洗濯物は空気を読んでいる
副題
加湿器・除湿機・飽和水蒸気量から考える、乾くという現象
はじめに|洗濯は、思ったより難しい
冬場は、洗濯物が乾きにくい。
気温が低く、日差しも弱く、空気も冷たい。
干してもなかなか乾かない。
厚手の服やタオルは、翌日まで湿っていることもある。
ただ、冬は汗をかく量が少ない。
着替えの回数も、夏ほど多くはない。
だから、洗濯物そのものはそこまで大量には出ない。
一方、夏場は洗濯物がよく乾く。
日差しは強い。
気温も高い。
風が通れば、Tシャツなどはあっという間に乾いていく。
けれど、夏は洗濯物も多い。
汗をかく。
着替える。
タオルを使う。
寝具も湿気を含みやすい。
乾きやすい代わりに、洗う量も増える。
では、梅雨どきはどうだろうか。
洗濯物は、それなりに出る。
気温も低すぎるわけではない。
にもかかわらず、なかなか乾かない。
雨が続く。
湿度が高い。
外に干せない。
部屋干しをしても、どこか湿った感じが残る。
特に休日が雨天続きだと、洗濯を別日に回すこともある。
洗うべきものはある。
けれど、干すタイミングがない。
ここで初めて、洗濯とは単なる家事ではないのだと気づく。
洗濯は、水と布だけの問題ではない。
風を読む。
湿度を読む。
天気を読む。
気温を読む。
干す場所を読む。
洗濯物同士の間隔を読む。
ある意味では、航海に似ている。
海に出る者が風と波を読まなければならないように、洗濯をする者もまた、空気と天候を読まなければならない。
筆者は昨年まで、浴室乾燥機付きの物件に住んでいた。
だから、洗濯物が乾かないという問題を、そこまで真剣に考えたことがなかった。
洗って、浴室に干して、乾燥ボタンを押す。
それで終わっていた。
だが、浴室乾燥機のない生活になると、話は変わる。
洗濯物は、こちらの都合だけでは乾かない。
空気の都合がある。
天候の都合がある。
部屋の構造の都合がある。
そこで初めて、洗濯という行為の難易度に気づいた。
では、洗濯物が乾くとは、いったい何が起きているのか。
晴れていれば乾く。
風があれば乾く。
湿度が低ければ乾く。
日常的には、それで十分である。
しかし、よく考えると、洗濯物が乾くという現象はかなり不思議だ。
濡れていた布から、水が消える。
だが、水そのものが消滅したわけではない。
水は、布から空気へ移動している。
つまり洗濯物が乾くとは、水がなくなることではなく、水の居場所が変わることなのである。
この視点に立つと、洗濯物は単なる家事の対象ではなくなる。
洗濯物は、空気がどれだけ水分を受け取れるかを示す、身近なセンサーになる。
第一章|乾くとは、水が空気へ移ること
洗濯物は、なぜ乾くのだろうか。
表面的には、布に含まれていた水分が蒸発するからである。
だが、ここで大事なのは、蒸発とは水が消えることではないという点である。
液体として布に含まれていた水が、水蒸気として空気中へ移る。
水の状態と居場所が変わる。
ただそれだけである。

濡れた布に含まれていた水分は、蒸発によって水蒸気となり、空気中へ移動する。
乾燥とは、水が消えることではなく、布から空気へ居場所を変えることである。
だから、洗濯物の乾燥を考えるとき、本当に見るべきものは布だけではない。
布の水分がどれだけあるか。
それだけでは足りない。
その水分を、空気がどれだけ受け取れるのか。
そこまで見なければ、洗濯物が乾く理由は見えてこない。
洗濯物は、布だけで乾いているのではない。
布と空気のあいだで、水の受け渡しが起きている。
その受け渡しが進めば乾く。
止まれば乾かない。
つまり乾燥とは、布の問題であると同時に、空気の問題でもある。
第二章|空気には、水を受け取る余白がある
洗濯物が乾くかどうかを考えるとき、重要になるのは湿度である。
ただし、湿度だけを見ても少し足りない。
本当に見たいのは、
「今の空気が、あとどれくらい水蒸気を受け取れるのか」
ということだ。
空気には、温度ごとに抱えられる水蒸気の限界がある。
これを飽和水蒸気量という。
気温が高い空気は、多くの水蒸気を抱えられる。
気温が低い空気は、あまり多くの水蒸気を抱えられない。
湿度とは、その限界に対して、今どれくらい水蒸気が含まれているかを示す割合である。
湿度50%なら、まだ半分ほど余白がある。
湿度90%なら、空気はかなり水蒸気で満ちている。
だから、洗濯物の乾きやすさを考えるなら、単に湿度を見るだけでは足りない。
飽和水蒸気量と、現在の水蒸気量の差を見る必要がある。
この差こそが、空気の水分受け入れ余力である。

