見出し画像

八方美人と博愛主義の違いって?

八方美人と博愛主義って誰でも聞いたことがあると思うんですけど、その違いって言えますか?

私は自分の事を八方美人だと思っていた時期があるのですが、あるとき気がついたんです。

本当の私はどこにいるんだろう?

って。

会社での自分

恋人の前での自分

家族の前での自分

友人の前での自分

みんなバラバラだったんです。

まるで仮面を付け替えるかのように誰にでも良い顔をしていたのですが、それは器用さでもあるけれど、どこかで息苦しかったんです。

それって生きにくくないかな。

もっと楽にならないかな。

って考えたら時に、誰の前でも仮面の付け替えをしなくても良い自分になれば良いと考えました。

でも、結局それって「全部が嘘の自分」じゃないかとも何回も考えたのですが、一つだけ方法があったんです。

そうだ、博愛主義になればいいんだ。って

とはいえ、その時は八方美人と博愛主義の違いなんて知りませんでした。

今にして思えば完全に見切り発車ですね。

でも、八方美人と博愛主義主義の違いを以下のように分けてみました。


八方美人とは


相手に合わせるほど、自己の形が崩れていく。

個人、個人に好かれるように接し方を変える。

場合によっては、人の悪口も言う。

その人に向けた最適化

人間関係はうまくいきやすいけれど、3人以上いると矛盾が出てくる。

人の数だけ仮面を持ち、どれも本物に見えてどれも本物ではない。


博愛主義とは

中心を保つほど、他者との距離が整っていく。

誰に対しても心の中はフラットでいる。

人の悪口も嘘も言わない。

場合によっては何も言わない。

人によっては、距離をとる。

何人いても矛盾が起きない。

一つの中心からすべての他者を見つめるように関わる。

最初はこれくらいのところから意識してみました。

まあ、それでも何回も失敗したり別の問題も出てきたんですけどね。

それはまた、別の機会にということで。

そして、この二つの違いを、
言葉ではなく「形」として」見てみると、
その本質がより鮮やかに浮かび上がります。

人は、どんな形で他者と関わっているのか。
そして、どんな形で自分を保っているのか。

八方美人は、相手に合わせすぎるがあまり矛盾の生じる尖った山のような形で

博愛主義は、矛盾が消えた綺麗な円のような形なんだと思うようになりました。

ここから先は、そんな“形の哲学”の話をしてみたいと思います。


哲学随想『山と円――他者と自己の幾何学』


人はときに、形を持って生きてしまう。

ある者は尖った山として、ある者は整った円として。

八方美人とは、他者に最適化しすぎた山である。

相手の感情や期待に反応し、局所的に姿を変える。

「誰にも嫌われたくない」という思いは、あらゆる方向に伸びた稜線をつくる。

だが、どこかを高くするたびに、別の方向が削れる。

この山の頂は、一見高く見えても、どの方角にも安定しない。

すべての他者に等しく触れようとした結果、どの他者にも近づけない。

彼らが求めているのは「愛」ではなく「均衡」なのだ。

けれど、均衡を保とうとするたびに心は摩耗し、沈黙が奪われていく。

沈黙のない場所には、真実も休息もない。

それが八方美人の孤独である。

対して、博愛主義は整った円のかたちをしている。

この円には中心があり、すべての他者はその中心から等距離に存在する。

つまり、他者に合わせて変形するのではなく、
内的統合によって差異を吸収する構造を持つ。

円は矛盾のない図形だ。

どこから見ても同じでありながら、すべてを包み、排除しない。

それは“好かれたい”という欲ではなく、“理解しよう”という意志

相手の形に合わせるのではなく、相手の存在をそのまま含み込む広がり。

愛とは、変化ではなく包容である。

このとき沈黙は、拒絶ではなく配慮となる。

言葉で満たすことをやめたとき、人は相手を支配しない。

距離を保つことは、愛を壊さないための構造上の必然だ。

円の沈黙は、中心を守るための倫理である。


山は、他者に登られることを恐れ、崩れないように尖る。

円は、他者が歩き回っても崩れない。

なぜなら、その形がもはや「他者を拒むため」ではなく、「共に在るため」に整えられているから。

山の中心は空虚だが、円の中心には静けさがある。

八方美人が「他者の目によって形づくられる存在」だとすれば、
博愛主義者は「他者の存在を媒介に自己を思い出す存在」だ。

つまり、八方美人は〈他者に対する反射〉であり、
博愛主義は〈他者との共振〉である。


尖りを失うとは、鈍化ではなく成熟である。

人は角を削ることで世界と和音になる。

それが、円環としての愛の幾何学

嘘をつくくらいなら、言わない。

消耗するくらいなら、離れる。

この沈黙こそが、愛の最終形態なのだ。

この世界には、山と円のあいだで揺れる人々がいる。

だが、もしあなたがどちらにもなりきれないとき、
その形はすでに“螺旋”なのかもしれない。

山の頂を削り、円の中心に降りていく螺旋

そこに、人と人とがすれ違いながらも響き合う幾何学が生まれる。

#983

いいなと思ったら応援しよう!

谷博貴の哲学【フォロバ100】 応援よろしくお願いします!いただいたチップは研究費用に回します。