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「丙午(ひのえうま)の谷」が消えた理由。少子化のリアルと、迷信を「気にしてられない」私たちの選択

2026年の丙午、出生数は減っていない。では、迷信はどこへ行ったのか

2026年は丙午(ひのえうま)の年だ。

この字面にピンと来なくても、「丙午の女は気が強い」「縁起が悪い」という言い回しは、どこかで耳にしたことがあるかもしれない。江戸の昔から続く、根拠ゼロの古いラベルである。

前回の丙午、1966年。この年、日本の出生数はガクッと落ちた。約136万人。前後の年より50万人近く少ない。グラフにすると、人口の地形にナイフで切れ込みを入れたような、深い谷が刻まれている。

[画像1] 1966年の出生数の地形に、ナイフで抉ったような鋭く深い谷が一つだけ刻まれている

迷信が、現実をへこませた瞬間だ。

では、60年後の今回はどうなのか。

ここで、少しだけ自分に聞いてみてほしい。

あなたは「2026年は丙午だから」という理由で、何か行動を変えるだろうか。

出産の時期をずらす。結婚を延ばす。──おそらく、多くの人が「いや、別に」と答えるはずだ。私もそうだ。

だが、ここが面白いところで。「自分は気にしない」と、「日本全体で出生数が動かない」は、イコールではない。個人がどう思おうと、無数の判断が積み重なれば、統計という地形は動く。1966年が、まさにそれだった。

だから私は、自分の感覚を一度脇に置いて、データを取りに行くことにした。日本人は、令和になってもまだ、こういうものを気にするのか。 純粋に、それが見たかった。

「減ったか」ではなく「どこへ消えたか」を見る

調べ始めて、すぐに一つの罠に気づいた。

「2026年の出生数は、1966年より少ないか?」──この問いは、ほぼ無意味だ。

なぜなら、日本はもう何年も少子化のど真ん中にいる。出生数の母数そのものが、毎年痩せ細っている。2026年が1966年より少ないのは当たり前で、それは丙午のせいではなく、ただの構造的な細りだ。絶対数を眺めても、迷信の指紋は見つからない。

見るべきは、「丙午が、その細りにさらに上乗せして、出生を押し下げているか」だ。

そして、ここで決定的な視点をくれたのは、私が壁打ち相手に投げた一言だった。

「影響が大きいなら、来年の出生人数が増えるはずだ。」

これを言った瞬間、論点が「予想」から「検証」へ移った。

考えてみてほしい。本物の丙午ショックは、出生を「消す」のではない。「ずらす」のだ。「この年は避けて、前の年か次の年に産もう」という判断が積み重なる。だから出生数は、前年に山、当年に谷、翌年に反動の山という、独特の三拍子を描く。

[画像2] 「山―谷―山」の三拍子を描く出生数の地形

丙午は、子どもを消したのではない。生まれる時期を、前後へ引っ越しさせた。

実際、1966年はこの引っ越しが鮮明だった。その年だけで想定より約41万人少なく、前年は約8.7万人、翌年は約12万人多かった。山があって、谷があって、また山。迷信が、人々のスケジュール帳を書き換えていた。

つまり検証の問いはこうなる。2026年に谷はあるか。そして、その谷を埋める山が、どこかにあるか。

速報値は、谷を見せてくれなかった

厚生労働省の人口動態統計速報を引く。(速報値は調査票の作成枚数で、外国人なども含む確定前の数字だという但し書きは、先に置いておく。)

2026年1〜4月の累計出生数は222,559人。前年同期は220,261人。前年比、プラス1.0%。 4月単月に至っては前年比+3.4%。

谷が、ない。

それどころか、直近4年の「1〜3月累計」を並べたとき、私は思わず「あれ」と声が出た。

2023年:182,477人 2024年:170,804人(前年比 △6.4%) 2025年:162,955人(前年比 約△4.6%) 2026年:163,299人(前年比 +0.2%)

毎年、6.4%、4.6%とガクガク落ち続けていた。少子化のトレンドそのままに。ところが、よりによって「避けるべき」とされる丙午の2026年だけ、4年ぶりに下げ止まり、ほんのわずかに上を向いた。 この、トレンドに逆らった小さな反転を、ここでは仮に「丙午の下げ止まり」と呼んでおく。あとでもう一度、ここへ戻ってくる。

[画像3] 毎年下がり続ける棒グラフの中で、2026年だけがごくわずかに反転している

日本総研の藤波匠氏も、4月の分析で「丙午による出生減は見られず」と結論づけている。産婦人科医への聞き取りでも、妊婦の大幅な減少は確認されない、と。

迷信が出生を押し下げた痕跡は、全国統計のどこにも見当たらない。

ここまでなら、話は単純だ。「令和の日本人は、もう丙午なんて気にしない」。令和、迷信に勝つ。──で終われたら、ずいぶん楽なんだけど。

そう書きたくなる。だが、ここで止めると雑になる。

知ってはいる。気にはする。でも。

調査を見ると、話はもう少し入り組んでいる。

妊娠中・育児中の女性935人へのアンケートでは、約8割が丙午を「知っている」と答えた。「よく知っている」が31.2%、「なんとなく聞いたことがある」が49.0%。知らないわけではない。 むしろ、ちゃんと知られている。

さらに、12.4%が周囲から「2026年の出産は避けたほうがいい」「女の子だと大変」と言われた経験を持っていた。圧力も、ゼロではない。

ラベルは、ちゃんと残っている。

それでも、76.2%が「迷信は気にせず、自分たちの計画やタイミングを優先した」と答えた。

この温度感を、私はこう言い表したい。

耳にしてしまうと、気にはする。けど、気にしてられない。そもそも根拠もないんでしょ?

