短編小説『花を贈る日』
愛は返してもらうために与えるものじゃない
けれど人生の終わりに
それは一輪ずつ花になって返ってくる
***
人生とは愛を知り愛を与える旅だ
そして最後の日
その与えてきたすべてが、一輪ずつ返ってくる
これは、そんな静かな“愛の循環”の物語
***
その男は
もうこの世にはいなかった
静かな音楽と、低く垂れた天井灯の下
棺が置かれていた
花が一輪ずつ棺に添えられていく
白い菊、ピンクのガーベラ、青いデルフィニウム
花の名を知らなくても
その色と香りが彼の人生を語っているようだった
「どうして、こんなにたくさん……」
誰かがつぶやいた
静かな葬儀だった
遺族は多くを語らなかった
参列者も泣かなかった
けれど皆が花を持ってきた
それも、なぜか皆 一輪だけ
祭壇の前で
彼の孫が、しゃがみ込んでいた
その手には、つぼみのままの小さな野の花
何も言わず、ただ見つめていた
***
まだ若かった頃
寒い日のバス停で、傘を持たずに立っていた知らない母子に
自分の傘を差し出したことがあった
「大丈夫、もうすぐ晴れるから」
そう言って、自分は濡れて帰った
誰にも言わなかった
覚えている人もいないはずだった
***
恋人が泣いた夜
何も言わず、そっと髪を撫でただけだった
それで十分だった
それだけで、彼女は朝には笑っていた
***
職場の後輩が、誰にも言えずに抱えていた失敗
それを自分が引き受けた
評価も何もいらなかった
ただ、彼の肩が少し軽くなればそれでよかった
***
母が亡くなる前の日
何もしてあげられなかったと自分を責めたが
彼女は最期に、ぽつりとこう言った
「あなたが帰ってきてくれた」
「それがいちばん嬉しい」
***
花が一輪、また一輪と置かれていく
そのたびに
誰かの中で
小さな記憶が揺らいだ
空気、笑顔、あの日の沈黙
「ああ、あれは——」と
誰かが、名もつけずに思い出す
何も大きなことはなかった
けれど、その人の人生は
確かに誰かの中で咲いていた
最後の一輪が、そっと棺に添えられた
それは、まだ少年だった頃
道ばたで摘んで誰かに渡した、小さな野の花だった
名前も忘れた
でも、最初に“贈った”花だった
その花が、いま——
“返って”きたのだ
会場には言葉のない微笑みが
ふっと空気の中に広がったようだった
その空気を誰もが、自然と感じていた
「これでいい」
——そう語られた気がしたが
誰も口にはしなかった
***
与えた愛は
必ず返ってくる
それは
感謝の言葉ではなく
名もない花のような形で
だから人生は
先に与えることで
満ちていくのだと思います
— 谷博貴
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