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治安悪化とは、犯罪件数だけではない



副題
街の安全は数字だけでなく、空気によっても壊れていく

序章|治安とは何を指すのか


治安が悪化している

そう聞くと、多くの人は犯罪件数を思い浮かべる

暴行
窃盗
詐欺
迷惑行為
不法滞在
薬物
強盗

たしかに、それらは治安を考えるうえで重要な指標だ

犯罪が増えれば、人は安心して暮らしにくくなる
夜道を歩くのが怖くなる
子どもを外に出しにくくなる
地域への信頼も薄れていく

けれど、本当に治安とは犯罪件数だけで測れるものなのだろうか

私は最近、少し違う見方をするようになった

治安とは、犯罪が起きていない状態だけではない

人が過剰に怯えず、敵視されず、普通に通行できる空気のことでもある

つまり治安とは、数字の問題であると同時に、公共空間の温度の問題でもある

第一章|犯罪がなくても、街は悪くなる


駅前を歩いているときに、街頭演説が聞こえてくる

それ自体は珍しいことではない

政治的な主張
社会問題への訴え
選挙活動
署名活動
宗教的な呼びかけ

公共空間には、さまざまな言葉が流れている

もちろん、許可を取った街頭演説は表現の自由の範囲にある

言いたいことを言う権利はある
社会に問題提起をする権利もある
政治的意見を表明する権利もある

けれど、ここで一つ考えたい

言う権利があることと、その言葉が街に何をもたらすかは別の問題ではないか

たとえば、ある属性の人々を治安不安と結びつける演説がある

特定の宗教
特定の国籍
特定の民族
特定の文化
特定の生活習慣

それらをまとめて、不安の対象として語る

その瞬間、犯罪が起きていなくても、街の空気は変わる

通行人は警戒する
当事者は萎縮する
周囲の人は属性で人を見るようになる
敵意を持っていた人は、自分の感情が正当化されたように感じる

これも、広い意味では治安悪化に近い現象ではないか

犯罪が起きたから街が悪くなるのではない

他者を普通に信頼して通行できる空気が壊れたとき、街はすでに少し悪くなっている


第二章|治安という言葉は、便利すぎる


治安という言葉は強い

治安のため
安全のため
子どもを守るため
地域を守るため

こう言われると、人は反対しにくい

安全を望まない人はいない
犯罪を増やしたい人もいない
自分の街が荒れることを望む人もいない

だから治安という言葉は、正義の服を着やすい

しかし、その中には複数のものが混ざる

本当に犯罪が増えているのか
実際に近隣トラブルが起きているのか
行政説明が不足しているのか
文化の違いが不安なのか
外国語や見慣れない服装に戸惑っているのか
報道の印象に引っ張られているのか
知らないものが怖いだけなのか

これらは本来、分けて考える必要がある

しかし街頭演説では、それらがまとめて治安という一語に圧縮される

すると、漠然とした不安が具体的な敵を持つ

あの施設が危ない
あの宗教が危ない
あの人たちが危ない
あの文化が入ってくると街が壊れる

こうして、不安は単なる不安ではなく、攻撃の理由になる

ここが危うい

治安とは本来、安心して暮らすための言葉である

しかし使い方によっては、他者を不安の原因として固定する言葉にもなる


第三章|モスクが怖いのか、知らないことが怖いのか


たとえば、モスクに対する不安がある

ここで大切なのは、反対する人をすぐに悪者にしないことだと思う

なぜなら、不安そのものは本物かもしれないからだ

知らない宗教施設ができる
外国人が集まる場所に見える
何が行われているのか分からない
地域の風景が変わる気がする
行政から十分な説明がない
トラブルが起きたときの窓口が分からない

こうした不安を持つ人はいるだろう

それをすべて差別だと切り捨てると、不安は解消されない

むしろ地下に潜る

人は、自分の不安を否定されると、安心するのではなく、その不安を守ろうとする

だから必要なのは、反対派を黙らせることではない

不安を具体化することだ

騒音が心配なのか
交通量が心配なのか
駐車場が心配なのか
礼拝時間が心配なのか
施設の運営者が見えないのが心配なのか
資金源が心配なのか
過激派との違いが分からないのが心配なのか
そもそもイスラム教を知らないことが怖いのか

