短編物語「悪魔の挽き臼」
今となっては、昔の話。ヨーロッパのイギリスと
いう国で、一人の経済学者が王様に拝謁していた。産業革命たけなわのイギリスでは、工業製品の
生産力が飛躍的に伸び、国や資本家や地主たちの
富が増大する一方だった。
経済学者は具申した。
「王様。国富が満ちあふれていくのは結構なことでございますが、一方で労働者階級は工場での長時間労働と低賃金に苦しめられ、炭鉱では幼い子ども
たちが石炭の採掘に駆りだされ、学校へも通えない状況に陥っております。これを何とかしていただきたいのです」
すると、王様はお答えになった。
「案ずることはない。すべては『なすに任せよ』
じゃ。企業や個人の経済活動に干渉せず、市場の
はたらきに任せておれば、すべてが上手くいく。
アダム・スミス言うところの『神の見えざる手』に導かれてな」
しかし、経済学者は、くいさがった。
「その市場というものこそ、諸悪の根源だと私は
考えているのです。肉や野菜や日用品の取引きが
小さな市場で行われていた時代は、まだ良かった。ところが今や市場は巨大化を続け、生身の人間や
自然そのものを『労働市場』や『不動産市場』と
して臼の中に取りこみ、挽き砕いているのです。
その結果、人間は浮浪者の群れになり、自然は
粉灰と廃物の山に埋もれてしまいました。王様、
市場こそは『悪魔の挽き臼』なのでございます」
おまえの意見にはウンザリだといった顔で、王様は傍らの従臣たちにお言葉をかけた。
「例のものを持って参れ」
しばらくして、従臣たち数名が抱えて運んできた
のは、石の挽き臼だった。それを経済学者の目の
前に置かせると、王様は仰せになった。
「これは、世にも稀な『願いをかなえる挽き臼』
でな。数日前、仕立ての良い黒い服を着た商人が
やってきて、売っていったものじゃ」
そうおっしゃると、王様は従臣の一人に挽き臼の
取っ手を握らせ、
「労働者たちの暮らしに足りない物は何じゃ?」
と経済学者に訊いた。
「足りない物はたくさんありますが、まずはパンでございます」
その答えを聞いた王様は、挽き臼の取っ手を握った従臣に
「パンを出せ」
とお命じになった。頷いた従臣が挽き臼を右に回しながら
「パンよ出てこい」
と言うと、臼から次々と焼きたてのパンが出てくるではないか。経済学者は驚いた。
「それくらいで良かろう」
王様のお言葉にしたがい、従臣が取っ手を反対に
左に回すと、パンが出てくるのが止まった。呆気に取られている経済学者に、王様は
「この挽き臼さえあれば、すべてが上手くいく。
これまで通り、市場のはたらきに任せておくだけで、国家も資本家も地主も豊かになり、労働者も
挽き臼を通して必要な物が手に入れられる」
それを聞き、経済学者は引き下がった。
それから数日後、王様は船に乗り、北海を遊覧しておられた。傍らの従臣たちが、あの挽き臼を取り
巻き、構えていた。航海の目的は、クジラを観る
ことだった。生まれてこのかた、まだ生きたクジラを観たことのない自分の願いを、必ず挽き臼が
かなえてくれる。巨大な市場が好きなように、巨大な生き物もまた、王様は大好きだった。
船の甲板に特別にしつらえた豪華な椅子に座り、
王様はごきげんな様子で、従臣たちに語りかけ
られた。
「こういう話がある。ある男が、船に乗って旅を
しながら砂糖菓子を食べていた。いくつもいくつも食べて口の中が甘くなったので、こんどは塩を舐めたくなった。あいにく手元になかったので、挽き臼を出して右に回しながら、塩よ出てこいと言った。すると臼からどんどんどんどん塩が溢れ出てきた。男はもう充分だと思ったが、臼を止める方法が
分からなかった。臼は勝手にぐるぐると回り続け、船は塩でいっぱいになり、ついには海の底に沈んでいった。その挽き臼は、今でも海底で塩を出し続けている。だから、海の水は塩辛いのだとか。それにしても、まことに愚かな男がいるものよのう」
王様のお話に、従臣たちは
「御意(ぎょい)」
と、声をそろえた。すると王様は椅子から立ち
上がられ、
「さあて、そろそろ念願のクジラの姿を拝むと
するか。わしは巨大なものが大好きでのう。巨大な富、巨大な市場、巨大な労働者の苦痛、大いに結構
ではないか」
そう仰せになると、従臣たちに挽き臼の準備をさせた。そして、挽き臼の取っ手を握った従臣に
「始めよ」
とお命じになった。頷いた従臣が挽き臼を右に回しながら
「クジラよ出てこい」
と言うと、巨大なマッコウクジラが甲板の目の前に、どすんと大きな音を立てて落ちてきた。
「おお、これがクジラという生き物か。見事じゃ。70 フィート(約20m)近くはあるのう」
王様がクジラの巨大な姿に見とれていると、次は
さらに巨大なシロナガスクジラが、ずしんと
挽き臼の上に落ちてきた。
「こんどのは、もっとすごい。100フィート(約30m)近くの大物だわい」
王様が感嘆の声を上げる一方、次から次へと鯨が
降ってきて、従臣たちは悲鳴を上げた。
「王様!大変です!クジラの重さで船が沈んでいきそうです ! このままでは沈没は免れません!」
その声に、王様は慌てておっしゃった。
「挽き臼を左に回せ!鯨が出てくるのを止めるのだ!」
しかし従臣たちは、
「クジラの下敷きになって挽き臼は潰れてしまい
ました!もう鯨を止めることはできません!」
と言い、甲板から逃げ、救命ボートに乗り移った。
その後もクジラは振りに振り、ひとりぼっちの
王様も巨体の下敷きになった。そして船が海中に
姿を消すまで、さほど時間はかからなかった。
後日、王様の訃報を聞いた経済学者は思った。
挽き臼を王様に売った黒い服の商人こそ、
悪魔そのものだったのに違いない、と。
(本作に登場する「経済学者」は、経済人類学の
理論を構築したカール・ポランニー(ウィーン
出身 : 1886~1964)をモデルにしたものです)
