思考実験は無駄なのか。少し考えてみよう。

人は、ふと漏れ出た普段では考えつかないような選択肢が思い浮かんだときに、

「そんなことを考えても仕方がない。」

と、そう思ったことが誰でも一度はあると思う。

しかし 本当にそうだろうか?

それは実のところ

「考える余裕がない」

という言葉が置き換えられているだけなのかもしれない。

俺自身 引っ越しや転職が重なった時期は 投稿を休んでいた。

考えなかったのではない。

考える前に 現実を見なければならなかったからだ

いや 正確には
現実を見ていたというよりも、
見る視点が即時的だったと言うほうが近い。

人間の意識は5%無意識は95%を占めているとされているが、一時的に意識が支配的だったのだろう。

空想や哲学として思考するには
現実を一時的に 背景へ退かせる必要がある。

無意識を支配的にするには、日々の生活を慣れやルーティンなどの日常に落とし込んでやる必要がある。

それは 心に余裕があるときか、
あるいは 現実から距離を取りたいときに起こりやすい。

では 一度ここまでの話から少し距離を取って別の角度から考えてみよう。

もし空想していたことと似たような状況に陥ったときに

自分がどんな反応をして、
どんな行動を選ぶのかを、
事前に把握できていたらどうだろう。

それは 未来を当てることではなくて、
自分の価値観を 知る作業に近い。

自分の価値観を知らなければ、自分はどんなことで喜びや怒りを感じて、何に幸福を感じるのかがわからない。

そうすると何かを選択するときの判断基準を人に任せきりになってしまうように感じる。

思考実験とは、
自分の中にある判断基準や恐怖 欲 逃げ癖を
安全な場所で なぞってみる行為だ。

現実では選ばない選択肢を、
頭の中で あえて選んでみる。

そのとき どこで違和感が生じて
どこで恐怖が立ち上がり、
どこで楽をしたくなるのか。

それらは
実際に失敗しなくても
自分の輪郭を教えてくれる。

言ってしまえば
思考実験とは
自分の価値観を知るための
瞑想のようなものだ。

もっと言うと、人は経験した事のないことには、すぐに対処できないかもしれないけれど、思考実験を通して、起こり得る将来のためのイメージトレーニングをしているのかもしれない。

瞑想が「今ここ」に集中することなのだとしたら、思考実験とは「未来予想図を描く」こととでも例えようか…

使うのは自分の時間だけ。

非常にローリスクだ。

ひょっとしたら安眠効果まで付いてくるかもしれない。

ここで話を戻す。

思考している心や時間の余裕がないときには、長期的な視点での思考はできないと思うけれど、

そんな時にこそ過去の思考実験が静かに効いてくる。

あのとき 自分はどう考え
どう動き
何を大切にしようとしたのか

それを覚えている人間は
同じ状況に置かれたとき
ほんの少しだけ 迷い方が変わる。

思考実験は
無駄だと 切り捨てられるほど 単純ではない。

だが
静かに 経験を積むことには
つながる気がしている。

それは即効性がないだけだ。

本当に役に立つのかはわからない。

そんな場面などは一生こないかもしれない。

だが、即効性がないものほど、
いざというときに人を支えるのではなかろうか。

もっと身近な例で例えてみる。

人は常日頃から思考実験と同等のことをしている。

たとえば宝くじが当たったら何を買うとか

病気になったら

火事になったら

交通事故に遭ったら

お金が心配だから保険に入る・貯蓄をするとか

そういったことを考えたことのある人は多いと思う。

これらも、未来に備える小さなシミュレーションだ。

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