その場しのぎの解決が次のヤバいを作っている。
副題
人は同じ過ちを繰り返すのではない
同じ過ちを繰り返せる環境を
毎回修復してしまうのだ
前回記事
繰り返される悲劇
変容なき人生はループする
自己物語と構造の脱出モデル
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懲りたフリ図鑑
即時適応型
擬似反省行動の分類と見破り方
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後悔が欲望を上回るまで
人は同じ過ちを繰り返す
はじめに
ヤバいを繰り返す
その場しのぎの解決を繰り返す
俺って一体なんなんだろを繰り返す
もう繰り返したくないを繰り返す
人は後悔が欲望を上回るまで
同じ過ちを繰り返す
以前
私はそんなことを書いた
人は
やめたほうがいいと知りながら
同じ場所へ戻ってしまう
あの関係は消耗する
その遊び方は虚しい
その買い方は後悔に繋がる
その逃げ方は
結局あとで自分を苦しめる
頭ではわかっている
それでもまた
同じ穴に戻っていく
このことを
意思が弱いの一言で片づけるのは
少し雑だと思う
人は
正しさを知らないから繰り返すのではない
反省していないから繰り返すのでもない
むしろ
何度も反省している
ヤバいと思っている
落ち込んでいる
もうやめたいと思っている
それでも繰り返す
なぜか
おそらく問題は
反省の有無ではない
その反省が
構造を変えるところまで届いていないのだ
もっと言えば
その場しのぎの解決が
次のヤバいを作っている
第一章
ヤバいを乗り切る能力だけが上がっていく
人はヤバい状況になると
とにかく目の前の火を消そうとする
謝る
ごまかす
穴を埋める
誰かに助けてもらう
時間が過ぎるのを待つ
なんとかする
そして実際
なんとかなることがある
これが厄介なのだ
本当に完全に壊れてしまえば
人は構造を見直さざるを得ない
けれど
壊れそうになりながらも
毎回なんとかなってしまう
すると人は
変わるのではなく
乗り切る技術だけを覚えてしまう
ヤバい
なんとかする
助かる
反省する
少し落ち込む
日常に戻る
そしてまた
同じ条件の中で生き始める
この流れの怖さは
本人が何もしていないわけではないところにある
むしろ
本人は毎回頑張っている
問題を処理している
頭を下げている
傷ついている
反省もしている
けれど
その頑張りが
次にヤバいことが起きない構造を作っていない
ただ
今回のヤバいを乗り切っただけで終わっている
だから
次のヤバいが生まれる
人はときどき
ヤバい状況を処理できるようになることを
成長だと勘違いする
たしかに
以前よりは落ち着いて対処できるようになったかもしれない
以前よりは謝り方がうまくなったかもしれない
以前よりはごまかし方が自然になったかもしれない
以前よりは穴埋めの速度が上がったかもしれない
けれど
それは本当に成長なのか
次のヤバいを減らしていないのなら
それは成長ではなく
延命技術かもしれない
ヤバいを処理する能力だけが上がっていく
しかし
ヤバいを作らない構造には変わっていない
ここに
人間の反復の怖さがある
第二章
その場しのぎは解決ではなく反復可能性の回復である
その場しのぎの解決とは
一見すると解決に見える
焦った状況が収まる
怒られていた場が終わる
損失が一時的に止まる
関係が完全には壊れずに済む
生活が元に戻る
だから本人は思う
助かった
何とかなった
次から気をつけよう
けれど
ここで本当に問うべきなのは
助かったかどうかではない
なぜ毎回
助かる必要があるところまで行ってしまうのか
そこなのだ
その場しのぎの解決は
問題を終わらせるとは限らない
むしろ
問題がまた起きる環境を
そのまま保存してしまうことがある
火事で言えば
火を消したのではない
煙だけを逃がしたようなものだ
部屋の煙は消える
息はできるようになる
視界も戻る
だから人は安心する
でも火種は残っている
そしてまた
同じ部屋で眠る
これが反復である
人は同じ過ちを繰り返すのではない
同じ過ちを繰り返せる環境を
毎回その場しのぎで修復しているのだ
この修復という言葉が重要である
普通
修復は良いことに見える
壊れたものを直す
乱れたものを整える
元に戻す
だが
元に戻してはいけないものもある
壊れたことで
ようやく見えた構造がある
破綻したことで
ようやく問えるようになった生活がある
