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止まっていた時間にも哲学はある

谷博貴自伝・第一稿

序章|私は、うまく生きてきた人間ではない


私は、うまく生きてきた人間ではない。

誇れる経歴が並んでいるわけでもない。

一直線に努力して、順当に成功してきたわけでもない。

立派な学歴や肩書きで、自分の人生を説明できるわけでもない。

むしろ、世間の物差しで見れば、止まっていた時間の方が長かったのかもしれない。

不登校だった時間がある。

働かなかった時間がある。

続かなかった仕事がある。

中途半端に終わった挑戦がある。

壊れた関係がある。

守れなかったものがある。

言えなかった言葉がある。

遅れて気づいた愛がある。

だが、私はそれらの時間を、ただの失敗として終わらせたくなかった。

うまく生きられなかった時間を、なかったことにはしたくなかった。

止まっていたように見える時間にも、何かがあった。

考えていた。

見ていた。

感じていた。

受け取れなかったものを、遅れて受け取り直していた。

哲学とは、本の中にだけあるものではない。

それは、どうにもならなかった時間を、どう引き受けるかという問いの中にある。

失敗や停滞や喪失を、自分の人生から切り捨てず、それでも言葉に変えようとするところにある。

これは、成功者になるまでの記録ではない。

止まっていた時間を、もう一度生き直すための記録であり、何者にもなれなかった時間を、それでも自分の言葉で引き受けるまでの記録である。


第一章|私は、この人生を選んだのかもしれない


私には、ひとつ不思議な感覚がある。

それが本当に記憶なのか、後から自分の中で形を持った物語なのかは分からない。

けれど、私の中にはずっと、こういう感覚がある。

私は、大変な人生を選んできたのかもしれない。

もちろん、そんなことを証明することはできない。

生まれる前の記憶など、誰にも確かめようがない。

それは思い込みかもしれない。

後づけの意味づけかもしれない。

苦しかった人生を、自分で引き受けるために作った物語なのかもしれない。

それでも、私の中には、その感覚が残っている。

楽な人生ではなく、大変な人生を選んだ。

なぜそんなものを選ぶのか。

分からない。

ただ、もし本当に選んだのだとしたら、それは成功するためではなかったのだと思う。

立派な人間になるためでもない。

誰かに褒められるためでもない。

順当に幸せになるためでもない。

たぶん、見るためだった。

うまく生きられない人間の景色を見るため。

止まってしまった時間の重さを知るため。

愛されていたことに遅れて気づく痛みを知るため。
動けない愛を知るため。

壊れた生活の中で、それでも皿に手を伸ばす人間を知るため。

死者の前で、どう立つかを知るため。

未来へ何を渡せるのかを考えるため。

もしそうだとしたら、私の人生は失敗の連続ではなく、問いの連続だったのかもしれない。

だが、私はこの感覚を、運命論にはしたくない。

大変な人生を選んだのだから仕方がない。

苦しむことに意味がある。

不幸はすべて必要だった。

そう言いたいわけではない。

苦しみは、苦しみである。

失敗は、失敗である。

喪失は、喪失である。

取り返しのつかないものは、取り返しがつかない。

それでも私は、それらをただ押しつけられた不幸として終わらせたくなかった。

選んだかどうかは分からない。

けれど、引き受けることはできる。

自分に起きたことを、すべて肯定する必要はない。

すべてに意味があったと言い切る必要もない。

ただ、起きてしまったことを、自分の言葉で受け取り直すことはできる。

私にとって誓願とは、神に捧げた約束ではない。

この人生を、ただの失敗として終わらせないという、自分自身への約束である。

私は、うまく生きてきた人間ではない。

けれど、もしこの人生を選んだのだとしたら。

選んでしまった以上、私はこの人生を最後まで見届けなければならない。

そして、見届けたものを、言葉に変えなければならない。

それが、私にとっての誓願なのだと思う。


第二章|原初の記憶と孤独


人生で最初の記憶は、生まれる直前だったように思える。

もちろん、それが本当に記憶なのかは分からない。

身体があとから作り直した感覚なのかもしれない。

だが、私の中には、痛い、熱い、眩しいという感覚が残っている。

クラシック音楽のようなもの。

産湯のようなもの。

保育器。

黄疸。

生まれてから一ヶ月ほど入院していたという話。

それらが、実際の記憶なのか、聞かされた話をもとに組み立てられたものなのかは分からない。

けれど私にとって、人生の始まりは、どこか世界に放り込まれたような感覚と結びついている。

幼いころ、父親はいなかった。

だが、寂しかったという記憶はあまりない。

祖父母がいたからだと思う。

ただ、大人になってから振り返ると、母との関係は「愛がなかった」のではなく、「近すぎると摩擦が起きる関係」だったのだと思う。

NHK教育番組を見ていた。

車が好きだった。

図鑑を眺めた。

迷路やなぞなぞの本に夢中になった。

ゲームも好きだった。

幼稚園のころ、牛乳パックで弟と妹を作ったことがある。

それが寂しさだったのか、遊びだったのか、自分でも分からない。

ただ、自分の中に「誰かがいてほしい」という感覚があったのかもしれない。

二歳か三歳のころ、自分が一人でいることに気づいた気がする。

人は、孤独を言葉で知る前に、身体で知っていることがある。

私はたぶん、かなり早い段階で、自分が自分として世界にいることを感じていた。

それは特別な才能ではない。

ただ、世界との距離が少しだけ近く、少しだけ遠かったのだと思う。


第三章|母との距離


幼いころ、母は家を空けることが多かった。

仕事をしていたこともある。
遊んでいたこともある。

今の私なら、少しは分かる。

母は二十二歳で私を産んだ。
まだ若かった。
まだ遊びたい年齢だったのだろう。
母である前に、一人の若い女性でもあった。

そう考えることはできる。

けれど、それは大人になった私からの目線である。

当時の私には、そんなふうには見えなかった。

母との接点は少なかった。

けれど、過干渉だった。

この二つは、矛盾しているようで、私の中では同時に存在していた。

そばにいてほしいときにはいない。
けれど、自分の領域には踏み込んでくる。
甘えたい距離にはいない。
けれど、干渉される距離にはいる。

母は、人の進路や就職先に口を出すことが多かった。

実の父親に会ったことのない私にとって、母の言葉は、家庭の中でかなり大きな力を持っていた。

それは心配だったのかもしれない。
親としての責任感だったのかもしれない。
自分が後悔した道を、私には歩かせたくなかったのかもしれない。

だが、当時の私には、それが干渉に感じられることも多かった。

小学二年生のころ、母は再婚した。

それからは、家にいることが増えた。

だが、私の居場所が増えたわけではなかった。

ただ、再婚した父親が悪かったとは思っていない。

