身につける物は 未来の自分を先に住まわせる
人は 何を身につけるかで変わる
服を変えると 姿勢が変わる
靴を変えると 歩き方が変わる
髪を整えると その日の顔つきまで少し変わる
こういう話は よくある感覚論として流されがちだ
だが 本当はもっと深い
なぜなら ここで起きているのは 単なる気分転換ではないからだ
身につける物は 自分を飾っているようでいて
実際には 自分の動き方や振る舞い方を 静かに編集している
つまり 人は物を使っているだけではない
同時に 物によって少しずつ作られている
人は 今の自分だけを着ているわけではない
ここで大事なのは 身につける物が現在の自分の反映にとどまらないということだ
むしろ多くの場合 そこに表れているのは
今の自分そのものではなく
まだ十分にはなれていない自己像のほうだと思う
少し良い靴を履く
静かな服を選ぶ
整った鞄を持つ
それは すでに完成した自分の証明ではない
これからそうありたいという願いの 先行配置だ
言い換えるなら
人は身につける物によって 自分を飾るのではなく
欲しい自己像を 先に身体へ住まわせている
だから 身につける物は 虚栄にもなりうるが
同時に 未来の自分の足場にもなりうる
最初は 物に使われている
少し良い物を持つと 人はそれに見合う振る舞いをしようとする
汚したくない
傷つけたくない
雑に扱いたくない
似合わない動きをしたくない
この段階では たしかに物に使われていると言える
だが ここで終わらない
その丁寧さが反復されると
最初は外から課されていた緊張が
次第に身体の側へ沈んでいく
最初は 靴に歩かされていた
最初は 服に姿勢を正されていた
最初は 物の格に自分が合わせていた
しかし それが続くと ある地点で逆転が起こる
もうその物がなくても
同じような歩き方をする
同じような手つきで物を置く
同じような姿勢で場にいる
そのとき 物に使われていた動作は
その人自身の所作へ変わる
他律として始まった丁寧さが
やがて 自律へ変わるわけだ
靴は 身体の文法を作る
身につける物の中でも 特に強く自己躾として作用するのは 靴だと思う
理由は単純で 誤魔化しがききにくいからだ
立ち方
歩き方
重心
疲労
速度
接地の感覚
これらはすべて 足元から身体へ返ってくる
合わない靴は すぐに身体を乱す
丁寧に履く靴は ちゃんと歩けと要求してくる
雑に扱えば その雑さが歩行に現れる
つまり 靴は 美学以前に 身体の基礎フォームを躾ける
足元が整うと 歩くことそのものが少し整う
歩くことが整うと 一日の速度が変わる
一日の速度が変わると 振る舞い全体の雑さが減っていく
だから 靴は 身体の文法を作る道具だと言える
服は 社会の中での文体を作る
一方で 服が躾けるのは どう歩くかだけではない
どう在るかだ
この服なら 猫背ではいたくない
この服なら 雑に座りたくない
この服なら 声の大きさも少し変わる
服は 姿勢だけでなく 場との距離感を変える
つまり 服は 社会の中で身体をどう使うかを整える
靴が身体の文法を作るのだとしたら
服は 社会の文体を作る
同じ人間でも 何を着ているかで
待ち方が変わり
座り方が変わり
沈黙の置き方まで変わることがある
ここに服の面白さがある
服は 自分らしさを表現する前に
自分の振る舞いの形式を先に与えている
自分で買ったものと 与えられた環境は 身につく場所が違う
さらに興味深いのは
同じ自己躾でも どこからそれを得たかで 定着の仕方が違うことだ
自分で稼いだ金で買った物には
自分の時間
労力
判断
我慢
優先順位
が染み込んでいる
だから それは単なる持ち物ではなく
自分で引き受けた理想になりやすい
この場合 その物は所作に入りやすい
丁寧に歩く
丁寧に置く
丁寧に扱う
その反復の中で 自分の動きが少しずつ変わっていく
一方で 与えられた環境は別の仕方で作用する
整った食卓
乱れにくい生活
最低限の身だしなみが共有された空気
物を雑に扱わない前提
こうしたものは 努力して獲得したというより
最初からそこにある普通として身体へ入る
だから それは所作というより 自然体に馴染む
自分で購入した自己像は 所作として身につき
与えられた環境は 自然として馴染む
この違いはとても大きい
前者は 意識を通って形になり
後者は 無意識を通って土台になる
高価さが人を育てるのではない
ここで誤解してほしくないのは
高い物を持てばそれでよいという話ではないことだ
人を育てるのは 値札ではない
反復されること
身体に返ってくること
崩れたときに自分で気づけること
この三つがあると 物は自己躾になりうる
高価な物は たしかに入口として強い
壊したくないからだ
雑に扱いたくないからだ
だが 本当に大切なのは そこから先にある
恐れから始まった丁寧さが
やがて 当たり前の振る舞いへ変わること
その転換が起きなければ
物はただの緊張で終わる
転換が起きれば
物はその人の型を作る環境になる
身につける物は 自己を映す鏡であると同時に 自己を作る型でもある
人はつい
服は好み
靴は道具
髪型は見た目
と切り分けて考えがちだ
だが本当は そこまで単純ではない
身につける物は
自分の欠如を映していることもある
自分が欲しい未来を先取りしていることもある
その未来の姿に 少しずつ身体を慣らしていくこともある
だから それらは鏡であると同時に 型でもある
いま足りないものを見せる
まだなっていない自分を先に見せる
そして その形へ身体を寄せていく
この三段階があるから
身につける物は ただの飾りでは終わらない
まとめ
身につける物は 自己躾になりうる
ただし それは
見栄を張るために選ばれたときではなく
自分の雑さを減らすために選ばれたときだ
最初は 物に使われる
だが その反復が身体に沈むと
やがて その丁寧さは自分の所作になる
そして さらに言えば
人は今の自分を着ているだけではない
欲しい自己像を 先に身体へ住まわせ
その姿に見合うように 少しずつ動きを変えていく
たぶん 自己躾とは
意志だけで自分を律することではない
崩れにくい振る舞いが出やすい環境を
静かに自分へ着せることだ
靴を選ぶこと
服を選ぶこと
髪を整えること
それらは贅沢や装飾の問題である前に
未来の自分を どこに住まわせるかという問題なのだと思う
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