空気には、温度ごとに抱えられる水蒸気の上限がある。
飽和水蒸気量と現在の水蒸気量の差が大きいほど、空気はさらに水分を受け取ることができ、洗濯物は乾きやすくなる。
洗濯物が乾くとは、布の水分が、この余力へ移動することなのだ。
ここで大切なのは、空気が乾いているかどうかではなく、空気にまだ水を受け取る余白があるかどうかである。
洗濯物は、その余白に向かって乾いていく。
補足|「飽和」という言葉の整理
なお、「飽和」という言葉は、水に物質が溶ける場合にも使われる。
しかし、飽和水溶液と飽和水蒸気量は、似た言葉であっても意味は異なる。

飽和水溶液は、水に溶質がこれ以上溶けない状態を表す。
一方、飽和水蒸気量は、一定温度の空気が含むことのできる水蒸気の最大量を表す。
どちらも「限界」を意味するが、水の中の話か、空気の中の話かが異なる。

溶解度とは、一定温度で一定量の水に溶ける溶質の最大量である。
飽和水溶液は、この限界まで溶けた状態を指す。
洗濯物の乾燥で問題になる飽和水蒸気量とは、似た言葉でも対象が異なる。
補足|乾くという現象は、浸透圧にも少し似ている
洗濯物が乾くという現象は、浸透圧にも少し似ている。
もちろん、同じ現象ではない。
浸透圧とは、半透膜を挟んで水が移動する現象である。
たとえば、濃度の低い側から濃度の高い側へ、水が移動する。
一方、洗濯物の乾燥では、半透膜があるわけではない。
布の水分が蒸発し、水蒸気として空気中へ移動している。
つまり、浸透圧は液体の水の移動であり、洗濯物の乾燥は液体から気体への相変化を含む移動である。
だから、乾燥をそのまま浸透圧と呼ぶことはできない。
それでも、両者には似た構造がある。

浸透圧では濃度差が、洗濯物の乾燥では布と空気の水蒸気量の差が、水の移動を生む。
乾燥は浸透圧そのものではないが、水が余白のある方へ移っていくという構造はよく似ている。
どちらも、水が「移動できる余地」のある方へ動いていく。
浸透圧では、水は濃度差によって動く。
洗濯物では、水は布と空気のあいだの水蒸気量の差によって動く。
つまり、共通しているのは、差である。
濃度差。
湿度差。
水蒸気圧差。
飽和水蒸気量と現在の水蒸気量の差。
水は、差があるところで動く。
差がなくなれば、動きは止まる。
飽和水溶液では、それ以上溶けにくくなる。
湿度100%に近い空気では、それ以上水蒸気を受け取りにくくなる。
洗濯物の周囲の空気が湿ってしまえば、布の水分は空気へ移動しにくくなる。
だから、洗濯物が乾くとは、単に水が消えることではない。
布と空気のあいだにある差を使って、水が移動しているのである。
その意味で、乾燥とは、浸透圧そのものではないが、浸透圧と同じく「差によって水が動く現象」の一種として捉えることができる。
第三章|太陽は、水を空気へ押し上げている
ここで、もう少し大きな視点から考えてみたい。
洗濯物が乾くとき、布の中の水は空気へ移動している。
では、その移動を起こしている根本の力は何だろうか。
その一つが、熱である。
水は、何もしなくても少しずつ蒸発する。
だが、温度が高いほど、水分子は活発に動き、液体の表面から空気中へ飛び出しやすくなる。

太陽の熱は、海面の水も、洗濯物に残った水分も、どちらも蒸発によって空気中へ移動させる。
洗濯物が乾く現象は、地球規模の水循環を、身近なスケールでなぞる小さな出来事でもある。
晴れた日に洗濯物が乾きやすいのは、単に空が明るいからではない。
太陽の光が布を温める。
布の中の水も温まる。
水分子の運動が激しくなる。
その結果、水は液体のまま布に留まるより、水蒸気として空気中へ出ていきやすくなる。
つまり、太陽は洗濯物を直接乾かしているというより、水が空気へ移動するためのエネルギーを与えている。
水が液体から気体へ変わるには、エネルギーが必要である。
このとき使われる熱を、気化熱という。

液体の水は、気化すると気体となり、空気中に大きく広がれる状態になる。
たとえば1リットルの水は、100℃・1気圧でおよそ1700リットルの水蒸気となる。
洗濯物が乾くとは、水が見えなくなることではなく、布の中から空気中へ広がれる形に変わることでもある。
なお、水蒸気も気体である以上、温度や圧力の影響を受ける。

