成績トップの「先生」と、炎を消した「T君」の話
小学校の理科室。あの特有の薬品の匂いと、気だるい午後の空気は、一瞬にして恐怖へと変わった。クラスの女の子が誤ってアルコールランプを倒したのだ。青白い炎が、またたく間に木製の机一面に広がっていく。
悲鳴が上がるなか、迷わず動いたのはT君だった。彼は自分の上着をバサリと脱ぎ捨てると、激しい勢いで炎に被せ、またたく間に消し止めてしまったのだ。
T君の成績は、いつもクラスの最下位の方だった。けれど彼の夢は「学校の先生」だった。
大人になって思う。私たちが本当に「先生」になってほしかった友人たちは、軒並み教壇に立っていない。
一方で、成績が優秀だった別の友人は、偏差値の高い大学からストレートで教員採用試験に合格し、一年目から「先生」と呼ばれている。確かにあの世代の採用試験は狭き門で、学力が最優先されたのは事実だ。
しかし最近、ニュースを見て言葉を失った。辺野古での事故の際、引率の教員たちが現場ではなくテントの下にいたというのだ。嘘だと言ってほしい。
イヤ多分ウソだ
本当だとしたらたとえポーズであっても、まずはテントの外で生徒の安否を確認するのが、人としての「常識」ではないだろうか。緊迫した局面で、生徒を置いて自分たちの保身に回るような人間が、今「先生」と呼ばれている。
知識を詰め込むだけの試験で人を選び続けた結果、教育現場は何か大切なものを失ってしまったのではないか。あの日、躊躇なく上着を投げ出したT君のような本物の強さを持つ人こそ、教室にいてほしかった。
今の教育制度は、どこか決定的に間違っている気がしてならない。