それなのに
その場しのぎで元に戻してしまう
すると
見直されるはずだった構造まで
一緒に元へ戻ってしまう
だから
その場しのぎは危ない
それは
人生を修理しているように見えて
壊れるはずだった構造を
もう一度壊れる場所まで走らせる応急処置になることがある
第三章
後悔が育つ前に鎮痛されてしまう
人が変わるには
後悔が必要なことがある
もちろん
ただ自分を責めるだけの後悔は危ない
それは人を小さくする
自分を嫌いにさせる
行動する力を奪う
けれど
すべての後悔が悪いわけではない
中には
構造を変えるための後悔がある
もう同じ場所には戻りたくない
もう同じ言い訳をしたくない
もう同じ自分を見たくない
この痛みが
欲望の期待値を壊していく
人は
快楽の予感がまだ生きているうちは
同じ場所に戻る
次こそはうまくいくかもしれない
今回は違うかもしれない
本当の満足はまだ取れていないだけかもしれない
そう思ってしまう
だから
後悔が欲望を上回るまでは
同じ過ちを繰り返す
けれど
その後悔は簡単には育たない
なぜなら人は
ヤバいことが起きるたびに
その場しのぎで痛みを薄めてしまうからだ
とりあえず謝った
とりあえず許された
とりあえず穴は埋まった
とりあえず今日は終わった
このとりあえずが
後悔の熱を下げる
後悔が熱を持っているうちは
人は構造を見直そうとする
けれど
その熱がすぐに冷やされると
また日常に戻れてしまう
戻れてしまうから
変わらない
変わらないから
またヤバいになる
だから
本当に怖いのは
後悔しない人間ではない
後悔しているのに
後悔を育てる前に鎮痛してしまう人間である
反省しているのに変わらない人は
反省していないのではない
反省を
その場しのぎの鎮痛剤として使ってしまっているのかもしれない
第四章
高い勉強代とは幻想が剥がれた深さである
高い勉強代という言葉がある
人は
何かを失ったあとで
そう言うことがある
高い勉強代だった
これで学んだ
もう同じことはしない
けれど
本当に学んだかどうかは
払った金額では決まらない
失った時間でも決まらない
恥をかいた大きさでも決まらない
勉強代とは
失敗に払った金額ではない
欲望の幻想が剥がれた深さのことである
人は
失敗しただけでは学ばない
損をしただけでも学ばない
恥をかいただけでも学ばない
なぜなら
その失敗の奥に
まだ快楽の予感が残っていれば
人はまた戻ってしまうからだ
今回は運が悪かっただけ
次はうまくやれる
相手が違えば大丈夫
条件が整えば今度こそ満たされる
そうやって
欲望は失敗を例外処理する
だから
高い勉強代が本当に勉強代になるのは
その出来事を思い出したとき
快楽より先に虚無が立ち上がるようになったときである
あの刺激を思い出すより先に
その後の空っぽさを思い出す
あの期待を思い出すより先に
自分が摩耗した感覚を思い出す
あの甘さを思い出すより先に
後悔の重さが身体に戻ってくる
そのとき
欲望の期待値が崩れる
人を止めるのは
道徳ではない
期待値の崩壊である
もう割に合わない
もう欲しいものより
その後の虚しさのほうが重い
もう一瞬の快楽より
繰り返す自分を見るほうが苦しい
そう身体が理解したとき
人はようやく離れ始める
ただし
ここでもその場しのぎが邪魔をする
損をしたのに
すぐに別の言い訳で薄めてしまう
恥をかいたのに
笑い話にして終わらせてしまう
虚無を味わったのに
誰かに慰められてすぐに忘れてしまう
すると
勉強代は勉強代にならない
ただ失っただけになる
損失はあった
痛みもあった
けれど
幻想は剥がれていない
だからまた戻る
本当に学ぶとは
知識を増やすことではない
魅力が減ることである
もう同じ場所に戻っても
以前ほど輝いて見えない
もう同じ誘いを受けても
以前ほど胸が動かない
もう同じ言い訳を聞いても
以前ほど自分を騙せない
そこまで来て
ようやく勉強代は
ただの損失ではなくなる
幻想を剥がすために払った通行料になる
第五章
同じ穴のムジナは優しさの顔で引き戻す
人は一人で反復しているように見えて
実は周囲の環境にも引き戻されていることがある
同じ穴のムジナという仲間がいる
その仲間は
必ずしも悪意を持っていない
むしろ優しい
考えすぎだよ
何とかなったならいいじゃん
そういうこともあるよ
みんなそんなもんだよ
そこまで深刻に考えなくていいよ
たしかに
その言葉に救われることはある
人はいつも厳しさだけで生きられるわけではない