水蒸気は気体であるため、温度が上がれば体積が大きくなりやすく、圧力が上がれば体積は小さくなりやすい。
洗濯物の乾燥を直接これだけで説明することはできないが、水蒸気が空気中でふるまう基本的な性質を示している。
水が蒸発すると、周囲から熱を奪う。
だから、濡れた肌に風が当たると涼しく感じる。
汗が乾くと体温が下がるのも、同じ仕組みである。
洗濯物が乾くときにも、同じことが起きている。
水は、布から空気へ移るために熱を使っている。
その熱を与えている大きな存在が、太陽である。
ここで、洗濯物の乾燥は、地球規模の水循環とつながる。
海面の水も、太陽に温められて蒸発する。
川や湖の水も、土壌の水分も、植物から出る水分も、太陽のエネルギーによって空気中へ移動する。
そして、水蒸気は大気中を移動し、冷やされ、雲となり、やがて雨として地表へ戻る。
洗濯物は、その巨大な水循環の小さな模型である。
海から水が蒸発するように、布から水が蒸発する。
大気が水蒸気を運ぶように、部屋やベランダの空気が水分を運ぶ。
水蒸気が冷えると雨になるように、除湿機では空気中の水蒸気が冷やされて水滴になる。
つまり、洗濯物を干すという行為は、地球の水循環を小さく再現している。
布は小さな海である。
太陽は水を空気へ押し上げる。
風は水蒸気を運ぶ。
除湿機は小さな雲の逆再生のように、水蒸気を水滴へ戻す。
乾くとは、水が消えることではない。
太陽から与えられたエネルギーによって、水が布から空気へ移り、空気の流れに乗って別の場所へ運ばれていくことである。
そう考えると、洗濯物は単なる家事ではない。
それは、ベランダや部屋の中で起きている、小さな水循環なのである。
第四章|加湿器は、洗濯物の乾燥を機械化している
この発想の入り口は、加湿器だった。
加湿器には、いくつかの方式がある。
超音波式は、水を細かい霧のようにして空気中へ放つ。
スチーム式は、水を加熱して蒸気にする。
気化式は、濡れたフィルターや円盤に空気を通し、自然に水を蒸発させる。
筆者の使っている空気清浄加湿器は、気化式に近い。
例えるのなら
濡れた雑巾のようなものを回転させ、そこに空気を通す。
すると、空気が水分を受け取る。
これは、構造としては洗濯物とほとんど同じである。
濡れた布がある。
そこに空気が当たる。
水が空気へ移る。
違うのは、それが自然の風で起きるか、機械のファンで起きるかだけである。
つまり、気化式加湿器とは、洗濯物の乾燥現象を機械化したものだと言える。
逆に言えば、洗濯物とは、自然環境の中に置かれた気化式加湿器である。
この見方をすると、洗濯物と加湿器は正反対ではない。
どちらも、水を空気へ渡している。
加湿器は、空気を潤すために水を渡す。
洗濯物は、自分が乾くために水を渡す。
同じ現象を、空気側から見るか、布側から見るかの違いである。
加湿器を見ることで、洗濯物の乾燥が見えてくる。
洗濯物を見ることで、空気が水を受け取る仕組みが見えてくる。
日用品は、意外と大気の仕組みに近いところで動いている。
第五章|除湿機は、空気から水を取り戻している
では、除湿機は何をしているのか。
筆者の使っている除湿機は、ペルチェ式である。
ペルチェ式除湿機は、空気を冷たい面に触れさせる。
すると、空気中の水蒸気が冷やされ、水滴になる。
ここで重要になるのが、露点である。
露点とは、空気をどこまで冷やすと水蒸気が水滴になり始めるかという温度である。
空気は、温度が高いほど多くの水蒸気を抱えられる。
逆に、温度が下がると、抱えられる水蒸気量は減る。
だから、空気を冷やすと、空気の水分保持能力が小さくなる。
それまで空気中にいられた水蒸気が、空気中にいられなくなる。
その結果、水滴として現れる。
つまり、ペルチェ式除湿機とは、空気の水分許容量を強制的に小さくし、抱えきれなくなった水を取り出す装置である。
ここで、三つの現象がつながる。
加湿器は、空気へ水を渡す。
洗濯物は、空気へ水を渡して乾く。
除湿機は、空気から水を取り戻す。