ファミコンで一緒に遊んだことがある。
一緒に風呂に入ったこともある。
釣りを教えてもらった。
おやつを作ってもらったこともある。

その人は、その人なりに私と関わろうとしてくれていたのだと思う。

私は、それを受け取れなかったのかもしれない。

小学二年生の私にとって、家庭の形が変わることは大きかった。

母が再婚し、新しい父親ができ、妹たちが生まれ、家族の形が変わっていく。

そこに悪意があったわけではない。
誰かが私を追い出そうとしていたわけでもない。
新しい父親が私を粗末に扱ったわけでもない。

ただ、私はその変化にうまく馴染めなかった。

家族は増えた。

けれど、自分の居場所が増えたようには感じられなかった。

同じ家にいるのに、同じ輪の中に入れていない。

家族でありながら、少し外側にいる。

その感覚は、私の中に長く残った。

成人してから、その人とキャッチボールをしたことがある。

最近では、使わなくなったiPhoneやPCをあげたりもした。

それは、親子らしい親子関係とは少し違うのかもしれない。

けれど、完全に切れた関係でもない。

一緒に遊んだ記憶がある。
教えてもらったものがある。
大人になってから交わしたものもある。

だから私は、その人を悪者として書きたいわけではない。

ただ、あの頃の私は、新しい家族の中で、自分の立ち位置を見つけられなかった。

それだけなのだと思う。

家族はそこにある。
母もいる。
新しい生活もある。
妹たちもいる。

けれど私は、どこか家族の蚊帳の外にいるような気持ちで過ごしていた。

同じ家にいるのに、同じ輪の中に入れていない。

家族でありながら、少し外側にいる。

その感覚は、私の中に長く残った。

中学の卒業のとき、母から手紙をもらったことがある。

私はそれを破いて捨てた。

そのとき、私の中にあったのは、たぶん怒りだった。

何をいまさら。

そう感じた。

接点が少なかった。
分かってほしいときに分かってもらえなかった。
近くにいてほしいときに近くにいなかった。

それなのに、卒業という節目になって、急に親らしい言葉を渡されても、私はそれを受け取れなかった。

今なら、その手紙を破ったことの重さも分かる。

けれど、あの頃の私は、受け取れる状態ではなかった。

早く働き始めて、家を離れよう。

そう考えていた。

けれど実際に独立したのは、二十五歳になってからだった。

離れたいと思いながら、離れられない。

関わりたくないと思いながら、生活の中ではまだつながっている。

親子とは、そういう厄介な関係でもある。

母は、高校を卒業して働き始めたころ、周りの大学生が遊んでいるのを見て羨ましく感じたらしい。

だから私には、大学進学を勧めてきた。

私は条件を出した。

一人暮らしをすること。
車の免許代を出すこと。
学費は母が負担すること。

その条件で、私は奨学金を借りて大学へ進学した。

けれど、大学にはほとんど通わなかった。

そのまま辞めて、コネで就職した。

母は母で、私の代わりに返済するはずだった奨学金を支払っていなかった。

結局、後になって私がすべて支払うことになった。

だから、これはどちらか一方だけが悪い話ではないのだと思う。

私は大学に通わなかった。
母は奨学金を払わなかった。

お互い様なのだろう。

そう思うことでしか、整理できない関係もある。

母は、金遣いが荒いところがあった。

夕食や私の弁当にステーキが多かった。

当時の私は、焼くだけで済むからだろうと思っていた。

手間をかけるより、分かりやすく豪華なものを出す。
細やかに整えるより、大きく与える。

母には、そういうところがあったのかもしれない。

私が拾ってきた猫に、キャットタワーを買ってきたこともある。

それもまた、母らしいと思う。

家計の管理はうまくない。
距離の取り方もうまくない。
言葉のかけ方にも一貫性がない。
けれど、何かを与えるときだけ、不意に大きい。

私は長い間、母は愛の薄い人なのだと思っていた。

愛されていなかった、と言い切るほど単純ではない。

けれど、愛されていた、と素直に受け取ることもできなかった。

母の愛は、私には分かりにくかった。

近づき方に一貫性がない。
距離の取り方が不器用。
必要なときに遠く、不要なときに近い。
現実的な責任が抜け落ちることもある。
けれど、不意に大きなものを差し出してくることもある。

そんな愛だった。

妹が亡くなってから、母とは少し仲良くなった。

喪失は、関係を壊すこともある。

けれど、ときには、残された者同士の距離を少しだけ近づけることもある。

同じ悲しみを持ったからといって、すべてが分かり合えるわけではない。

それでも、妹の死を通して、私と母の間には、以前とは違う通路が少しだけできたのだと思う。

離婚のときも、母には世話になった。

弁護士費用を借りた。

もちろん、それは返済するものだった。

けれど、金を借りたという事実以上に、あのとき助けてもらったという感覚は残っている。

私は、その返済とは別に、魚の干物を贈った。

うまく感謝を言葉にできなかったのかもしれない。

ただ、何かを返したかった。

そのお返しというわけでもないのだろうが、母は私に疲労回復パジャマを買ってくれた。

魚の干物と、疲労回復パジャマ。

たぶん、私たち親子の愛情表現は、そういう不器用な物のやり取りの中にあった。

まっすぐな言葉ではない。
抱きしめ合うような和解でもない。
涙ながらの親子愛でもない。

けれど、何かを贈る。
何かを返す。
少しだけ気にかける。

その程度の接触量だからこそ、成り立つ愛がある。

母は、六十歳近くになって資格試験の勉強をしていたことがある。

それは、私には簡単に真似できないことだと思う。

母は私の後に妹を四人も産んだ。

つまり、子供を5人も成人させた。

それもまた、私には真似できない。

そして、妹の葬式に贈った蘭を、年末の私の帰省まで保たせていた。

その蘭を見たとき、私は思った。

愛のない人間に、こんなことはできない。

母は、愛がない人ではなかった。

ただ、愛し方が不器用だったのだと思う。

一貫性に欠けていた。
距離の取り方が下手だった。
近づき方も、離れ方も、責任の持ち方も、うまくなかった。

けれど、それは愛がなかったということではない。

私は、母を簡単に赦したいわけではない。
美談にしたいわけでもない。
幼いころの寂しさが、なかったことになるわけでもない。
破って捨てた手紙が、なかったことになるわけでもない。
奨学金のことが、消えるわけでもない。

接点は少なかった。
けれど、過干渉だった。
家族の中で、蚊帳の外にいるように感じていた。
離れたいと思いながら、なかなか離れられなかった。

それは確かに、私の中に残っている。

だが同時に、母なりの愛もまた、そこにあったのだと思う。

母との関係から、私は早い段階で知ったのかもしれない。

愛は、あるかないかだけでは測れない。

愛があっても、届き方を間違えることがある。
愛があっても、責任の形を間違えることがある。
愛があっても、距離を間違えることがある。
愛があっても、相手の孤独を埋められないことがある。