ここまで降ろせば、対話できる

騒音なら時間や設備の話ができる
交通なら駐車場や導線の話ができる
運営なら責任者や窓口の話ができる
宗教への不安なら説明会や見学会ができる

しかし、イスラムだから嫌だ
外国人が集まるから嫌だ
日本らしくないから嫌だ

ここで止まるなら、それは生活上の懸念ではなく、属性への拒否に近づく

だから大切なのは、不安を責めることではなく、不安を分解することだ


第四章|健全な宗教にできること


健全なイスラム教にできることは、反論だけではない

むしろ一番大切なのは、自己紹介だと思う

モスクは危険ではありません
治安悪化にはつながりません
偏見です
差別です

これらは、論理として正しい場合もある

しかし、不安を持っている人の感情には届きにくい

なぜなら、人は否定文では安心しにくいからだ

危険ではありません
問題ありません
治安悪化しません

そう言われると、言葉の中には危険、問題、治安悪化という語が残る

不安な人の頭の中では、むしろその語が強調される

だから必要なのは、危険ではないという反論よりも、何をしている場所なのかを見せることだ

ここは礼拝の場所です
地域の人と対話します
困ったときの窓口があります
近隣ルールを守ります
見学会を開きます
食文化や生活習慣を紹介します
過激派とは違います
日本社会のルールの中で生活しています

こうした可視化が必要になる

知らないものは怖い

これは人間として自然な反応だ

だから、怖がるなと言うより、知ってもらう方がいい

健全な宗教ができる最も強い治安対策は、反論ではなく地域への自己紹介である


第五章|主張もまた、治安を変える


ここで最初の問いに戻る

街頭演説は権利である

しかし、主張は治安に影響しないのだろうか

私は、影響すると思う

もちろん、不快な主張だから禁止すべきだという話ではない

表現の自由は大切だ
社会に対する問題提起も必要だ
多数派にとって聞きたくない意見が、重要な警告である場合もある

しかし、合法であることと無害であることは同じではない

主張は、場の温度を変える

不安を高める言葉
敵意を正当化する言葉
属性で人を見る言葉
漠然とした恐怖を特定の集団へ向ける言葉

そうした言葉は、犯罪ではないかもしれない

しかし公共空間の安心を削る

駅前は、誰か一つの主張のためだけにある場所ではない

通勤する人がいる
買い物に行く人がいる
子どもが通る
高齢者が通る
外国人も通る
宗教を持つ人も通る
宗教を持たない人も通る

その場所に、特定の人々を不安の対象として扱う言葉が流れる

すると、場の温度は一方的に占有される

これは犯罪ではない

けれど、街の安全感覚を削る

だから私は思う

治安悪化とは、犯罪件数だけではない

他者を普通に信頼して通行できる空気が壊れていくことも、治安悪化の一部である


第六章|数字だけでは、人は安心しない


犯罪率が低い

そう言われても、人は必ずしも安心しない

なぜなら、人は数字だけで不安になるわけではないからだ

事件の報道
SNSで流れる映像
街頭演説の言葉
近所の噂
見慣れない文化
行政への不信
過去のニュースの記憶

こうしたものが重なって、不安は作られる

たとえ犯罪率が低くても、ある集団を危険だと語る言葉が繰り返されれば、人はその集団を危険だと感じ始める

逆に、具体的に知ることができれば、不安は少しずつほどける

誰がいるのか
何をしているのか
何をしないのか
困ったときに誰へ言えばいいのか
地域とどう関わるのか

これが見えると、不安は空想から確認事項へ変わる

漠然と怖い

から

ここは少し調整が必要だ

へ変わる

この差は大きい

恐怖は、形がないときに一番大きくなる

だから治安を良くするには、犯罪を減らすだけでは足りない

見えないものを見えるようにすることも必要だ


終章|治安とは、数字と空気のあいだにある


治安は、犯罪件数だけでは測れない

もちろん、犯罪件数は重要である
暴力や窃盗や詐欺が増えれば、街は危険になる

しかし、それだけではない

人が他者を過剰に疑わずに歩けること
属性だけで敵視されないこと
公共空間が一方的な不安で占有されないこと
不安を感じたとき、それを具体的な対話に降ろせること
知らないものを知る導線があること

これも治安である

街を悪くするのは、犯罪だけではない

疑心暗鬼も街を悪くする
敵意も街を悪くする
知らなさを放置することも街を悪くする
不安を煽って属性へ向けることも街を悪くする

だから、治安を守るとは、犯罪を取り締まることだけではない

街の中で、人が人を普通に見られる空気を守ることでもある

私はそう思う

治安悪化とは、犯罪件数だけではない

それは、公共空間から信頼が少しずつ抜け落ちていくことでもある

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