これが、令和の多数派の本音だ。

「知らないから動かない」のではない。知っていて、一瞬よぎって、でも生活がそれを許さない。 ここが、昭和との決定的な差だ。

迷信は、後ろではなく前に押したのかもしれない

ここで、さっきの「丙午の下げ止まり」に戻る。

もう一つ、気になる数字がある。2025年は通年で△2.1%、9年連続の過去最少だった。一年中、前年割れ。なのに、年末の12月単月だけ、前年比+1.9%と上を向いている。 一年ずっと下がっていた線が、丙午の直前、暮れにだけ小さく頭をもたげた。

正直に言う。これは1966年の「前年の山」とは桁が違う。あちらは前年だけで8.7万人の隆起だった。今回の2025年12月は、わずか+1,143人。山と呼ぶには小さすぎる、ほんの膨らみだ。だから私は、これを「丙午効果だ」と言い切らない。 偶然や誤差の範囲かもしれない。

しかも、白状すると、この二つの数字は向きがそろっていない。2025年暮れの膨らみは「丙午の前に間に合わせた」前倒しの匂いがする。一方、2026年1〜3月の下げ止まりは「前倒ししなかった(できなかった)層が、結局その年に産んだ」匂いがする。前へ動いた人と、動けなかった人。だからこれは確かな一本の証拠ではなく、向きの違う二つの弱いシグナルにすぎない。 それでも、両方に共通して滲むものがある。

それは、丙午を「気にする気持ち」が、どうやら昔とは逆向きに働いているらしい、という気配だ。

考えてみてほしい。丙午を本気で避けたいなら、本来は2026年を飛ばして2027年に産む。後ろへずらすのが筋だ。ところが、今の出産世代にはその余裕がない。藤波氏も指摘している。60年前の第一子出産は25歳代だったが、今は31歳。一年延ばす、という選択肢に、もう余白がないのだ。

すると、迷信の作用する向きが、ひっくり返る。

「どうせ後ろには延ばせない。なら、いっそ丙午に入る前に間に合わせよう」。「2025年中に産めたらいいな、くらいの軽い気持ちで始めた妊活を、少しだけ本気に切り替えるか」。「検査の結果次第で、不妊治療へ前倒しするか」──。

つまり、丙午という迷信が、出産を減らす方向ではなく、むしろ妊活や治療の背中を、ちょっとだけ前に押した可能性すら、否定できない。

1966年は、迷信が「やめさせる」力だった。令和の今、もし作用しているとしても、せいぜい「だったら早めに動くか」という、前倒しの軽い一押し程度かもしれない。迷信が現実に触れる、その向きそのものが、反転している。

[画像4] 丙午を一瞬よぎらせつつ、カレンダーを前のページへ繰る生活者の手元

繰り返すが、私はこれを断定しない。「丙午が妊活を後押しした」と証明できるデータは、まだない。だが、「言い切れないけれど、そういう層が一定数いた」可能性は、十分にある。この両側を開けたまま立っていられることこそが、令和という時代の手触りなのだと思う。

迷信は死んでいない。人を動かす力を失っただけだ

だから、「迷信は消えた」という結論は、正確ではない。

丙午は、知られている。気にする人もいる。周囲から言われた人もいる。ラベルは、ちゃんと生き残っている。

変わったのは、そのラベルが、人の人生設計を動かす力だ。

気にする人と、「大したことないよ」と言う人。この二つの勢力のバランスが、一部で、静かに逆転した。昭和は前者が多数派で、だから統計に谷が刻まれた。令和は後者が多数派で、だから谷ができない。むしろ「避けられないなら早めに」という逆向きの力すら、うっすら滲む。

迷信は死んだのではない。生活を縛る鎖から、ただの話のタネへと、役割が変わったのだ。

そして──これは丙午だけの話ではない。

私たちの周りには、こういう「名前」がいくつも転がっている。ある街につけられたイメージのラベルも。地図の上の、ちょっと変わった肩書きを持つ場所も。名前は、現実を説明してくれる。同時に、現実を覆い隠しもする。同じことが起きていないか、ほかの角度からも見てみたい。私たちがこれから本当に見るべきなのは、ラベルそのものではない。その名前が、まだ人を動かしているのか。それとも、もう動かせなくなっているのか。

丙午は、その最初の問いだった。

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