イラン攻撃は宗教戦争のはじまり:後編
イラン攻撃と並んで懸念されるのが、ガザ地区の戦後処理です。
トランプの娘婿クシュナーは、パレスチナ人を追放した後にリゾート開発を計画していると報道されました。
福音派右派の視点では、パレスチナ人の虐殺すら「イエス再臨劇場」の舞台演出にしてしまうのでしょうか。
急進的なキリスト教終末論(ディスペンセーション主義)と、ユダヤ人シオニズムの化学反応こそがこれらの元凶なのです。
私は20年前に、統一運動の「エルサレム平和巡礼」に参加しました。
この時期の現地情勢をまとめたサイトがあるので紹介します。
和平の破綻とイスラエルの大侵攻
2000年、PLOのアラファト議長とイスラエルのバラク首相によるキャンプデービット会議が不調に終わり、 パレスチナ人の間に失望感が広がります。 同年、イスラエル右派のアリエル・シャロン元国防相が一団の武装集団を引き連れてエルサレムのイスラム教聖地を強行訪問し、 パレスチナ人の怒りが再燃しました(「第二次インティファーダ」のはじまり)。 イスラエル側は重火器を投入して一般市民を攻撃し、パレスチナ側では自爆攻撃が相次ぎました。
イスラエルでは2001年にシャロン政権が誕生し、2002年4月にはパレスチナ自治区への武力攻撃がかつてない規模で開始されます。 戦車や戦闘機が大量投入され、多数の非武装市民が犠牲になりました。 2000~2005年の間の衝突による死者は、パレスチナ側3,339人(うち子ども660人)、 イスラエル側1,020 人(うち子ども117人)にのぼりました。
自治区封鎖の強化と「隔離壁」の建設
2005年、ガザ地区からイスラエル軍・入植者が撤退しました。 しかし同地区は依然イスラエル軍に包囲され、封鎖が続いています。 2007年の選挙結果によって、ガザにそれまでのPLOではなくイスラム政党ハマス主体の政府ができて以降は、 封鎖は更に強化されました。 2008年、2012年にはイスラエルによる大規模な軍事侵攻が行われ、多数の一般市民が犠牲になりました。 人や物資の移動も制限され、ガザ地区では深刻な物資不足や生活環境の悪化、経済・社会活動の停滞が起きています。 西岸地域では、2002年から巨大な「隔離壁」(西岸とイスラエルを隔てるコンクリートや鉄条網の壁)建設が開始されました。 隔離壁は1949年の停戦ラインを超えて建設され、ユダヤ人入植地や入植者専用のハイウェイも組み込まれたため、 パレスチナ自治区は飛び地状態になっています。 国際司法裁判所は、この隔離壁がパレスチナの自治を阻害し、生活圏を分断するものであり国際違反と裁定を下しましたが、 壁の建設は続行されて西岸は取り囲まれ、人々の移動が制限されています。
エルサレム平和行進が行われたのは、パレスチナ人による自爆テロが頻発して隔離壁が建設された時期でした。
外務省からは渡航中止勧告が出されており、参加者は文字通り死ぬ覚悟で臨んだのです。
第2次インティファーダの発端は、ユダヤ人がイスラム教徒を愚弄したことにあります。歴史的な宗教間の憎悪が、背景にありました。
文鮮明師の提唱したエルサレム平和行進は、ユダヤ・キリスト・イスラム教の指導者に和平プロセスの役割を担わせることを主眼としました。
政治の力で和平を実現する限界線は越えており、宗教指導者が対話と相互理解・和解に至れるかに一縷の望みを託したのです。
当時統一運動は、世界宣教の流れを汲むイスラエル側のパイプと、独立して渉外したパレスチナ側のパイプを持っていました。
参加者はパレスチナ自治区のホテルに滞在し、パレスチナ難民キャンプの視察によって現地の窮状に触れる機会も与えられました。
平和行進は、自爆テロが吹き荒れるガザ地区において行われました。
「サラマレコ(アラブ語で平和)、ピース、シャローム(ヘブライ語で平和)!」とシュプレヒコールを唱える行進は命懸けであり、困窮するパレスチナ人にも訴えかける内容があったに違いありません。
平和行進を標的としたテロは最後まで起きず、一人の死人も出なかったのは幸いでした。
またユダヤ・キリスト・イスラム教の史跡、宗教施設の訪問も行われ、相互理解と交流を進める良き場となったのでした。
キリスト教徒の間では、エルサレム巡礼は第5の福音書を読むことに匹敵するという話があるそうです。
私自身も聖書ゆかりの地を巡礼することで、生涯忘れられない霊的インパクトを受けたのは事実です。
しかしそれ以上に魂に刻まれたのが、宗教間の分断が生み出す憎悪の大きさでした。とりわけパレスチナ難民キャンプで交流した子供たちが、成長してテロリストになったのかもしれないという現実がいまも胸を締め付けています。
その後パレスチナ渉外の中心にあったアラファト議長は死去し、平和行進は一過性のイベントで終わってしまいました。
この試みが継続していれば、パレスチナの子供達にサッカーを教えてスポーツ交流させる構想もあったのですが。
私たちが精魂込めて準備していることがもう一つあります。他でもなく、イスラエルとパレスチナの居住区行きの真ん中に立派なサッカー場を造ることです。二つの子供たちを相手に、ヨーロッパの有名なコーチを呼んでサッカーアカデミーも開く計画です。このような活動を通して、大人たちは互いに銃口を向け合っていたとしても、子供たちはサッカー場に集まってボールを蹴るようにしようと思うのです。
第7章 韓国の未来、世界の未来ー理想郷に向かって
統一運動のイベントの多くが、高額な出演料を払ってVIPを招聘しただけの教団自己アピールに終始したことは事実です。
しかしこと平和行進に関しては、第三者がアイデアだけでも継承していたら歴史が変わっていたに違いありません。
結局はその統一運動の当事者すら、イラン攻撃を支持するところまで志を失ってしまったのでした。
コリアンドリームを掲げる文顯進会長も、中東情勢に関しては沈黙を貫かれています。
キリスト教会においても真っ二つに意見が分かれるこのタイミングで、何らかのアクションを期待したいところです。