母との距離は、私にそれを教えた。

そしてその感覚は、後に私が考えることになる、関係とは所有ではなく調停である、という思想の根のひとつになったのだと思う。


第四章|祖父から継承されたもの


父親がいなかった私にとって、祖父は父親のような存在だった。

父親参観に来てくれた。

キャッチボールをしてくれた。

ラジオ体操にも一緒に行った。

かけっこもした。

好きなものを買ってくれた。

私は、たくさん愛されて育った。

けれど、その価値に気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。

人は、当たり前のように受け取っている愛には気づきにくい。

水の中にいる魚が、水のありがたさを知らないように、愛されている最中の人間は、自分がどれほど支えられているのかを知らない。

ある日、私は祖父にひどい言葉をぶつけた。

仕事から帰ってきた私は苛立っていた。

その苛立ちを、祖父へ向けてしまった。

ただの八つ当たりだった。

祖父は何も言い返さなかった。

もともと寡黙な人だった。

私はその沈黙を、まだ受け取れなかった。

その後、祖父とは何年も会わなかった。

罪悪感があったわけではない。

もっと正確に言えば、私は祖父の価値を軽んじていたのだと思う。

次に会ったとき、祖父は認知症になっていた。

私のことも分からなくなっていた。

その頃から私は、人はいつか死ぬということを少しずつ意識し始めた。

祖父には、あと何回会えるだろうか。

ある年の盆、私は祖父に尋ねた。

「俺のことが誰だか分かるか」

祖父は言った。

「ひろだろ」

私は驚いた。
そして、妙な予感がした。

もうこれで最後かもしれない。

その翌年、祖父は亡くなった。

夢の中で祖父に会った。
祖父は背を向けていた。
私は謝った。
祖父は何も語らなかった。

その背中が何を語っていたのか、今でも分からない。

けれど、そのとき私は誓った。

祖父に顔向けできない生き方だけはしない。

私の倫理は、正しさから始まったのではない。
愛されていたことに、遅れて気づいたところから始まった。

祖父から継承したものは、無償の愛だった。

そして私は、その愛に遅れて気づいた者として生きることになった。


第五章|止まっていた時間


私は、不登校だった時期がある。

中学のころ、二年間ほど学校に行かなかった。
その後の人生にも、働かずにいた長い時間があった。

世間から見れば、それは空白だろう。
遅れだろう。
逃げだろう。
無駄な時間だろう。

実際、そう見られても仕方がない。

だが、私の内側では、時間が完全に止まっていたわけではなかった。

考えていた。
感じていた。
見ていた。
世界をうまく歩けない自分が、なぜ歩けないのかを、言葉にならないまま抱えていた。

私は、できないことが多かった。

縄跳びも、自転車も、周囲より遅かった。
学校にもなじめなかった。
仕事も長く続かないことがあった。

けれど、だからこそ、できない人を簡単には馬鹿にできない。

できないことには、理由がある。
遅れることにも、理由がある。
動けないことにも、理由がある。

人は、ただ怠けているのではない。
動きたいのに動けないことがある。
進みたいのに進めないことがある。
立ち上がるための足場が、まだできていないことがある。

私は、漫画やゲームにも多くを教わった。

亀仙流の教えが好きだった。

よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べ、よく休む。
人生を面白おかしく張り切って過ごせ。

それは、私にとって生き方のひとつの答えだった。

三年寝太郎の話も、どこか自分に重なった。

周囲から見れば怠けているように見える。
だが、見えない時間の中で、何かが溜まっている。
いつか動くための力が、静かに沈んでいる。

止まっていた時間にも、哲学はある。

それは、成功者には見えない世界を見る時間だったのかもしれない。

うまく生きられない人間が、うまく生きられないまま世界を見つめていた時間だったのかもしれない。

私は、うまく生きてきた人間ではない。

けれど、うまく生きられなかった時間を、なかったことにはしない。


第六章|動いていた頃


止まっていた時間ばかりではない。

私は、動いていた時期もある。

むしろ、ある時期の私は、考える前に動く人間だった。

友人の結婚式のムービーを作ったことがある。

当時、動画作成の経験などなかった。

使っていたパソコンも高性能ではなかった。

ソフトの使い方も分からなかった。

それでも、何度も試して、失敗して、調べて、直して、どうにか形にした。

結婚式当日、その動画が流れたとき、私は思わず泣いた。

できなかったことが、できるようになった。

それは、小さな成功だった。

その経験は、後にYouTube投稿へもつながった。

猫や料理の動画を撮った。
iPhoneだけで編集した。
再生数は大したことがなかった。
収益にもならなかった。

だが、それでも私は失敗だとは思っていない。

パソコンでもスマホでも、動画を作れるようになった。

能力が残ったからだ。

私は、レトロゲームのせどりもやった。

最初は残業代程度になればいいと思っていた。

だが気づけば、それなりの売上になった。

商品を探し、相場を調べ、仕入れ、出品し、梱包し、発送する。

誰かに届ける。

評価をもらう。

現金は残らなかった。
在庫も手放した。
時間も過ぎた。

けれど、ヤフオクやメルカリに残った高評価は、確かに私が誰かの世界の片隅に何かを届けた痕跡だった。

当時は稼ぐことが目的だった。
けれど今になって思う。

本当に残ったのは、関係だったのかもしれない。

会ったこともない誰かに、確かに何かを届けた。
それは商品だったかもしれない。

けれどそこには、私の時間、判断、選択、気遣いが込められていた。

売上は消えた。

しかし信用は残った。

私は、考えるだけの人間ではなかった。
動いた。
試した。
失敗した。
少しだけ成功した。
そして、そのすべてが、今の言葉の土台になっている。

私は、止まっていた人間でもあり、動いていた人間でもあった。

ただ、その動き方は、いつも王道ではなかった。

誰かの正解をなぞるというより、空気から少し外れたところで、自分なりの動き方を探していた。

その延長で、私はいつしか「出世」という言葉について考えるようになった。


第七章|働くことで、世界に戻っていった


初めてのアルバイトは、郵便局だった。

それから、物流倉庫で働いた。
レストランのウェイターもやった。
コンビニでも働いた。
弁当屋でも働いた。
住宅展示場で働いたこともある。

どれも、長く続いた仕事ばかりではない。

けれど、今振り返ると、それらは私が少しずつ社会に触れ直していくための時間だったのだと思う。

不登校だった時間がある。
働かなかった時間がある。
社会との接続が弱かった時期がある。

だから私にとって働くことは、単に金を稼ぐことではなかった。

人に会うこと。

時間通りに行くこと。

言われたことを覚えること。

自分の役割を果たすこと。

誰かの迷惑にならないように動くこと。

そして、自分が社会の中にいてもいいのだと、少しずつ確認していくことだった。

幼いころから、私は車が好きだった。

車の図鑑を眺めていた。

車の形や名前を覚えるのが好きだった。

大学では自動車部にも入った。

その流れもあって、初めての就職先はカーディーラーだった。

コネで入った就職先だった。

整備士として働いた。

真っ当なルートで辿り着いた場所ではなかったかもしれない。

けれど、車に関わる仕事に就いたという意味では、自分の中の好きだったものが、初めて仕事につながった瞬間でもあった。

その後、私は営業になった。

車を整備する側から、売る側へ回った。

さらに住宅の営業もやった。
互助会の営業もやった。

営業という仕事は、人と向き合う仕事である。

だが同時に、自分の中に問いを残す仕事でもあった。

この仕事は、本当に人の役に立っているのか。

私はそう考えることがあった。

売ること。
契約を取ること。
数字を作ること。

それは仕事として必要なことだった。

けれど、その先で相手の生活が良くなるのか。

自分が売っているものに、胸を張れるのか。

それを考え始めると、仕事は単なる労働ではなく、自分の倫理を試す場所になっていった。

いつか子どもが生まれたときに、その子の運動会に出られる仕事か。

そんなことも考えていた。

当時の私は、まだ子どもを持っていなかった。

けれど、未来のどこかにいるかもしれない子どものことを、ぼんやりと考えていた。

