半額ステーキ 上から見るか下から見るか
倫理と美の未遂性:視覚的欲望の傍らで
序章──肉の気配について
あの夕方17時23分、スーパーの精肉コーナーにて、私は一枚のステーキ肉と出会った。
正確には、半額シールを貼られた直後のステーキ肉である。
シールが貼られる前にそれを見つけると、どこか若すぎる。
まさに、未完成性による美しさ。
この肉はまだ蕾なのだろう…
私が手を差し伸べるには、あまりにも罪だ。
半額シールが貼られてからしばらく経つと、どこかくたびれて見える。
だが、貼られた“直後”。
――その瞬間が、実に、愛おしい。
あの照り あの脂の沈黙
これは、私にとってのエイジングビーフだ。
半額肉
上から見るか、下から見るか…
それともそっと裏返してみるか……
…まるで、私の中で時間が進んでは戻り、戻っては進む。
選ぶということは、ただ一歩を踏み出すことではない。
それは、とどまりながら、無数の可能性を往復することだ。
決断とは、行為ではなく、思考の反復であるのかもしれない。
それはもう、哲学である。
第一節──視覚欲望の屈折角
この肉は、まるで何かを“訴えかけて”いる。
いや、正確に言えば、「訴えかけてくる“ふり”をしている」ようにすら思える。
脂が語るには、あまりに多い。
筋が割れるには、あまりに慎み深い。
ああ……
“肉”とは、かつて命であったものの、いまだ品格を保つ構造物である。
このとき私の目は、もはやタンパク質を見ていない。
見ているのは、たぶん“生前の記憶”だ。
…それとも、
私自身の何か別の、失われた欲望だったのだろうか。
話はまだ、始まってすらいない。
第二節──会話なき対話:肉と私
他の誰かが、この肉を取るかもしれない――
そう思いながら、私は3分間、ただ肉の前に立っていた。
誰も来ない。
肉も動かない。
しかし、視線だけが交差していた。
ふと、隣にあった豚バラ肉が
「そんなに悩むことかね?」
とでも言いたげな沈黙を放っていたが
それは、無視した。
いや、見ないふりをしただけかもしれない。
肉とは、決断の手前で漂う時間なのだ。
第三節──価格と品格のはざまで
980円の半額――つまり490円。
この“ほぼワンコイン”という数値の甘美さよ。
しかし、金額に抗えぬ私を、肉は赦してくれるのだろうか?
それとも、
「お前は値札でしか私を見ていないのだな」と、
無言の叱責をその脂で伝えているのだろうか?
だが私は言い訳したい。
私は金額を見てなどいない。見ていたのは――君の本質だ。とはいえ、やはり半額であることは大変ありがたい。
終章──肉は焼かれず
そして私は、ついに決断した。
手には取らなかった。
ただ、そのまま立ち去った。
それが、私にできた唯一の誠実だった。
肉は、まだそこにいた。
半額シールは、静かに光っていた。
私は帰った。
冷蔵庫のなかには、
三日前に買った別の肉がまだあった。
冷蔵庫にある別の肉を焼いた。
参考文献(もちろん存在しない)
• 『肉と存在』ミシャ・グリル(2007)
• 『ステーキとは何か──脂の倫理学』ジル・ドゥラステーキ(2015)
• 『「買わない」という選択が意味するもの』スーパー市民哲学研究会編(2021)
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