私の経済的自由は、iCloud代から始まる
副題
配当金で生活費を一つずつ肩代わりさせるという考え方
はじめに|経済的自由は、何千万円から始まるのか
経済的自由という言葉を聞くと、多くの人は大きな金額を思い浮かべる。
資産三千万円。
五千万円。
一億円。
配当金だけで暮らせる状態。
仕事を辞めても生活できる状態。
いわゆるFIREと呼ばれるものも、その一つなのだと思う。
だが、こうした目標はあまりにも大きい。
今の生活と、経済的自由との間に、巨大な断絶がある。
資産が百万円増えても、まだ働かなければならない。
千万円になっても、家賃も食費も払わなければならない。
目標額へ到達するまでは、何も変わっていないように感じてしまう。
そこで私は、少し違うことを考えていた。
生活費を、ひとつずつ配当金に引き受けさせればよいのではないか。
最初から生活全体を自由にする必要はない。
まずは、iCloud代だけでいい。
次に、Amazonプライム。
携帯料金。
水道。
ガス。
光回線。
電気。
そして最後に、家賃。
生活を支えている支出を、小さいものから順番に、労働収入の外へ移していく。
私にとって経済的自由は、何千万円を貯めた瞬間に突然始まるものではなかった。
月額百三十円のiCloud代を、自分の労働ではなく資産が支払うところから始まるものだった。
第一章|生活費を、項目ごとに分解する
当時の私のメモには、次のような計画が残っている。
年間一五六〇円 iCloud
年間四八四〇円 コストコ
年間四九〇〇円 Amazonプライム
年間一万一四二〇円 火災保険
年間三万六〇〇〇円 携帯料金
年間四万円 水道
年間五万円 ガス
年間五万五〇〇〇円 光回線
年間六万円 電気
年間九一万七〇〇〇円 家賃
厳密な家計簿ではない。
当時の支出を、ざっくりと年間金額へ置き換えたものだった。
そして、小さいものから順番に足している。
iCloudだけなら、年間一五六〇円。
コストコまで含めれば、年間六四〇〇円。
Amazonプライムまで含めれば、一万一三〇〇円。
火災保険までなら、二万二七二〇円。
携帯料金までなら、五万八七二〇円。
水道までなら、九万八七二〇円。
電気まで含めれば、二六万三七二〇円。
最後に家賃を加えると、年間一一八万七二〇円ほどになる。
生活費を一つの巨大な塊として見ると、圧倒される。
だが、項目へ分けると、それぞれには大きさの違いがある。
家賃とiCloud代は、同じ生活費ではない。
同時に自由にする必要もない。
大きな支出をいきなり消そうとするから、経済的自由が遠く見える。
小さな支出から順番に、支払いの原資を移していけばよい。
これは節約とは少し違う。
支出をなくすのではない。
支出を引き受ける主体を変えるのである。
第二章|iCloud代を払う資産はいくら必要なのか
当時の私は、税引後の配当金を受け取るために、税引前ではおよそ一・二五倍の配当が必要だと簡略化して考えていた。
年間一五六〇円のiCloud代なら、税引前の必要配当金は約一九五〇円。
その配当金を得るために必要な元本は、
配当利回り三%なら、約六万五〇〇〇円。
四%なら、約四万八七五〇円。
五%なら、約三万九〇〇〇円。
もちろん、現実の配当は保証されない。
税金や手数料、増配や減配、株価の変動もある。
それでも、目標を具体化するには十分だった。
約五万円の資産があれば、利回り四%前後という仮定では、iCloud代に相当する配当を得られる。
五万円で経済的自由を得られるとは言えない。
生活は何も変わらないようにも見える。
だが、少なくともiCloudについては、
自分が今月働いた金から払わなくてもよい
と考えられる。
もちろん、実際には配当金とiCloud代を口座上で直接ひもづける必要はない。
金に色はついていない。
それでも心理的には大きい。
この五万円は、単なる数字ではない。
毎年iCloud代を稼ぐ、小さな装置になる。
資産額ではなく、その資産が生活のどこを引き受けているかが見えるようになる。
第三章|経済的自由を、段階に変える
経済的自由という言葉には、自由か不自由かという二分法が入りやすい。
配当だけで生活できなければ、不自由。
仕事を辞められれば、自由。
だが、現実はそこまで単純ではない。
仕事を辞められなくても、携帯料金だけを資産収入で賄える人がいる。
水道光熱費の半分を配当で支払える人がいる。
家賃は働いて払っているが、通信費や保険料は資産が支えている人もいる。