家庭を持つなら、どんな働き方がいいのか。

自分の時間を、どこまで仕事に差し出せるのか。

金を稼ぐことと、家族の時間を守ることは、どう両立するのか。

仕事を選ぶことは、生き方を選ぶことでもあった。

その後、私は愛知県の自動車製造会社で働いた。

だが、そこで身体を壊した。

ここで初めて、自分の限界を知った気がした。

それまでは、頑張ればどうにかなると思っていた。

無理をすれば乗り切れると思っていた。

身体は、自分の意思に従うものだと思っていた。

けれど、そうではなかった。

身体には限界がある。

気合いでは越えられない線がある。

生活が崩れれば、働くことも崩れる。

働くためには、まず身体が残っていなければならない。

私は退職し、半年ほど実家で過ごした。

雇用保険をもらいながら、職業訓練にも通った。

身体を治しながら、次にどう働くのかを考えていた。

止まることは、終わることではなかった。

身体を治すために止まる。

次の仕事へ向かうために止まる。

無理をした自分を、一度回収するために止まる。

その時間を経て、私は神奈川県の自動車製造会社で働くことにした。

そこで、後に結婚することになる相手と出会った。

仕事は、金を得る場所である。

けれど、それだけではない。

誰かと出会う場所でもある。

人生の分岐が生まれる場所でもある。

自分の未来が、思わぬ方向へ動き出す場所でもある。

私はそこで二年十一ヶ月働いた。

だが、雇い止めによって退職することになった。

どれだけ真面目に働いても、契約が終わればそこで切られることがある。

自分の努力だけでは、仕事は続かないことがある。
会社の事情、契約の事情、制度の事情。

働くとは、自分の意思だけで完結するものではないのだと知った。

その後、私は中小企業で九年間働くことになる。

九年。

それは、私の人生の中ではかなり長い時間だった。

続かなかった仕事がある。
逃げた時間がある。
壊れた身体がある。
雇い止めも経験した。

それでも、九年続いた仕事がある。

それは、私にとってひとつの証明だった。

私は、何も続けられない人間ではなかった。

ただ、続けられる場所に辿り着くまでに、時間がかかっただけなのだ。

仕事とは、社会から遅れた人間が、もう一度世界に接続し直す場所だった。

そして同時に、自分の限界を知り、自分の倫理を試され、自分の継続性を確かめる場所でもあった。

私は仕事を通じて、立派な人間になったわけではない。

けれど、働くことの中で、自分がどこまで無理できて、どこから壊れるのかを知った。

何を売ることに違和感を覚え、何を作ることに納得できるのかを知った。

そして、誰にでもできる仕事を、誰よりもやるという考えへ、少しずつ近づいていった。

二十代のころ、私は本をよく読んだ。

仕事をしながら読んだ。

雇用保険をもらいながら読んだ。

身体を治しながら読んだ。

数で言えば、千冊以上は読んだと思う。

最初は自己啓発書が多かった。

「行動せよ」「自分を信じろ」「前向きであれ」
そういう言葉を、何度も読んだ。

だが、ある時期から、どの本にも似たようなことが書かれていると感じるようになった。

それは飽きたというより、少し見えるようになったということだったのだと思う。

言葉が刺さるのは、本がすごいからだけではない。

自分の中に、その言葉を必要としている欠如があるからだ。

本は答えをくれるものではなく、自分の内側を映す鏡だった。

私は本を読みながら、世界を学んでいたというより、自分が何に飢えているのかを見ていたのだと思う。


第八章|工場の片隅で、出世について考えていた


「どうやったら、あなたみたいになれますか?」

そう聞かれたことがある。

そのとき、私はこう答えた。

出世とは、少数派になることだ、と。

笑われるかもしれない。

けれど、私は今でもそう思っている。

出世とは、単に上に行くことではない。

上に行けば行くほど、そこにいる人数が減っていくという構造のことである。

主任は何人いるのか。

係長は何人いるのか。

課長は。

部長は。

役員は。

社長は。

最後には、ひとりになる。

つまり出世とは、人数が減っていく場所へ進むことだ。

それは、孤独になるということでもある。

もちろん、出世には実力もいる。

運もいる。

時代もある。

環境もある。

人との巡り合わせもある。

けれど、それだけではない。

上に行く人間は、多数派の空気に最後まで溶け切らない。

誰かと同じ愚痴を言い、同じ不満を共有し、同じ場所に留まり続けることで得られる安心がある。

その安心は、悪いものではない。

人は誰かと同じ温度でいられると、ほっとする。

だが、その居心地の良さに自分を預けすぎると、人はそこから動けなくなる。

出世とは、その居心地の良さから少しずつ離れていくことでもある。

ただし、ここでいう出世は、肩書きだけの話ではない。

私は、いわゆる真っ当なルートを歩いてきた人間ではない。

中学では不登校だった。

高校では学級委員をやった。

大学には入ったが、通わなかった。

成人式にも出ていない。

初めての就職はコネだった。

転職を繰り返した。

働かない時期もあった。

ニートだったこともある。

やりたいことも、はっきりとは分からなかった。

この頃は工場の片隅で、誰にでもできる仕事をしていた。

だからこそ、私は思う。

誰にでもできる仕事を、誰よりもやること。

それが、何者でもない人間に残された最初の出世なのではないか、と。

出世とは、偉くなることではない。

自分のいる場所で、自分の姿勢を少しだけ他と違わせること。

誰も見ていない不備を直す。

誰も拾わない作業を拾う。

言われていないことでも、必要だと思えば動く。

誰かに評価される前から、自分の判断で選び続ける。

そういう小さな行動が、少しずつ自分の輪郭を作っていく。

もちろん、摩擦は起きる。

人と違うことをすれば、浮く。

頼まれていないことをすれば、煙たがられる。

空気から少し外れた行動をすれば、反発されることもある。

昔の私は、それを敵が現れたのだと思っていた。
けれど今は少し違う。

敵というより、摩擦なのだと思う。

自分の行動が、周囲の空気と触れたときに生じる熱。

その摩擦をすべて相手の悪意にしてしまえば、自分は何も学べない。

かといって、摩擦が怖いからといって動くのをやめてしまえば、自分の道も消えてしまう。

大事なのは、摩擦を見ながら、それでも自分の行動原理を点検し続けることだ。

自分は何のために動いているのか。

誰かを見返したいだけなのか。

本当に必要だと思っているのか。

ただ目立ちたいだけなのか。

それとも、誰かの役に立つと信じているのか。

そこを見失わないこと。

それが、少数派として働くうえで大事なのだと思う。

忘年会で、社長が梅割りを飲みたいと言ったことがある。

その店には梅がなかった。

私は酔っていた。

タバコを買いに行くついでに、コンビニで梅干しを買ってきて、黙って社長に渡した。

普通なら怒られてもおかしくない。

持ち込み禁止だろう。

変なことをするな。

空気を読め。

そう言われても仕方がなかった。

けれど社長は、喜んでくれた。

私は言った。

「いっぱいボーナス貰ったんで、少しお返ししますよ」

評価されることを狙っていたわけではない。

ただ、その場で自分にできることを考えて動いただけだった。

けれど、そういう小さな行動が、誰かの記憶に残ることがある。

出世とは、すごい成果だけで決まるものではない。

その人にしかできないズレ方が、誰かの記憶に残ることもある。

私は何者にもなれなかった。

それでも、語れることはある。

自分の人生を、自分の言葉で語れること。

それもまた、ひとつの出世なのだと思う。

出世とは、肩書きや年収で上に行くことだけではない。

自分の違いを選び続け、最後にその道を自分の言葉で引き受けられるようになること。

何者かになることではなく、何者にもなれなかった自分を、それでも語れるようになること。

それが、私にとっての出世だった。


第九章|結婚、沈黙、制度が拾えない痛み


私は、もともと結婚願望が強い人間ではなかった。

だが、三十歳に近づくころ、親に孫の顔を見せたいと思うようになった。

家庭を持ちたいというより、何かを返したかったのかもしれない。

結婚した。
真面目に働こうとした。
家庭を守ろうとした。
生活を安定させようとした。

当時は、妻に不自由させないことに必死だった。

副業をしたのも、生活を守るためだった。
せどりをしたのも、noteを書き始めたのも、最初は生活を安定させるためだった。