加湿器は液体の水を空気中へ渡し、洗濯物もまた布の水分を空気へ渡して乾く。
除湿機は、その空気中の水分を凝縮させて取り戻す。
三者は別々の道具でありながら、同じ水の移動を別の向きから扱っている。
水は消えていない。
布、空気、水滴のあいだで居場所を変えているだけである。
加湿器は、水を空気へ移す。
洗濯物も、水を空気へ移す。
除湿機は、空気に移った水を、もう一度目に見える水滴へ戻す。
こう考えると、加湿器・洗濯物・除湿機は、別々の道具ではなくなる。
どれも、空気と水の関係を扱っている。
第六章|晴れていても乾かない理由
この考え方は、洗濯物を密集させると乾きにくい理由も説明できる。
晴れている。
気温も高い。
湿度もそこまで高くない。
それでも、洗濯物同士が密集していると、乾かない部分が出る。
なぜか。
洗濯物の表面では、水が蒸発している。
すると、その周囲の空気は一時的に湿っていく。
洗濯物同士が近すぎると、その湿った空気が逃げない。
外の空気は乾いていても、布と布の隙間には、小さな高湿度空間が生まれる。

洗濯物の間隔が空いていれば、湿った空気は外へ逃げ、新しい空気が入ってくる。
反対に、洗濯物を密集させると局所的に湿度が高くなり、布の水分が空気へ移りにくくなる。
そこでは、空気がすでに水蒸気を多く含んでいる。
つまり、水を受け取る余白が少なくなっている。
だから、布の水分は空気へ移動しにくくなる。
これは、部屋全体の湿度だけでは見えない。
重要なのは、洗濯物のすぐ近くにある空気の状態である。
洗濯物は、空全体に向かって乾いているのではない。
まず、自分の周囲にある空気に向かって乾いている。
だから風通しが重要になる。
風は、湿った空気をどかし、新しい空気を連れてくる。
洗濯物が乾くためには、空気が水を受け取れるだけでなく、受け取った空気がその場から去っていく必要がある。
乾燥とは、水の移動であり、空気の入れ替わりでもある。
晴天だけでは足りない。
日差しだけでも足りない。
必要なのは、布の周囲に湿った空気を留まらせないことである。
だから、洗濯物は間隔を空けた方が乾きやすい。
厚手のものほど、風の通り道が必要になる。
部屋干しでは、除湿機やサーキュレーターが効いてくる。
乾くとは、布から水が出ていくことではなく、出ていった水を空気が運び去ることでもある。
第七章|乾くとは、受け取る側に余白があること
ここまで考えると、洗濯物の乾燥は、単なる物理現象以上のものに見えてくる。
乾くとは、布から水が消えることではない。
水を受け取る側に余白があるから、布から水が離れていくのである。
もし空気が水蒸気で満ちていれば、布は乾かない。
もし空気が入れ替わらなければ、布の周囲だけが湿ったままになる。
もし温度が低く、空気の水分保持能力が小さければ、水は移動しにくい。
つまり、洗濯物が乾くためには、布の側だけでなく、空気の側の条件が必要になる。
これは、人間関係にも似ている。
何かを話したい。
感情を吐き出したい。
疲れを預けたい。
言葉を受け取ってほしい。
だが、相手に余白がなければ、それは受け取られない。
どれほどこちらが放出したくても、受け取る側が満ちていれば、移動は起こらない。
洗濯物が乾かないのは、布が悪いからではない。
空気に余白がないからである。
感情がほどけないのも、必ずしも本人の問題だけではない。
受け取られる場所がないこともある。
もちろん、人間関係をそのまま物理現象に還元することはできない。
人は空気ではない。
感情は水蒸気ではない。
言葉は湿度計で測れるものではない。
それでも、構造として似ているところはある。
何かが移動するには、受け取る側に余白がいる。
布から空気へ水が移るように、
人から人へ言葉が移るには、受け取る側の空きがいる。
乾くとは、放出する力だけで起きるのではない。
受け取る側の余白があって、初めて起きる。
終章|洗濯物は空気を読んでいる
洗濯物は、ただ干されているだけではない。
空気の温度を受けている。
湿度の影響を受けている。
風通しに左右されている。
周囲の水蒸気量に反応している。
そう考えると、洗濯物は空気を読んでいる。
空気に余白があれば乾く。
空気が満ちていれば乾かない。
空気が動けば乾き、空気が淀めば乾かない。
加湿器は、空気の余白に水を渡す装置である。
洗濯物は、空気の余白へ水を渡して乾く布である。
除湿機は、空気から水を取り戻す装置である。
三つは別々の道具ではない。
すべて、空気が水をどれだけ抱えられるかという同じ問題の別の表情である。
乾くとは、水が消えることではない。
潤すとは、水が生まれることではない。
除湿とは、水を無くすことではない。
水はただ、居場所を変えている。
布から空気へ。
空気から水滴へ。
水滴からまた布へ。
私たちが洗濯物を干すとき、実は大気の仕組みに触れている。
濡れた布を通して、空気の余白を見ている。
洗濯物は、空気を読んでいる。
そして私たちは、洗濯物を通して空気を読んでいる。
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