責められ続ければ壊れる
自分を追い詰めすぎれば
反省どころではなくなる
だから
心地よい仲間は必要だ
休ませてくれる場所も必要だ
けれど
問題は
その心地よさが
自分を変えなくていい理由になってしまうことだ
心地よい人には二種類いる
傷ついた自分を休ませてくれる人
変わらない自分を正当化してくれる人
前者は必要である
後者は危ない
同じ穴のムジナは
しばしば後者になる
なぜなら
こちらが変わろうとすると
相手もまた
自分の構造を問われてしまうからだ
自分が抜け出そうとすることで
同じ穴にいる仲間は
置いていかれるように感じる
否定されたように感じる
だから引き戻す
考えすぎだよ
何とかなったならいいじゃん
それは優しさでもある
だが同時に
変化の痛みを鎮痛する言葉でもある
人は
一緒にいて心地よい人とだけいると
成長しづらい
なぜなら
成長には
少し居心地の悪い問いが必要だからだ
それ
毎回言ってないか
何とかなったんじゃなくて
また先送りしただけじゃないか
反省しているんじゃなくて
反省した気分で落ち着いているだけじゃないか
そう言ってくれる人は
必ずしも優しく見えない
けれど
その人は
次のヤバいを止めるための問いを置いてくれる
本当に必要な人間関係とは
いつも自分を責めない関係ではない
自分を壊さずに
自分の反復を見せてくれる関係である
居心地のよさは
人を回復させる
だが
居心地のよさだけでは
人は変わらないことがある
第六章
懲りたフリと懲りたつもり
以前
私は懲りたフリについて書いた
懲りたフリとは
反省ではなく
損益最小化の社会的スクリプトである
怒られている場を早く終わらせるために
反省しているように振る舞う
姿勢を正す
すいませんと言う
はいと頷く
神妙な顔をする
言い訳を止める
それは
内省というより
危機回避の技術である
ただ
今回考えたいのは
それよりも少し厄介な問題だ
人は
懲りたフリをしているとは限らない
本当に懲りたつもりでいることがある
本当に落ち込んでいる
本当にヤバいと思っている
本当にもう繰り返したくないと思っている
それでも
また繰り返す
これは演技ではない
だが
変化でもない
懲りたフリは
他人を騙す
懲りたつもりは
自分を騙す
懲りたフリは
怒られた場を終わらせる
懲りたつもりは
自分の罪悪感を終わらせる
どちらも
次のヤバいを止めるとは限らない
本当に必要なのは
反省の演出ではない
反省の感情でもない
次に同じヤバいが発生しないように
条件を変えることである
何をやめるのか
どこに行かないのか
誰と距離を取るのか
どの入口を塞ぐのか
どの言い訳を禁止するのか
どのその場しのぎを
もう使わないと決めるのか
ここまで行かなければ
反省は構造に届かない
反省とは
落ち込むことではない
次の自分の動線を変えることである
第七章
変容なき人生はループする
以前
私は
変容なき人生はループすると書いた
人は
同じ悲劇を何度も繰り返すことがある
相手は違う
場所も違う
言葉も違う
季節も違う
けれど
最後に残る感情だけが似ている
また
こうなった
この感覚があるとき
人は単に不運なのではない
自分の中にある構造を
何度も別の出来事に投影している可能性がある
いつも相手を優先してしまう
怒れない
断れない
頼れない
期待しすぎる
絶望しすぎる
報われない私という物語に戻ってしまう
このような脚本が変わらなければ
出来事が変わっても
結末は似てしまう
今回の話は
その続きである
なぜ
人は変容しなければならないところまで来ているのに
変容せずに済んでしまうのか
なぜ
同じ悲劇の脚本は
毎回破棄されずに温存されるのか
そこに
その場しのぎの解決がある
ヤバい
なんとかする
助かった
反省する
でも構造は変わらない
そしてまた
次のヤバいが来る
つまり
変容なき人生はループする
そして
そのループを延命しているのが
その場しのぎの解決なのだ
人生の悲劇は
大きな事件としてだけ現れるわけではない
むしろ多くの場合
小さなその場しのぎの積み重ねとして現れる
今日は大丈夫だった
今回は助かった
まだ致命傷ではない
この小さな安心が
大きな変容を先送りする
悲劇は
突然来るように見えて
実際には
日々の小さな応急処置によって準備されていることがある
第八章
本当の解決とは安心することではない
人は
安心したい
それは当然だ
不安なままでは眠れない
罪悪感を抱えたままでは苦しい
人間関係が壊れそうなままでは