結婚生活がすべて悪かったとは思わない。

楽しかった時間もあった。
支えられたこともあった。
自分なりに守ろうとしたものもあった。

けれど、関係は少しずつずれていった。

子どもを持ちたいという願い。
夫婦として歩幅を合わせたいという願い。
話し合いたいという願い。
未来を一緒に考えたいという願い。

それらは、いつの間にか宙に浮いていた。

私は身体を壊し、これ以上は無理だと思った。
離婚を考えるようになった。

けれど、関係を終わらせることも簡単ではなかった。

暴力は罪になる。

だが、沈黙は裁かれない。

一度でも殴れば、それは明確な加害になる。

しかし、長い時間応答されないこと。

話し合いが成立しないこと。

未来が保留され続けること。

それによって削られるものは、法の言葉では扱いにくい。

制度は、痛みをそのままの形では拾ってくれない。

婚姻費用のように、金銭として扱えるものには制度が動く。

だが、応答されなかった時間の重さは、簡単には扱われない。

私は、別居し、調停を経験し、最終的には解決金を支払って離婚した。

金を払って終わらせた関係だった。

それが正しかったのか、今でも簡単には言えない。

ただ、あの経験によって、私は制度と倫理の違いを考えるようになった。

法律は、すべての人間を救うものではない。

法律は、手続き可能な秩序である。

そこからこぼれる痛みがある。

罪にならない罪がある。

裁かれない沈黙がある。

私は、その痛みを言葉にするしかなかった。


第十章|動けない愛


結婚生活の中で、私はある人から想いを伝えられた。

嬉しかった。

まだ人との関わりを諦めなくていいのだと思えた。

自分にも、誰かから向けられるものが残っているのだと思えた。

けれど、そこから先には進まなかった。

私はまだ婚姻中だった。

自分の家庭の事情に、その人を巻き込んではいけないと思った。

自分の事情を話し、申し出を断った。

それは誠実だったのか。

それとも、傷つくのが怖くて、誠実という名前で逃げただけだったのか。

その問いは、長く残った。

私は、愛が深いほど動けなくなる人間だった。

一人を深く愛すると、世界はその人を中心に回った。

喜びも不安も、その人の表情ひとつで決まった。

それは幸福でもあった。

けれど、あまりにも脆かった。

今度は、誰も傷つけないために、みんなを等しく大切にしようとした。

だが、平等に均した愛は、誰にも届かなかった。

誰かを選べば、別の誰かを選ばないことになる。

誰も傷つけたくないと思うほど、誰にも触れられなくなった。

愛が深いだけでは、人を守れない。

愛には、方向が必要だった。
距離が必要だった。
選択が必要だった。
そして、その愛を行動に変える器が必要だった。

後になって、私は知る。

自分が待っていたのは、その人ではなく結末だったのだと。

自分の誠実さは間違っていなかったのか。
自分は誰かの人生を止めてしまったのか。
自分は傷つけたのか。
それとも壊してはいなかったのか。

やがて、その人が別の人生を進めていたことを知った。

痛かった。
けれど、救いでもあった。

自分は選ばれなかった。
けれど、壊してはいなかった。

それは大きな答えだった。

そして、その人へ向かっていた力は、自分の中へ戻ってきた。

戻ってきた力を、誰かに背負わせてはいけない。
寂しさを別の誰かに背負わせてはいけない。
回復を、他者の役割にしてはいけない。

戻ってきた力は、自分の人生へ返していくべきものだ。

仕事へ。
身体へ。
生活へ。
文章へ。
哲学へ。
創作へ。
静かな日常へ。

愛は人を変えることがある。
けれど、愛は人を変える権利にはならない。

それを、私は少しずつ学んでいった。


第十一章|壊れた心の再構築


私は、自分の心をギャングにバラバラにされた男のように感じたことがある。

ロボコップのように、撃てなかった。
言えなかった。
動けなかった。

弱かったのかもしれない。
けれど、それだけではない。

私の中には、愛という低レイヤーの命令があった。
傷つけるな。
守れ。
壊すな。
撃つな。
言うな。
待て。

それは優しさでもあり、呪いでもあった。

愛がなければ、もっと言えたかもしれない。
愛がなければ、もっと切れたかもしれない。
愛がなければ、もっと早く動けたかもしれない。

だが、私は動けなかった。

動けなかった私は、壊れた。

けれど、完全には消えなかった。

バラバラになった部品が、まだ残っていた。
怒り。
悲しみ。
恥。
後悔。
愛。
言えなかった言葉。
選べなかった選択。
守りたかったもの。

それらは、私の中にまだ残っていた。

noteを書くことは、その部品を拾い直す作業だったのだと思う。

一文字一文字が、自分の破片だった。
書くことは救済ではなかった。
癒しでもなかった。
ただ、自分の中に残っていたものを、もう一度組み直す作業だった。

再構築とは、元に戻ることではない。

壊れたことを覚えたまま、別の形に立ち上がることである。

私は、書きながら自分を組み直していた。


第十二章|これが人間だ


ある夜、私はキッチンに立っていた。

炊飯器に話しかけた。

君の時間は、いつから止まっている。

釜にこびりついた米粒。
シンクに積まれた洗い物。
床のペットボトル。
空き缶。
半額シールの貼られた食材。
暗いスマホ。
タバコの小さな灯り。

生活は、崩れていた。

それは比喩ではなかった。
ただ、部屋が散らかっていた。
洗い物が残っていた。
食べるものが雑になっていた。
人間らしさが少しずつほどけていた。

けれど、その風景の中に、私は人間を見た。

人間とは、矛盾を綺麗に解決する存在ではない。
壊れながら、散らかしながら、それでも皿に手を伸ばす存在である。

私は、地蔵のことを考えた。

地蔵は、地獄に残る。
救われない者のそばにいる。
無理に引き上げるのではなく、そこにいる。

私もまた、自分の生活の地獄にいた。

だが、そこから派手に救われることはなかった。

ただ、シンクの前に立った。
皿に触れた。
水を流した。
こびりついた汚れが、少しずつほどけていった。

私は生活を取り戻したわけではない。
救われたわけでもない。

ただ、見ないふりをしていたものに、もう一度触れただけだった。

それは赦しではなかった。

再会だった。

これが人間だ。


第十三章|倫理の声


若いころ、私は法に触れる直前まで行ったことがある。

怒りに任せて、ある物を壊そうとしていた。

何に怒っていたのか、誰に怒っていたのかは、もう覚えていない。

ただ、内側に溜まった何かを、目の前の対象へぶつけようとしていた。

そのとき、老人が声をかけてきた。

「それは人の持ち物なんじゃないのか?」

その一言で、私は止まった。

内部に、外部が侵入してきた。

その瞬間、目の前の物は、怒りの受け皿ではなくなった。

誰かの所有物になった。

誰かの世界に属するものになった。

私は、自分の行為を、他者の眼で見た。

倫理とは、法に裁かれる前に、自分の行為の中に他者を発見することなのかもしれない。

私は謝った。

老人は、私がただの危険な人間ではないと感じたのだろう。

すでに警察を呼んでいたが、逃げなさいと言った。

私は逃げた。

法から逃げたのだと思っていた。
けれど今になって思う。
私は、倫理という出来事の続きを生きる責任からも逃げたのかもしれない。

だが、その問いは残った。

人は、どの瞬間に他者を持つのか。
法と倫理は、いつすれ違い、いつ重なるのか。
声とは何なのか。

その問いは、後にカルマの問いにもつながった。

カルマとは、罰ではない。

過去が、まだ倫理に変わりきっていない状態である。

後悔は節度に変わる。
罪悪感は礼儀に変わる。
失敗は態度に変わる。
誰かを軽く扱った記憶は、誰かを軽く扱わない慎重さに変わる。

かつて当たり前として踏み越えた愛が、長い時間をかけて、自分の節度として戻ってくる。

それが、カルマの正体なのだと思う。


第十四章|見えてしまった人生


ある程度の年齢になると、人生の射程が見えてくる。

どこまで出世できそうか。
年収はいくらくらいか。
親は何歳か。
身体はどこまで持つか。
転職市場での自分の値段は、いつまで保たれるか。

若いころ、未来は開かれた空間だった。

もっと上に行けるかもしれない。
努力すれば報われるかもしれない。
何者にでもなれるかもしれない。

人は、十代の頃に手に入らなかったものを、その後の人生で追い続けることがあるという。

私の場合、それは自由と知識だったのだと思う。

自由とは、誰にも縛られないことではなく、自分の人生を自分の言葉で選び直せることだった。