その人たちは、完全に自由ではない。
だが、何も自由になっていないわけでもない。
生活の一部が、すでに労働収入から離れている。
つまり経済的自由は、到達するかしないかではなく、生活費のうち、どれだけを現在の労働以外へ移せたかという連続量として考えられる。
iCloud代を資産が払う。
Amazonプライム代を資産が払う。
携帯料金を資産が払う。
水道光熱費を資産が払う。
そのたびに、生活の一部が少しずつ自立していく。
完全な自由を待たなくてもよい。
部分的な自由は、もっと手前から始まっている。
第四章|資産とは、過去の労働を未来へ送る装置である
投資に回す金も、もともとは労働によって得たものである。
働いて得た給与の一部を使わずに残す。
残した金で株式などを買う。
その資産が配当を生む。
配当によって、未来の支出を支払う。
そう考えると、資産とは単なる貯金ではない。
過去の自分が働いた時間を、未来へ送る装置である。
今の自分が一時間働いて得た金を、すべて今の生活で使えば、その一時間はその場で消費される。
しかし、その一部を資産へ変えれば、その労働は未来にも小さな収益を生み続ける可能性を持つ。
過去の自分が、未来の自分のために働く。
今月の自分だけが、今月の生活を支える必要がなくなる。
過去に働いた自分が、未来の固定費を少しだけ引き受けてくれる。
そう考えると、配当金とは不労所得というより、
過去の労働が、時間を越えて戻ってきたもの
とも言える。
もちろん、投資には危険がある。
元本が減ることもある。
配当がなくなることもある。
だから、資産が未来を完全に保証するわけではない。
それでも、現在の労働だけに生活のすべてを依存させないという意味は残る。
第五章|生活費を払う小さな労働者を雇う
当時の私は、資産を金額ではなく、役割として見ようとしていたのだと思う。
約五万円の資産は、iCloud担当。
約三十五万円の資産は、コストコとAmazonプライムまで担当する。
約七十一万円の資産は、火災保険まで担当する。
約三〇八万円の資産は、水道料金まで担当する。
約八二四万円の資産は、電気料金まで含む固定費を担当する。
そして数千万円の資産が、家賃まで含めた生活費を担当する。
まるで、生活費を処理する小さな労働者を、一人ずつ雇っていくようなものだった。
最初の労働者は、年に一五六〇円しか稼がない。
だが、その一人がいることで、自分の労働負担はわずかに減る。
次の労働者を雇う。
また次を雇う。
人数が増えれば、少しずつ生活を支える範囲が広がる。
この発想のよいところは、目標が具体的になることだと思う。
資産一千万円という数字は大きい。
だが、
次は携帯料金を配当で賄う
という目標なら、何を目指しているのかが分かる。
資産形成が、数字を増やす競争ではなく、生活を少しずつ支える仕組み作りになる。
第六章|これはFIREではなく、労働依存の分散だった
私は、完全に働かなくなることだけを目指していたわけではなかったのだと思う。
働くこと自体が嫌だったわけではない。
身体を動かすことも嫌いではない。
仕事の中に少しの挑戦があれば、やりがいを感じることもある。
だが、働かなければ即座に生活が壊れる状態には、不安がある。
病気になるかもしれない。
会社の都合で契約が終わるかもしれない。
身体が以前のように動かなくなるかもしれない。
人間関係によって仕事を辞めたくなるかもしれない。
人生の条件は変わる。
だから必要だったのは、労働をなくすことではなく、労働だけが生活を支えている構造を少しずつ崩すことだった。
給与。
配当。
貯金。
副業。
公的制度。
複数の支えがあれば、一つが崩れても生活全体がすぐには倒れない。
これは収入源の分散であり、人生のリスク分散でもある。
経済的自由というより、経済的な逃げ道を少しずつ作ることだったのかもしれない。
自由とは、働かないことではない。
嫌な仕事を辞めても、すぐには飢えないこと。
身体を壊したとき、少し休めること。
条件が変わったとき、別の道を選ぶ時間があること。
そう考えると、資産が買っているのは物ではない。
未来の選択肢である。
第七章|配当で投資をするという自己循環
当時のメモには、生活費とは別に「目標外」と書かれた項目もある。
YouTubeプレミアム。
ふるさと納税。
つみたてNISA。
この三つを合わせて、年間約四七万五〇〇〇円。