生活できない
だから
その場しのぎにも意味はある
応急処置が必要な場面はある
血が出ているときに
人生論を語っても仕方がない
まず止血する必要がある
けれど
止血と治療は違う
応急処置と構造改善は違う
その場しのぎが悪いのではない
その場しのぎを
本当の解決だと思ってしまうことが危ないのだ
本当の解決とは
安心することではない
次のヤバいが発生する条件を
ひとつ壊すことである
次に同じことが起きないように
生活の動線を変えること
欲望の入口を変えること
付き合う人を変えること
時間の使い方を変えること
金の使い方を変えること
沈黙の使い方を変えること
逃げ方を変えること
謝り方を変えること
もっと言えば
自分が自分を許す条件を変えること
何とかなったからいい
ではなく
なぜ
何とかしなければならない場所まで来たのか
そこを見ること
それが
本当の解決の入口だと思う
安心は必要である
だが
安心だけでは足りない
安心したあとに
構造を見る時間が必要になる
助かったあとに
なぜ助かる必要があったのかを問う時間が必要になる
ここを飛ばすと
安心は成長ではなく
反復の燃料になる
第九章
反省を鎮痛剤にしないために
反省は
ときどき鎮痛剤になる
落ち込んだ
自分を責めた
もうやめようと思った
だから
反省した気になる
けれど
その反省が
自分を一時的に落ち着かせるだけで終わったなら
それは鎮痛剤に近い
痛みは消えた
でも病巣は残っている
だから
また同じ場所が痛む
反省を鎮痛剤で終わらせないためには
問いを変える必要がある
なぜ自分はダメなのか
ではない
どの条件が
次のヤバいを作っているのか
この問いに変える
自分を責めても
構造は変わらない
自分を責めることで
変わった気になることすらある
俺はダメだ
俺は弱い
俺はまたやった
そう言っている間
人は自分を裁いているようで
実はまだ
具体的な条件に触れていない
重要なのは
自分がダメかどうかではない
自分が
どの入口から
同じ場所に戻っているのかである
入口を見つける
入口を塞ぐ
あるいは
入口の前に別の行動を置く
これが
反省を構造に届かせるということだ
欲望は
出口ではなく入口で止めるほうがいい
一度入ってしまえば
人はそれを処理しなければならなくなる
処理できると思うから
また入ってしまう
だから
変えるべきなのは
ヤバくなった後の対応だけではない
ヤバくなる前の入口である
誰といると
いつもの自分に戻るのか
どの時間帯に
判断が甘くなるのか
どの感情のあとに
同じ行動へ向かうのか
どの言葉を言い訳にして
自分を許しているのか
そこを見る
そこを変える
そのとき初めて
反省はただの気分ではなく
生活の設計になる
終章
次のヤバいが生まれる条件をひとつ壊す
人は後悔が欲望を上回るまで
同じ過ちを繰り返す
けれど
その後悔は簡単には育たない
なぜなら人は
ヤバいことが起きるたびに
その場しのぎで痛みを薄めてしまうからだ
そして周囲の心地よい仲間が言う
考えすぎだよ
何とかなったならいいじゃん
そういうこともあるよ
たしかに
そういうこともある
人は
毎回深刻に考えすぎても壊れる
すべてを構造化しすぎても
息が詰まる
だから
ときには流していい
笑っていい
休んでいい
自分を責めすぎなくていい
ただし
毎回そこで終わるなら
それは救いではなく
反復の保存である
本当に変わるとは
ヤバいを乗り切ることではない
次のヤバいが生まれる条件を
ひとつ壊すことだ
その場しのぎで
今日を越えることはできる
けれど
その場しのぎだけでは
明日の自分を変えられない
高い勉強代を払ったとしても
幻想が剥がれていなければ
人はまた同じ場所へ戻る
損をしただけでは学びにならない
恥をかいただけでは変容にならない
痛い目を見ただけでは
人生は変わらない
その痛みによって
何の魅力が減ったのか
どの期待値が崩れたのか
どの入口をもう信用できなくなったのか
そこまで見えたとき
失敗はようやく学びになる
ヤバいを繰り返す
その場しのぎの解決を繰り返す
俺って一体なんなんだろを繰り返す
もう繰り返したくないを繰り返す
その輪から出るために必要なのは
完璧な反省ではない
美しい決意でもない
たったひとつでいい
次のヤバいを作っている条件を
今日ひとつだけ壊すこと
そこからしか
反復は終わらない
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