知識とは、立派になるための飾りではなく、分からないまま世界に支配されないための道具だった。

だが、年齢を重ねると、未来は少しずつ数値を帯び始める。

年収。
役職。
生活費。
健康診断の数値。
親の年齢。
通勤時間。
残業時間。
退職金。
年金。

人生が、表計算ソフトのような顔をし始める。

ここで人は悩む。

続けるのか。
辞めるのか。
異動するのか。
役職を降りるのか。
仕事の外に居場所を作るのか。

これは単なる仕事の悩みではない。

見えてしまった人生を、どう引き受けるかという問いである。

納得とは、満足ではない。

不満が残っているにもかかわらず、それでも自分の立つ場所として承認すること。

納得できなさを抱えたまま、生活が壊れないように配置を整えること。

それが納得なのだと思う。

人は仕事の外に逃げているのではない。

筋トレをする。
珈琲を淹れる。
サウナに行く。
山に登る。
料理をする。
皿を選ぶ。
文章を書く。

それらは、仕事で発生した熱を、生活全体へ分散させているのだ。

趣味とは、遊びではない。

役割で発生した熱の調律である。

そして喪失とは、力の回収である。

失ったものへ向かっていた力は、消えない。
それは自分の中へ戻ってくる。

愛が戻る。
怒りが戻る。
責任が戻る。
問い続ける力が戻る。

その力を、どこへ置くのか。

怒りへ置けば破壊になる。
未練へ置けば停滞になる。
誰かへ流せば依存になる。
言葉へ置けば思想になる。
創作へ置けば作品になる。
生活へ置けば美学になる。

自由とは、何でも選べることではない。

選べなかったものから戻ってきた力を、どこへ配置するか。

その再配置権こそが、自由なのだと思う。

見えてしまった人生を引き受けること。

それは、落ち着いた言葉に見える。

けれど実際には、もっと生々しい。

生活が変わる。

仕事が変わる。

住む場所が変わる。

収入が変わる。

人間関係が変わる。

身体の疲れ方が変わる。

すると、人は思想よりも生存に寄る。

深く考えるよりも、まず起きる。

出勤する。

食べる。

寝る。

覚える。

間に合わせる。

生き延びる。

その時間の中で、私は思った。

人間は、意味だけで生きているのではない。

むしろ、意味を考えられるのは、生存がある程度保たれているときなのかもしれない。

生活が揺れると、人は哲学者ではいられなくなる。

けれど、そのときに見えるものもある。

自分が何を守ろうとしているのか。

何を捨てられないのか。

何にしがみついているのか。

何があるから、まだ生きようとしているのか。

そこから、私の中で「生き残る」という問いが立ち上がってきた。


第十五章|生存に全振りするという反逆


私は、英雄になりたいとは思わない。

もし日本が戦争に巻き込まれ、戦場に立つことがあったとしても、死にたいわけではない。

もちろん、愛国心がないわけではない。

守りたいものがないわけでもない。

慣れ親しんだ街を壊されたら、怒るだろう。

大切な人が傷つけられたら、許せないと思うだろう。

それでも、私は英雄になりたいわけではない。

死んだ英雄より、生き残った無名の方が合理的ではないか。

そう考える自分がいる。

この言葉には、どこか嫌な響きがある。

生き残ることは、論理的には正しい。

だが感情的には、どこか卑怯に見える。

それでも前に出ろ。

それでも命を賭けろ。

それでも名誉を選べ。

そう言われ続けてきた社会の空気と、生存の合理性がぶつかるからだ。

人は、死よりも先に社会的な死を恐れることがある。

逃げた者として見られること。

臆病者として記憶されること。

仲間の視線から外れること。

帰る場所を失うこと。

戦争が恐ろしいのは、身体が壊れるからだけではない。

仲間を失う恐怖。

自分の意味を失う恐怖。

人の目の中で死ぬ恐怖。

それらが同時に襲ってくるからだ。

名誉や勲章は、人の視線を制度化した装置でもある。

それ自体がすべて悪だと言いたいわけではない。

誰かの勇気を称えることには意味がある。

命を賭けた人に礼を尽くすことも必要だ。

けれど、名誉はときに、人を死へ向かわせる。

人は金よりも、評価のために死ぬことがある。

だからこそ、私は思う。

生き残ることは、逃げではない。

物語に殉じないという、静かな反抗である。

派手な死より、地味な生を選ぶ。

そこには、英雄譚にはならない勇気がある。

死ぬ度胸はない。

けれど、生きる勇気ならある。

その勇気は、勲章にはならないかもしれない。

誰かに称えられることもないかもしれない。

臆病だと言われるかもしれない。

それでも、生きて帰ることには意味がある。

文化を残す者がいる。

次世代へ渡す者がいる。

語る者がいる。

弔う者がいる。

瓦礫の中から生活を組み直す者がいる。

死んだ者を英雄にするだけでは、世界は続かない。

生き残った無名の人間が、食べ、働き、片づけ、弔い、語り、次の朝を迎えることで、世界は続く。

生存に全振りするというのは、臆病ではない。

それは、他人の物語に自分の判断を明け渡さないという反逆である。


第十六章|死にたいわけではなく、現実を見失うことがある


人は、いつも「死にたい」と考えて死の方へ向かうわけではない。

そう思うようになった。

以前、電車に飛び込もうとしていたところを止められた人の話を聞いたことがある。

その人は、死のうとは考えていなかったらしい。

ただ、吸い込まれるように線路の方へ向かっていた。

引き止められて初めて、自分は何をしていたのだと思ったという。

この話を聞いたとき、私は怖くなった。

そこには、明確な死の意思がない。

外側から見れば、自殺しようとしているように見える。
けれど内側では、死にたいわけではない。
ただ、現実の一部が意識から抜け落ちている。

線路は危ない。
そこへ入ってはいけない。
電車が来るかもしれない。

そういう当たり前の現実が、その瞬間だけ立ち上がっていない。

私にも、似た経験がある。

自宅から徒歩三十秒のコンビニへ向かっていた。

死ぬつもりなどなかった。
ただ、考え事をしていた。
何かが頭の中を占領していた。

気づいたら、赤信号を渡っていた。

赤信号だった。

けれど、その瞬間の私の中には、「赤信号だから止まる」という認識がなかった。

信号が見えていなかったというより、そこに信号があるという世界設定そのものを忘れていた。

普段なら、赤信号で止まることなど考えるまでもない。

赤なら止まる。
車道には飛び出さない。
線路には入らない。
高い場所では身を乗り出さない。

そういうものは、毎回考えて守っているわけではない。

身体化された現実として、普段は勝手に働いている。

けれど、その層が一瞬抜けることがある。

不安。
怒り。
後悔。
焦り。
絶望。
あるいは、ただ深すぎる考え事。

何かが意識を奪ったとき、人は目の前の現実を見落とす。

死にたいのではない。

止まるための現実が、意識に届いていない。

だから必要なのは、長い説得だけではないのかもしれない。

声をかける人。
腕を引く人。
立ち止まらせる音。
一歩進む前に遮る距離。
意識が戻るまでの数秒。

人間は、長い言葉で救われることもある。

けれど、数秒で助かることもある。

その数秒は、人生を変える時間ではない。
思想を変える時間でもない。
ただ、現実に戻るための時間である。

自分は今どこにいるのか。
何をしようとしていたのか。
なぜここに立っているのか。

その問いが戻ってくるまでの時間。

生きるとは、強い意思で死を拒み続けることではないのかもしれない。

何度も現実へ戻り直すことなのだと思う。

考えすぎたら戻る。
疲れすぎたら止まる。
怒りすぎたら距離を取る。
絶望しすぎたら、まず座る。

足元を見る。
息をする。
水を飲む。
誰かの声を聞く。
信号を見る。
白線を見る。
柵を見る。

そういう小さな動作が、人を現実につなぎ直す。

死ぬな、だけでは足りないことがある。

戻ってこい。
今ここに戻ってこい。

そういう呼びかけが必要なときがある。

命を守るとは、いつも壮大な救済ではない。

ただ、意識が現実に戻るまでの数秒をつくること。

その数秒がなければ、人は死にたいわけでもないのに、死の方へ歩いてしまうことがある。

だから私は、生きることを、強い思想ではなく、現実へ戻り続ける技術として考えるようになった。


第十七章|死に場所としての腕


夢の中で、昔飼っていた猫が出てきた。

猫は、私のところへ近づいてきた。

そして言った。

「間に合ってよかった。うまく死ねるかな」

私は怖くなかった。

