汰に至ったこともなければ介錯お頼み申すとなったこともない。一応、一定の水準までなんとかはなっているのだ。
だから、押し迫る「君ならできる」に対して現れる、俺の良くない感情は「なんとかしなきゃ」なのだ。
ハモン・セラーノを食べたらぶどうジュースが飲みたくなった。
席を立って背中を伸ばすと、編み物をしていたはずのボックス席では、実験に失敗した博士のような頭をした若い男が子犬のような若い女のハンバーグの皿を支えてやっていた。なんだかしらんが変に幸せそうだ。
氷は入れずに白ブドウのQooをたっぷりと注いで席に戻り、話も戻す。
前述の通り俺はなかなかやらかしが多い。これも1時間で書かないといけないルールなのに、もう45分は使っている。そう、ちゃんと時計も見てないし。
急いで本題に入ろうと思う。
世界を天才と凡人の二つに切り分けるよお、と神様が巨大なナイフを振り下ろしたら、俺はちょうどその刃を受けて死んでしまうだろう。もしくは、目の前で天才の世界とを切り分ける深い谷が刻まれて、なににつけてもどうにもならない人間と暮らすうちにふと思い立って谷を飛び越えてみようとするかもしれない。
俺は誰かの脳を焼くような天才ではないけれど、何も成さずに生きるには火力が高すぎる。
それは才能と言うのかもしれないし、もしくは欠陥であったり異常であったりするのかもしれない。
俺の中に火種などなくて、あまたの火力有り余る天才や、全てを投じてその火を燃え上がらせたひとたちに焼かれた脳が白い煙をあげていることを勘違いしているだけということも十分あり得る。
それでも、俺は「君ならできる」と言われるたびに、「俺がなんとかしてやるよ」とへらへらしてしまうのだ。
サイゼリヤのfreeWiFiは1時間で切れる。
課題どうにもなっていないのだが、とりあえずちらかした紙をまとめてティラミスを頼もうと思う。
コンペの締め切りまであと1週間ある。
どうにかしてやるよ。仕方ないからね。
