見出し画像

焚き火と星と、ひとりの夜

――沈黙とは、語りうるものを抱えたまま、燃やすことである

「語るとは、沈黙の上に一本の橋を架けることだ」
—— マルティン・ハイデガー

ひとり 都会の喧騒を離れ

満天の星空を見上げながら

太古の羊飼いに 想いを馳せる

彼らも きっとこの景色を見ていたに違いない

焚き火のそばで

遠くの獣に耳を澄まし

沈黙と語り合いながら

星と 風と 祈りのあいだに 身を置いていた

それは何億年も前の 宇宙の声

あの光は とっくに死んだ星の残響

***

季節は冬

火は静かに 薪を焦がす

と、ここで さっき淹れた珈琲に手をつける

湯気の向こうに 過去と未来が交差する

***

羊飼い——それは世界の境界に立つ者

群れとともにありながら

つねに外部にいる

見張る者であり

導く者であり

孤独のなかに 静けさと責任を抱く者

夜の闇に身を委ねながら

彼らは知っていた

秩序の外にこそ ほんとうの時間が流れていることを

誰かが言った

「一は全 全は一」

そうした真理が

この静寂の中で 不意に腑に落ちる

この星も

この火も

この一杯の珈琲も

すべてが 一つの出来事のように感じられる

火を見つめていると

記憶がゆっくりと ほどけていく

あのとき なぜ 言えなかったのだろう

あの瞬間 なぜ 立ち止まれなかったのか

もう届かない



まなざし

温もり

誰かの涙を思い出す

誰かにかけた 冷たい言葉も

「大丈夫」と笑って

本当は 救いを求めていたのは

自分だったのかもしれない

焚き火が ぱち っと鳴る

それは 過去が語りかけてくる音

***

どこかで 水の流れる音が聞こえる

遠く けれど確かに

それは まだ語られていないものたちが

ゆっくりと 形を変えていく音なのかもしれない

おまえは あの選択を悔いているのか

それとも

その選択にさえ 意味があったと信じたいのか

星の光は 遥か昔に放たれたもの

そして 今ようやく ここに届いている

過去も きっと そういうものなのだろう

忘れた頃に

ふと 胸を打つ

まるで 誰かの祈りのように

***

珈琲が少し冷めていた

なぜか その苦さが やけに心地よい

すべての問いが 答えを持つわけではない

すべての後悔が 癒えるわけでもない

けれど

問い続けた時間だけが

この火を 燃やし続けてくれた

語れなかった想いも

交わせなかった言葉も

いま この沈黙の中で

かすかに 赦されてゆく

それは赦しというより

ただ 還るべき場所を見つけたという感覚

消える事はない痛み

だが

痛みが 私をここへ連れてきた

だから よかったのだと思う

すべてが

***

やまない雨はない

明けない夜もない

日はまたのぼる

この先に、何があろうと

私は、またここに還ってこよう

語られなかった沈黙の続きを

焚き火と星と ひとりの夜に

そっと託すために

——そして、語れなかったものだけが、私を生かしていた

いいなと思ったら応援しよう!

谷博貴の哲学【フォロバ100】 応援よろしくお願いします!いただいたチップは研究費用に回します。