見出し画像

詩文「そばにいるということ」──語らぬ者と共にある倫理の詩学


なぜ人は、変わることが怖いのか?

自意識という
根拠のない執着が
内省を抑制する。

それは
自己統一性を見失わぬようにする恐れからくるのか。

あるいは
社会的責任による一貫性の保障なのか。

けれど、
失敗を許容できない空間に
倫理の芽は育たない。

責めることよりも

問うこと

言葉で押し流すのではなく、
問いを手渡すように。

聞かぬなら
敢えて語らぬ
そばにいる

不変という
不完全性。

意味は常に、
遅れてやってくる。

それは、
意味を受け取る準備が
できた者にだけ届くということ。

その準備とは、
失敗から生まれた気づき。

気づきによって

ようやく、準備が整う。

そして、
何度も弱さに負けながら
少しずつ変容していく。

だから

何度失敗してもいい。

何度負けてもかまわない。

それでも変わらず私は、
あなたのそばにいる。

たとえあなたが
まだ気づいていなくても、

その眼差しの揺れに、
私は、
あなたの中の問いの種を見ている。

そして、いつか

あなたが誰かのそばに
静かに、在ることを選ぶとき
この沈黙は、意味を宿すだろう

──過去に問う──

問いのかたち

かつて私は、
癒えぬ痛みの種を
無理やり植え付けていた。

その痛みこそが、
目覚めへの鍵だと
信じていた。

やがて私は、
そっと去ることで、
問いの余白を
残すようになった。

「不在」という名の贈り物。

そして今、私は
語らず、そばにいる。

問いとは
差し出すものではなく
共に沈黙の中で
育ってゆくものだったのだ。


関連記事

『感受性の成熟と時間の構造』

『本性は言葉にならない』

いいなと思ったら応援しよう!

谷博貴の哲学【フォロバ100】 応援よろしくお願いします!いただいたチップは研究費用に回します。