猫が人の言葉を話すことも、死を口にすることも、不思議ではあったが、恐怖ではなかった。

ただ、そうか、この猫は死に場所を探して来たのだと思った。

私は言った。

「俺の腕の中で死ね」

それは、死ぬな、ではなかった。
助けてやる、でもなかった。

ここで終われ、という言葉だった。

その夢について考えているうちに、ひとつの問いが残った。

人は、うまく死ねるのだろうか。

そしてもうひとつ気づいた。

人は、自分の腕の中では死ねない。

自分を慰めることはできる。
自分を励ますこともできる。
自分の孤独をある程度までは引き受けることもできる。

けれど、自分の死を自分で看取ることはできない。

死は自分のものでありながら、最後には他者へ渡る。

制度は身体を回収できる。

医者が確認する。
警察が来ることもある。
葬儀屋が運ぶ。
役場が記録する。

それは必要なことだ。

社会は死者を完全には見捨てない。

けれど、制度は身体を回収できても、存在を受け取ることはできない。

制度は死を処理する。

腕は死を孤独にしない。

制度は名前を記録する。

腕は、お前と呼ぶ。

制度は身体を運ぶ。

腕は、崩れた姿を抱く。

腕とは、死を止める場所ではない。

死を孤独にしないための最小の器である。

私は、そういう腕を持てる人間でありたいと思った。

誰かを救えるなどとは思わない。

死を止められるとも思わない。

けれど、終わる命のそばに、世界が完全には見捨てていないという温度を残すこと。

それくらいなら、人間にもできるのかもしれない。


第十八章|弔いとしての越境


禁忌は、ただの禁止ではない。

やってはいけないこと。
考えてはいけないこと。
触れてはいけないこと。

そう言ってしまえば簡単だが、禁忌の本質はもっと深いところにある。

禁忌とは、共同体の信が壊れる地点に置かれる境界である。

人間を食べてはならない。
人間を殺してはならない。
死者を冒涜してはならない。
子どもを対象化してはならない。
人間を製品として作ってはならない。

これらは、単に気味が悪いから禁じられているのではない。

それを許してしまうと、人間が人間をどう見るか、共同体が人間をどう扱うか、その根本の信が壊れてしまうからである。

人間は肉体である。

しかし、肉として扱ってはならない。

人間は死ぬ。

しかし、死んだあとにただの物として扱ってはならない。

人間は情報を残す。

しかし、その情報を使って、死者を生者の都合で動かし続けてよいわけではない。

この線を守るために、禁忌はある。

だが、禁忌はいつも単純ではない。

触れてはならないものに、触れなければならない瞬間がある。

死者に近づきたいとき。
会えなかった人を思うとき。
失われた光景を、一枚だけでも見たいと願うとき。

そこには、禁忌に触れているのに、禁忌が守っているものを壊していない行為がある。

それを私は、弔いとしての越境と呼びたい。

死者のデータは、ただの情報ではない。

本人そのものではない。
しかし、本人と無関係でもない。

写真。
声。
文章。
動画。
LINEの履歴。
SNSの投稿。
クラウドに残ったデータ。

それらは、物でありながら、人の輪郭を持っている。

情報でありながら、弔いの対象になる。

記録でありながら、再演の素材にもなってしまう。

ここに、現代の不気味さがある。

死者の声を合成して喋らせる。
死者の人格をAIで再現する。
死者の文体で新しい発言を作る。
死者の名前を使って誰かを動かす。

そこから先は、弔いではなく、死者の再利用になる危険がある。

死者は拒否できない。
訂正できない。
沈黙を選べない。
自分の像が変形されても、抗議できない。

だからこそ、礼節がいる。

しかし、すべての越境が同じではない。

亡くなった人と、その人が会えなかった誰か。
本来なら同じ時間に立てなかった二人を、一枚の画像の中でだけ会わせる。

そこには、たしかに禁忌への接触がある。

現実には存在しなかった光景を作っている。
厳密には虚構である。

けれど、その虚構は人を騙すためのものではない。
死者を商品にするためでもない。
死者に勝手な言葉を喋らせるためでもない。

ただ、会わせたかった。
抱かせたかった。
見せたかった。
一枚でいいから、そういう光景が欲しかった。

その悲しみに、器を与えるための虚構である。

禁忌に触れてはいる。

でも、禁忌が守っているものを壊していない。

むしろ、死者の尊厳、家族の記憶、会えなかった者への思い、失われた時間への礼節を、別の形で守ろうとしている。

弔いとしての越境とは、失われた対象を、利用、再稼働、所有するためではなく、その不在を抱えるために、禁忌の輪郭へ礼節をもって近づく行為である。

越境ではある。

だが、侵入ではない。

接近ではある。

だが、所有ではない。

虚構ではある。

だが、欺瞞ではない。

弔いとは、不在を消すことではない。

不在の前で、どう立つかを学ぶことである。

死者は戻らない。

その事実は変わらない。

しかし、戻らないからこそ、人間は弔う。

触れられないからこそ、花を置く。

会えなかったからこそ、一枚の虚構に祈りを込める。

弔いとしての越境とは、死者をこちら側へ連れ戻すことではない。

戻らないものの前に、礼節をもって一歩近づくことである。


第十九章|未来へ渡すもの


死者へ近づくことを考えたあとで、私は未来のことを考えるようになった。

死者は戻らない。

戻らないものに、どう礼を尽くすか。
戻らないものの前で、どう立つか。
不在を消さずに、どう抱えるか。

その問いは、やがて反対側へ開いていく。

これから生きていく者に、何を渡せるのか。

死者を連れ戻すことはできない。

けれど、死者から戻ってきた力を、未来へ渡し直すことはできる。

祖父から受け取った愛。
妹の喪失から戻ってきた守りたい力。
猫の夢で知った、死を孤独にしない腕。
禁忌の前で学んだ、不在への礼節。

それらはすべて、未来へ向かう力にもなる。

そのことを、私は甥を抱いたときに、身体で理解した。

それまで私は、自分に子どもを持てるのか、自分の中に本当に愛があるのか、不安に思うことがあった。

けれど、甥を抱いたとき、その不安は少し消えた。

愛は、頭で証明するものではなかった。
腕の中に重さとして来るものだった。

妹を失った。

その痛みは、いつも分かりやすい悲しみとして出ていたわけではない。

けれど、無自覚な痛みほど、別の形で残ることがある。

若い存在を雑に扱えない。
未熟な相手をすぐ責められない。
危なっかしい人を見ると、放っておけない。

それは、妹へ向かっていた守りたい力が、別の場所へ再配置されたものなのかもしれない。

守りたい気持ちは美しい。
しかし、助け続けることは依存を作ることもある。

だから必要なのは、助け続けることではない。
相手が自分で渡れる橋を残すことである。

甥を抱いたとき、胸の奥がふわりと泡立った。

甥は私の子ではない。
けれど、血がつながっている。

抱いたとき、自分の命が自分一人で完結していないことを身体で理解した。

この子が自分を覚えていなくてもいい。
自分の言葉を忘れてもいい。

けれど、この子が生きていくことそれ自体が、自分の魂の何かが世界に残った証になる気がした。

終わる命を受け取る腕がある。

始まっていく命へ未来を渡す腕もある。

私は世界を救えない。

それは分かっている。

一人の人間が、世界の絶望を消し去ることなどできない。

けれど、世界を見捨てる理由にもしたくない。

甥がいつか絶望したとき、この世界には絶望以外の読み方もあると思えるように。

痛みは悪者を作るだけでは終わらない。

喪失は力の回収でもある。

自由は、戻ってきた力の再配置でもある。

関係は、所有ではなく調停でもある。

近づきすぎず、離れすぎず、その関係が壊れない距離で残る愛もある。

親とも、年に数回だから穏やかに会える関係がある。

そういう言葉を、少しでも残しておきたい。

世界を救うのではない。

絶望が無抵抗で支配しないように、少しだけ争う。

そのために私は書く。


第二十章|谷博貴の現在とこれから


では、今の私はどこにいるのか。

私は、成功者になったわけではない。

世間的に見れば、四十歳の中年派遣社員である。

子どもはいない。
車もない。
時計もない。
彼女もいない。
金持ちでもない。

誰かに見せびらかせるような社会的な記号は、ほとんど持っていない。

死別があった。
離婚があった。
解雇があった。
失ったものも、壊れたものもある。

だが、それでも私は、それなりに幸福である。

これは強がりではない。

すべてに満足しているという意味でもない。