税引前では約五九万円の配当が必要だと計算していた。
利回り三%から五%で考えれば、元本は約一二〇〇万円から二〇〇〇万円。
ここで面白いのは、つみたてNISAの年間四〇万円を配当で賄おうとしていたことである。
これは生活費を払うこととは違う。
資産が配当を生む。
その配当を使って、さらに資産を買う。
新しい資産が、また収益を生む。
自分の給与から追加資金を出さなくても、資産形成が資産形成を支える。
生活の自立だけではなく、資産形成そのものの自立を考えていたことになる。
ただし、経済的には、配当を受け取って再投資することと、最初から配当を再投資する運用には近い部分がある。
税制や効率を考えれば、別の方法が合理的なこともある。
それでも、当時の私にとっては、配当で年間四〇万円の投資を賄うという可視化に意味があった。
資産が自分の代わりに次の資産を作っている。
その状態を、具体的な金額として見たかったのだと思う。
第八章|自分だけの日本株ETFを作ろうとしていた
配当の目標と並行して、私は日本株の銘柄を業種ごとに調べていた。
化学。
情報通信。
卸売。
鉄鋼。
機械。
サービス業。
金融。
不動産。
運輸。
食品。
医薬品。
エネルギー。
建設。
素材。
東証の三十三業種のうち、三十業種にわたって銘柄を持とうとしていた形跡がある。
保有候補は百社を超え、実際に保有していた銘柄は六十社以上あった。
SBIネオモバイル証券で一株ずつ買い、自分なりの日本株ETFのようなものを作ろうとしていたのだと思う。
景気敏感株とディフェンシブ株を組み合わせる。
大型株と小型株を混ぜる。
配当利回りだけでなく、自己資本比率や配当性向を見る。
一社の減配が、配当計画全体を壊さないようにする。
これは、最も優れた一社を見つける投資ではなかった。
一社に依存しなくて済む構造を、自分で組み立てる投資だった。
もちろん、銘柄数を増やせば必ず安全になるわけではない。
会社が違っていても、同じ景気や為替、資源価格の影響を受けることがある。
保有額の配分によっては、見かけほど分散されていないこともある。
それでも、当時の私は投資を通じて、日本経済の構造を自分なりに組み直そうとしていた。
ここにも、少しの挑戦があったのだと思う。
すべてをインデックス投資へ任せるのではない。
かといって、一社へ大きく賭けるのでもない。
基盤は積み立て投資に置きながら、一部は自分で調べ、自分で選ぶ。
安定の中に、自分が判断する余地を残していた。
第九章|資金拘束を嫌った理由
当時、iDeCoについても検討していた。
つみたてNISAとiDeCoを合わせれば、毎月五万六三三三円。
クレジットカード積み立てとiDeCoなら、毎月七万三〇〇〇円。
そう計算したメモが残っている。
しかし、私はiDeCoを始めなかった。
長期間、資金を自由に引き出せないことが気になったからだ。
税制上の利点があることは分かっていた。
長期の資産形成に向いた制度であることも理解していた。
それでも、私は将来の自分の金を、現在の自分が強く拘束することに抵抗があった。
人生の条件は変わる。
仕事を失うこともある。
家庭の状況が変わることもある。
病気になるかもしれない。
急に金が必要になるかもしれない。
私は、効率よりも流動性を残すことを選んだ。
代わりに、クレジットカード積み立てで毎月五万円を投資した。
それとは別に、日本株と仮想通貨を持っていた。
積み立て投資は基盤。
日本株は配当と分析。
仮想通貨は大きな変化の可能性。
そのように役割を分けていたのだと思う。
ここでも私は、最も効率的な制度へすべてを預けたわけではない。
未来の自由を作るための資産形成によって、未来の自由を失わないことを重視していた。
第十章|この計画は成功したのか
では、この計画によって経済的自由を手に入れたのか。
そうではない。
私は配当だけで生活しているわけではない。
家賃を資産が支払っているわけでもない。
当時持っていた銘柄のすべてを、今も保有しているわけでもない。
市場環境も変わった。
生活も変わった。
結婚生活も終わった。
投資へ回せる金額も、必要な生活費も変わった。
そういう意味では、計画は完成していない。
だが、無意味だったとも思わない。
生活費を年間で見るようになった。
固定費を項目ごとに分けるようになった。
配当利回りだけでなく、その配当を維持できる企業かを考えるようになった。
景気敏感とディフェンシブを分けた。