ただ、私は今、自分の人生を少しずつ自分の手元へ戻しているのだと思う。

貯金は少しずつ増えてきた。

仕事も少しずつ上達している手応えがある。

本格的にnoteに記事を書き始めて、一年と三ヶ月ほどが経つ。

書いた記事は千三百九十五本を超えた。

下書きには、四百六十本を超える記事がある。

フォロワーさんの人数も千人を超えた。

稼いだ金額は、チップとしていただいた百ポイントだけである。

それで生活が変わるわけではない。

記事を書いている時間を、別の稼ぐ手段に使っていれば、もっと金銭的には得をしていたのかもしれない。

資格の一つでも取っていれば、人生の選択肢は増えていたのかもしれない。

それでも、私は書いている。

なぜなら、私にとって書くことは、過去を飾ることではなく、過去を回収することだからだ。

止まっていた時間を、ただの空白として終わらせないため。

壊れた生活を、ただの失敗として終わらせないため。

愛されていたことに遅れて気づいた痛みを、ただの後悔で終わらせないため。

失った人や、届かなかった愛や、守れなかったものから戻ってきた力を、怒りや支配ではなく、言葉へ置き直すため。

私は書いている。

今の私に残っている生きる責任は、多くない。

親に迷惑をかけないこと。

甥の成長を見届けること。

それくらいしか残っていないのかもしれない。

けれど、この二つは、最後まで捨てることができない。

親との関係は、決して単純ではなかった。

母との距離には、今でも整理しきれないものがある。

それでも、私はもう、親をただ責めるだけの場所にはいない。

受け取れなかったものがある。

けれど、受け取っていたものもある。

傷ついた記憶がある。

けれど、助けられた記憶もある。

その両方を持ったまま、私は今の距離で親と関わっている。

甥についても同じである。

私は世界を救えない。

誰かの人生を背負い切ることもできない。

けれど、甥がこの先の人生で、もし絶望に触れる日が来たとき、この世界には絶望以外の読み方もあるのだと、どこかで感じられるような言葉を残しておきたい。

それは説教ではない。

支配でもない。

未来の誰かが、必要になったときに拾えるように、言葉を置いておくこと。

それくらいでいい。

私は今、若い人たちと一緒に働いている。

正直、身体はしんどい。

十年前と比べれば、自分でも鈍臭くなったと思う。

昔ならもっと動けた。

もっと早く反応できた。

もっと無理もきいた。

自分はもう終わりかけなのかもしれない。

けれど、まだ終わってはいない。

その狭間にいる。

だから苦しい。

けれど、その苦しさの中に、少しのやりがいもある。

勝ち負けで言えば、若い人たちに負けてもいい。

同じ速度で走れなくてもいい。

それでも、置いていかれないように頑張ることはできる。

仕事が終われば、身体は疲れている。

それでも、今日もなんとかやれたと思える。

まだこの場所で、自分は機能していると思える。

それは、それなりに幸福なことなのだと思う。

私は、これから何者かになりたいのだろうか。

昔なら、そう考えたかもしれない。

もっと立派な人間になりたい。

もっと成功したい。

もっと認められたい。

誰かにすごいと言われたい。

そういう気持ちがなかったわけではない。

だが今は、少し違う。

私は、何者かになりたいというより、語ったことを生きられる人間でありたい。

関係とは所有ではなく調停である。

そう書いたなら、自分自身の関係も調停しなければならない。

喪失とは力の回収である。

そう書いたなら、失ったものから戻ってきた力を、怒りや未練だけに置いてはいけない。

自由とは再配置権である。

そう書いたなら、選べなかったものから戻ってきた力を、どこへ置くのかを自分で選ばなければならない。

やりがいとは、苦労している自分を少し誇らしく感じられる接続である。

そう書いたなら、自分を削り続けることを美談にしてはいけない。

人を笑顔にしたいなら、まず自分自身が笑っていなければならない。

これは義務ではない。

継続性の問題である。

自分自身が笑っていないのに、他の人の笑顔を守れるはずがない。

それは優しさではなく、ただの自己犠牲に過ぎない。

もちろん、笑えない日もある。

書けない日もある。

何もかも嫌になる日もある。

それでも、それでいいと思っている。

ずっと笑い続けることが大切なのではない。

また笑える場所まで、自分を連れていくことが大切なのだと思う。

諦めることは、いつでもできる。

けれど、いつでもできることには、あまり興味がない。

だから私は、もう少し続けてみたい。

仕事を続ける。

身体を整える。

生活を壊さない。

親に迷惑をかけない。

甥の成長を見届ける。

書けるうちは書く。

考えられるうちは考える。

届くかどうか分からない言葉を、それでも置いておく。

私は、世界を救えるとは思っていない。

けれど、世界を見捨てる理由にもしたくない。

私の文章で誰かの人生が変わるとは思っていない。

けれど、誰かが苦しいときに、少しだけ呼吸できる言葉になることはあるかもしれない。

その可能性を、完全には捨てたくない。

これからの私は、大きな成功を目指すというより、継続の精度を上げていくのだと思う。

生活の精度。

仕事の精度。

身体の精度。

言葉の精度。

距離の精度。

愛の精度。

守るべきものを守り、手放すべきものを手放し、戻ってきた力を、できるだけ壊さない場所へ置いていく。

それが、これからの私の生き方なのだと思う。

私は、うまく生きてきた人間ではない。

だが、うまく生きられなかった時間を、ただの失敗として終わらせるつもりもない。

止まっていた時間にも哲学はある。

動けなかった愛にも問いはある。

壊れた生活にも人間はいる。

届かなかった言葉にも、遅れて届く意味がある。

だから私は、これからも書く。

成功者としてではない。

救済者としてでもない。

正解を持つ者としてでもない。

ただ、自分の人生を最後まで見届けようとしている一人の人間として。

そして、見届けたものを、少しずつ言葉へ変えていく者として。

谷博貴は、まだ終わっていない。

終わっていないから、書いている。

終わっていないから、働いている。

終わっていないから、笑おうとしている。

終わっていないから、未来へ何かを渡そうとしている。

これが、今の私である。

そして、これからの私である。


終章|止まっていた時間にも哲学はある


関係とは、所有ではなく調停である。

誰かを愛することは、その人を所有することではない。

誰かを守ることは、その人を自分の手元に置くことではない。

誰かを教えることは、自分なしでは立てないようにすることではない。

誰かの死を受け取ることは、その人の人生を奪うことではない。

誰かの未来を願うことは、その人の未来を支配することではない。

調停とは、近づきすぎず、離れすぎず、必要な距離で関わること。

介入すべきときには介入する。
沈黙すべきときには沈黙する。
責任を返すべきときには返す。
抱えるべき力は抱える。
戻ってきた力を、怒りや支配ではなく、言葉や生活や優しさや祈りへ渡し直す。

私は、世界を救えるとは思っていない。

けれど、それを理由に世界を見捨てたくもない。

祖父から受け取った愛がある。

止まっていた時間がある。

動いていた頃の小さな成功がある。

工場の片隅で考えた出世がある。

結婚と制度が拾えなかった痛みがある。

動けなかった愛がある。

壊れた生活がある。

法に触れる直前で、倫理の声に止められた記憶がある。

見えてしまった人生がある。

生存に全振りしようとする反逆がある。

現実へ戻るための数秒がある。

死を孤独にしない腕がある。

禁忌の前に立つ弔いがある。

妹の喪失から戻ってきた力がある。

甥の未来へ渡したい言葉がある。

私は、うまく生きてきた人間ではない。

だが、うまく生きられなかった時間を、なかったことにはしない。

止まっていた時間にも哲学はある。

そして人は、自分の壊れた時間を、言葉によってもう一度生き直すことができる。

語ってしまった以上、語りを生きなければならない。

それが、私にとっての責任であり、自由であり、生まれてきた理由なのだと思う。

私は今日も、世界との関係を調停しながら生きている。

守りたい笑顔があるから。

その笑顔が、今ここに見えなくても。

未来のどこかで、誰かが少しだけ呼吸できるなら。

それでいい。

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