収入源を一つに依存しないことを考えた。
資産とは何のために持つのかを考えた。
当時の私が本当に欲しかったのは、莫大な資産ではなかったのかもしれない。
何かが起きたとき、
今すぐこの仕事にしがみつかなければならない
という状態から、少し離れることだった。
それは完全な自由ではない。
だが、少しの余白ではある。
人生を立て直す時間。
仕事を選び直す時間。
身体を休める時間。
誰かの都合ではなく、自分の判断で動くための時間。
資産とは、その時間を買うためのものだったのだと思う。
第十一章|配当で払っても、支出は消えない
ただし、この考え方を美しくしすぎてはいけない。
配当金でiCloud代を払っても、iCloud代は消えていない。
支払い元が変わっただけである。
資産を作るためには、先に働いて金を貯めなければならない。
投資した金を、別のことに使えなくなる。
株価が下落する危険もある。
企業が減配する可能性もある。
サービス料金が値上がりすれば、必要な配当額も増える。
配当利回り五%の株が、三%の株より優れているとも限らない。
高い配当は、企業の成長余地や財務状態の悪化を反映している場合もある。
配当だけを重視すれば、投資対象が偏ることもある。
したがって、
この元本があれば、永久にこの生活費を払える
とは言えない。
資産は労働を完全に置き換える万能装置ではない。
未来の不確実性を、別の不確実性へ移している面もある。
それでも、労働収入だけに依存している状態とは違う。
重要なのは、完全に安全な仕組みを作ることではない。
一つの支えが壊れても、生活のすべてが同時に崩れないようにすることである。
第十二章|経済的自由は、金額ではなく配置である
資産一千万円を持っている人が、必ずしも自由とは限らない。
生活費が高ければ、不安は残る。
仕事を辞められない事情があれば、金だけでは自由になれない。
反対に、資産がそれほど多くなくても、生活費が小さく、複数の収入源があり、助けを求められる関係がある人は、比較的自由かもしれない。
経済的自由を資産額だけで測ると、生活との関係が見えなくなる。
重要なのは、
いくら持っているか
だけではなく、
その金が、生活のどの負担を引き受けているか
である。
貯金は、無職になったときの生活費を引き受ける。
配当は、固定費の一部を引き受ける。
保険は、大きな損失の一部を引き受ける。
公的制度は、個人では抱えきれない危険を引き受ける。
家族や人間関係も、ときには生活の支えになる。
自由とは、一人ですべてを抱えられることではない。
負担を適切な場所へ分散し、一つの失敗によって人生全体が終わらないように配置することなのだと思う。
その意味で、私が作ろうとしていたのは配当生活ではない。
生活を一つの収入源だけに背負わせない構造だった。
終章|まず、月額百三十円を自由にする
経済的自由という言葉は、大きすぎる。
その大きさによって、かえって人を不自由にすることもある。
何千万円なければ自由ではない。
仕事を辞められなければ意味がない。
配当だけで暮らせなければ失敗だ。
そう考えると、現在の小さな前進が見えなくなる。
だが、自由はもっと細かく分けられる。
一日分の生活費を貯金が引き受ける。
一ヶ月分を引き受ける。
iCloud代を配当が引き受ける。
携帯料金を引き受ける。
水道光熱費を引き受ける。
そのたびに、現在の労働が背負っている荷物は、ほんの少し軽くなる。
完全な自由ではない。
だが、自由の一部ではある。
私は、配当金で生活をしたかったのではないのかもしれない。
働かなくてもよい人間になりたかったのでもない。
働き方を選び直せる人間になりたかった。
嫌なことに耐え続けなくてもよい余白が欲しかった。
身体を壊したときに、少し休める時間が欲しかった。
人生の条件が変わったとき、自分で配置を組み直せる力が欲しかった。
そのために、生活費を一つずつ資産へ渡そうとしていた。
経済的自由は、ある日突然完成するものではない。
今日の労働がすべてを支えている状態から、過去の労働や資産にも少しずつ役割を渡していく。
その最初の一歩は、必ずしも大きくなくてよい。
家賃でなくてもよい。
電気代でなくてもよい。
まずは、iCloud代くらいでよい。
経済的自由は、月額百三十円を自分の労働から切り離したところから、すでに始まっている。
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